宇崎竜童と妻の阿木燿子の馴れ初めや子供は?大学などの学歴や経歴

歌手

宇崎竜童さんは京都府出身。

経歴や高校、大学などの学歴は?

妻は阿木燿子さんですが、馴れ初めは?

子供はいる?

気になったので、歌手の宇崎竜童さんについて調べてみました。

宇崎竜童の高校、大学などの学歴・経歴

名前   宇崎竜童
生年月日 1946年2月23日
出身   京都府京都市
身長   175 cm

小学校・渋谷区立上原小学校

中学校・明治大学付属中野中学校

高校・明治大学付属中野高校

大学・明治大学法学部

本名は木村修司。

7人兄弟に末っ子。

長男は21歳、一番近い姉で7歳違い。

京都市京都府生まれ、東京都育ち。

母親の出身地で疎開先だった京都府京都市で生まれ、生後間もなく東京に戻り、中学卒業まで代々木上原で育ちました。

父親は東京商船学校を卒業して船乗りを経て、代々木上原で船具店を経営し、子供の頃は裕福で家は豪邸だったそうです。

しかし、宇崎竜堂さんが中学3年生の時に、父親の会社は倒産。

豪邸から一転、借家生活になりました。

小学校は渋谷区立上原小学校。

宇崎竜堂さんが初めて音楽に触れたのは小学3年生の頃で、洋楽、特に映画音楽などを聴き入っていたといい、姉たちと一緒にプレスリーも聴いていたそうです。

中学校は明治大学付属中野中学校、高校は明治大学付属中野高校に進学。

明治大学付属中野中学・高校は東京都中野区にある私立の男子校。

同中学校の現在の偏差値は60。

高校の偏差値は68。

中学、高校の時はブラスバンド部に所属。

担当はトランペットでした。

大学は明治大学法学部に進学。

明治大学法学部の偏差値は63。

大学では軽音楽部に入部。

軽音楽部には先輩に引きずられるように入部したと話し、部の先輩に言われるがままにトランペットで吹いた「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」のアドリブが大絶賛され、大学のクラブバンドで、早くも1年でレギュラーメンバーに大抜擢されたそうです。

大学時代にはエレキギターも独学で練習し、大学時代は音楽に明け暮れていたそうです。

宇崎竜童歌手デビューのきっかけ

大学時代には音楽に明け暮れていた宇崎竜堂さんですが、両親の手前もあり、プロを目指すことはなかったそうです。

大学卒業後は両親が希望するサラリーマンになろうと商社に就職しましたが、性に合わず1年で退社。

退社後、義兄の経営する芸能プロダクションでマネージャーになり、松崎しげるさんをスカウトしマネージメントをしていましたが、プロダクションは後に倒産。

芸能プロダクション時代には、1969年に後に妻となる阿木耀子さんの作詞と宇崎竜堂さんの作曲で、ジュリーとバロンのシングル「ブルー・ロンサム・ドリーム」でプロとして作家デビューもしていました。

その後、銀座でも弾き語りの仕事をしながら、あるコンサートに飛び入り参加したことがきっかけでレコード会社から声がかかりデビューにつながりました。

宇崎竜童 ヒットメーカーに

宇崎竜堂さんは1973年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。

バンド名は1972年末にサディスティック・ミカ・バンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童さんが当時のアマチュアのバンド仲間にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になり、その後メンバー集めに奔走し1973年4月に改めてバンドを結成し命名しました。

1973年12月、「知らず知らずのうちに」をリリースしデビュー。

宇崎竜堂さんは当時27歳でした。

翌年の1974年12月にリリースした3曲目のシングル「スモーキン・ブギ」が累計売上は0万枚の大ヒット。

1975年3月に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発表しオリコンチャートの週間順位で5週連続で1位を獲得。

同年のオリコン年間ヒットチャートでは第5位にランクイン。

曲中の「アンタあの娘の何なのさ」というセリフは流行語となり、この曲をもとに映画も作られ、映画「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は1975年9月に公開されました。

年末には「第26回NHK紅白歌合戦」にも出場。

作曲家としても活動し、山口百恵さんの

「横須賀ストーリー」

「イミテイション・ゴールド」

「プレイバックPart2」

「しなやかに歌って」

「ロックンロール・ウィドウ」

「さよならの向こう側」

などの楽曲を提供しヒットされました。

宇崎竜童と妻の阿木耀子の馴れ初めは?

宇崎竜道さんと阿木耀子さんが結婚したのは1971年12月。

年齢は同い年。

結婚時、宇崎竜堂さんは25歳、阿木耀子さんは26歳でした。

出会いは大学の軽音楽部でした。

宇崎竜堂さんは入部に来た阿木耀子さんを一目見て「あ、嫁が来た!」と思ったといいます。

阿木耀子さんの宇崎竜堂さんの最初の印象は「蚊トンボのような男」。

宇崎竜堂さんは当時175センチで体重50キロくらいの細身だったとそうです。

大学時代から阿木耀子さんの書く詞に宇崎竜堂さんが曲をつける作業はしていたそうです。

交際は大学2年生からで、宇崎竜堂さんは最初から「俺たち、結婚することになってるから」と言ったといいます。

阿木耀子さんは「そうかしら?」という感じだったそうですが、宇崎竜堂さんは会うたびに「結婚しよう」といい続け、最後にはお互いの両親が「(結婚を)ソロソロ」と言いだしたと話しています。

宇崎竜童の子供は?

宇崎竜堂さんと阿木耀子さんに子供はいないようです。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました