うつみ宮土理の夫は愛川欽也で子供はいる?ケロンパの由来や学歴・経歴

タレント

うつみ宮土理さんは東京都出身のタレント。

学歴、経歴は?

タレントになったきっかけは?

ニックネームのケロンパの由来は?

夫の愛川欽也さんとの結婚の馴れ初めは?

子供はいる?

気になったので、タレントのうつみ宮土理さんについて調べてみました。

うつみ宮土理の学歴・経歴

名前   うつみ宮土理
生年月日 1942年10月1日
出身   東京都
身長   156cm
血液型  A型
所属   株式会社愛川企画室

出生名は内海三重子(うちみ みえこ)

結婚後の姓は井川。

出身は東京都世田谷区。

実家は造園業。

5人兄弟の長女。

母親はうつみ宮土理さんが、10歳の時に他界。

母親の他界後、兄弟の面倒を見てくれたのは戦争未亡人だった伯母だったそうです。

小学校は世田谷区立弦巻小学校を卒業。

幼少期は内気な性格でしたが、小学4年生の頃に自我に目覚め、好奇心旺盛な女の子にになったそうです。

中学は実践女学園中学校、高校は実践女子学園高校を卒業。

実践女学園中学校・高校は東京都渋谷区東にある私立の女子校。

現在の実践女学園中学校の偏差値は55。

完全中高一貫制のため高校からの生徒募集はありません。

大学は実践女子大学文学部英文学科に進学。

『大学を卒業して、朝日新聞に入社しました。なんとなく、ものを書く男性にあこがれて、素敵な出会いがあるかもしれないという不純な動機で(笑)。』

引用 https://wendy-net.com/

大学は首席卒業し、大学卒業後朝日新聞社の入社試験を通過し合格。

英字雑誌『ディス・イズ・ジャパン』編集部に配属されました。

うつみ宮土理がタレントになったきっかけは?

うつみ宮土理さんは英字雑誌『ディス・イズ・ジャパンに時代に、日本テレビ系にの子供向け番組『ロンパールーム』の2代目お姉さんの募集があり、取材を担当。

取材のために一応履歴書を書いて応募したそうです。

『選考で3人残り、プロデューサーは本当はほかの2人の中から選びたかったらしいんですが、子どもたちが私にすごくなついてしまったんです。』

引用 https://wendy-net.com/

うつみ宮土理さんじゃなければ嫌だと泣き出す子供までいたことから合格となり、『ロンパールーム』の2代目お姉さん、みどりとして、1966年3月にデビュー。

当時。23歳でした。

うつみ宮土理 デビュー後

『ロンパールーム』では、

『鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな』

というフレーズなどで視聴者に強烈な印象を残し、3代目以降のお姉さんの芸名もすべて『みどり』と名付けられたほどでした。

『ロンパールーム』には1969年3月まで3年間出演。

以降はテレビの情報番組やバラエティ番組に進出。

女優としても活動し、TBS系ドラマ『おくさまは18歳』のセリフ、

『悔しいわ、悔しいわ、なんだかとっても悔しいわ』

は流行語にもなりました。

うつみ宮土理のケロンパの由来は?

うつみ宮土理さんのあだ名『ケロンパ』を名付けたのはタレントの前田武彦さん。

前田武彦さんが出演していた日本テレビ系のバラエティ番組『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』に出演した時に、うつみ宮土理さんが周囲の人から悪口を言われてもけろっとしていたことが、由来だったそうです。

うつみ宮土理と夫の愛川欽也の結婚の馴れ初めは?

うつみ宮土理さんと愛川欽也さんが結婚したのは1978年。

35歳の時の結婚でした。

夫の愛川欽也さんは9歳年上で、結婚時は44歳。

愛川欽也さんはキンキンの愛称で知られた司会者。

馴れ初めは番組出の共演。

1972年にテレビ東京の歌番組『きんきんケロンパ歌謡曲』で共演し、1975年にはTBS系のトークバラエティ番組『シャボン玉こんにちは』でも2人で司会を務めました。

うつみ宮土理さんと愛川欽也さんは交際に発展しましたが、当時、愛川欽也さんさんは既婚で、子供もいました。

愛川欽也さん1978年11月に離婚しますが、うつみ宮土理さんと入籍したのは、離婚直後だったため、世間から猛バッシングを受けたといいます。

うつみ宮土理に子供はいる?

うつみ宮土理さんには子供いません。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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