安藤和津の旦那との馴れ初めや娘、家系や高校、大学などの学歴や経歴

タレント

安藤和津さんは東京都出身のエッセイスト・タレント。

安藤和津さんは結婚しているようですが、旦那やどんな方なんでしょうか?

子供は娘?

安藤和津さんの家系とは?

高校、大学などの学歴や経歴は?

気になったので、安藤和津さんについて調べてみました。

安藤和津の旦那

安藤和津さんが結婚したの1979年1月。

30代の時です。

旦那は俳優の奥田瑛二さん。

奥田瑛二さんは1950年3月18日生まれで、安藤和津さんの2歳年下。

安藤和津さんと奥田瑛二の馴れ初め・出会いは誕生パーティ。

奥田瑛二さんの父親は愛知県の市議会議員。

俳優を目指すことを反対されましたが、「政治の勉強をするため」と説得して明治学院大学法学部に入学して上京。

父の伝で代議士の秘書をしながら、大学で演劇を続け1976年に映画「円盤戦争バンキッド」の主人公でデビューしますが、その後は仕事の恵まれず、夜の仕事食いつないでいましたが、生活は困窮。

安藤和津さんと出会った時は3ヶ月もホームレスをしていたそうです。

奥田瑛二さんは友人の家に飯を食わせてもらおうと行ったところ、誕生パーティーにに行くといわれ、奥田瑛二さんもついて行くことになり、その誕生パーティに安藤和津さんも来ていました。

そのパーティで奥田瑛二さんが「実は僕、泊まるところもないんだ」と話すと安藤和津さんは知り合いを紹介し、そこに居候できるように面倒をみたそうです。

奥田瑛二さんはいわく、

「この人(奥田)は魚の腐ったような目をしている。どうにかしなければいけない!」

と安藤和津さんの母性本能に火がついた話しています。

その後、奥田瑛二さんは安藤和津さんの家にも出入りするようになったある日、安藤和津さんの家で奥田瑛二さんが高熱をだして倒れました。

歯茎にバイ菌が入ったのが原因だったそうですが、かなりの重傷だったため、やむを得ず安藤和津さんの家でしばらく看病をすることになったといいます。

約1ヶ月だったそうです。

安藤和津さんが看病をしていると、母親の理想とする条件の結婚相手とは真逆でしたが、母親が突然、

「あなたたち、結婚したら?」

と言ったそうです。

「私が彼の寝汗をかいた寝巻を洗濯機に入れたり、世話を焼く姿を母が見て、このふたりならうまくいくと思ったようです。」

引用 https://www.news-postseven.com/

結婚後は、安藤和津さんが住んでいたマンションの1階に住み、「半年経って自分たちで払えなければ、経済状況に見合ったところに移る」という条件で互いの両親が家賃出してくれたそうです。

結婚時には仕事がなかった奥田瑛二さんでしたが、結婚した年の1979年に日活の映画「もっとしなやかに もっとしたたかに」で演技力を認められ、同年12月公開の映画「もう頬づえはつかない」で桃井かおりさんの相手役に抜擢され、すぐに大忙しになり、半年後には自分たちで家賃も払えるようになりました。

安藤和津の娘

安藤和津さんの子供は娘が2人。

長女の安藤桃子さんは1982年3月

次女の安藤サクラさんが1986年2月

に誕生しました。

長女の安藤桃子さんは映画監督。

2010年、映画「カケラ」で監督デビュー。

2014年、監督・脚本を務めた映画「0.5ミリ」で、

第69回毎日映画コンクール・脚本賞

第39回報知映画賞・作品賞

第36回ヨコハマ映画祭・監督賞

第24回日本映画批評家大賞・作品賞

第29回高崎映画祭・若手監督グランプリ

第18回上海国際映画祭 アジアン・ニュータレントアワード部門 最優秀監督賞 優秀脚本賞

を受賞しました。

次女の安藤サクラさんは女優。

2007年に父・奥田瑛二さんが監督を務める映画「風の外側」で女優デビュー。

2014年、オーディションで勝ち取った主演映画「百円の恋」で、

第39回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞

を受賞。

映画を中心に活動しています。

安藤和津の家系

安藤和津さんの父親は小説家から政治家になり、後に法務大臣を務めた犬養健さん。

祖父は第29代の内閣総理大臣を務めた犬養毅さん。

父親の犬養健さんは犬養毅さんの三男です。

母親の荻野昌子さんは柳橋の芸者で、安藤和津さんは妾の子(非嫡出子)として生まれました。

母親は後に料亭「をぎ乃」を経営。

当初は認知されていませんでしたが、安藤和津さんが学習院初等科に入学後の、9歳の時に認知されたそうです。

安藤和津さんが生まれた時、父親の犬養健さんは52歳。

父親よりも、祖父にみられることが多かったといいます。

異母兄弟は27歳年上の姉・犬養道子さんと20歳年上の兄・犬養康彦さんがいました。

姉の犬養道子さんは女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。

1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱、世界の飢餓、難民問題に深くかかわり、多数の大学で教壇にたち、講演も多くこなしていたそうです。

兄の犬養康彦さんは学習院大学文政学部卒業後、共同通信社に入社し、人事部長、総務部長、社会部長、論説主幹などを歴任した後、1991年社長に就任しました。

安藤和津さんの生活は桁違いに裕福でした、自宅には多くのお手伝いさんが常駐し、幼少期から自分専用のお手伝いさんがつき、中学時代には母親と1ヶ月世界一周旅行に行っています。

当時は、大学初任給が数万円の時代でしたが、旅行費用は数千万円だったといます。

安藤和津の高校や大学の学歴・経歴

名前   安藤和津
生年月日 1948年3月6日
身長   164cm
出身   東京都台東区

安藤和津さんは東京都台東区育ち。

父親は法務大臣を務めた犬養健さん。

母親は料亭を経営。

実家は裕福で、自分専用のお手伝さんが付いていたといいます。

小学校は学習院初等科

中学校は学習院女子中等科

高校は学習院女子高等科

現在の学習院中等科の偏差値は61、高等科の偏差値は70

中学時代は母親と世界1周旅行したそうです。

大学は上智大学文学部ドイツ文学科

偏差値は65

大学時代の20歳の頃、母親が突然、「これからは、あなたの花嫁修行に付き合うわ」と宣言し、経営していた料亭を畳み、母親業に力を入れ始めたといいます。

同時に、港区に当時はまだ珍しかったマンションを購入し、マンション暮らしが始まり、生活は厳しく管理され門限は大学時代にさらに厳しくなったと話しています。

外出する時は必ず、行く場所の連絡先を伝えなければいけなかったそうです。

大学卒業後は、イギリス・ケンブリッジベルスクールに2年半留学。

留学は中学時代に亡くなった父親の遺言だったそうですが、安藤和津さんは彼氏もいて毎日の生活が楽しかったので、留学には興味がなかったそうです。

しかし、母親が勝手に通う学校もホームステイ先も決めてしまい、追い出されるようにイギリスに留学したといいます。

嫌々だったイギリス留学も、来てみると母の束縛からの解放が、この上なく快適だったそうです。

安藤和津さんは2年半後、母親が体調を崩したことを知り帰国。

帰国後は、、リポーターや「CNNデイウォッチ」のキャスターを務めました。

1979年3月、奥田瑛二さんと結婚。

現在はコメンテーター、エッセイストとして活動。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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