室伏広治さんは愛知県出身の2004年アテネオリンピック ハンマー投げの金メダリスト。
経歴や学歴は?
室伏広治さんの最強伝説とは?
立ち幅跳びや背筋力がスゴイ?
筋肉番付での活躍は伝説!
現在は病気?
気になったので、八ンマー投げ選手の室伏広治さんについて調べてみました。
室伏広治の学歴・経歴
名前 室伏広治
生年月日 1974年10月8日
出身 愛知県豊田市
身長 187cm
血液型 A型
父親はハンマー投の元日本記録保持者の室伏重信さん、1984年にはロサンゼルスオリンピック出場し14位、日本選手団旗手も務めました。
母親はルーマニア人の元やり投げの選手で、ルーマニアと日本のハーフ。
妹の由佳さんも女子ハンマー投の日本記録保持で、2004年のアテネオリンピックに出場(予選落ち)。
小学校3年生からロサンゼルスに移り、中学2年生まで生活したことがら英語は流暢に話せ、英語のインタビューでも通訳なしで答えています。
中学時代に陸上部所属し、当時は砲丸投、走幅跳、400mの種競技Bをやってました。
成田高校に進学後、1年生の時にハンマー投げを始めました。
千葉の成田高校に進学したのは、室伏広治さんの身体能力を見た、父親の室伏重信さんが陸上指導者を探し、選んだのが成田高校だったといいます。
高校卒業後は、名古屋の中京大学体育学部に進学。
卒業後の1997年にミズノに入社、引退後の2016年9月に退社しました。
室伏広治の最強伝説とは?
室伏広治さんは父親にハンマー投げを勧められたことは一度もなく、野球、テニス、水泳、陸上などの多くのポーツを経験し、最終的に得意だったのがハンマー投げでした。
高校でハンマー投げを始め、日本高校記録を樹立、インターハイも2連覇。
大学でも日本大学記録を樹立し、2023年現在もその記録は超えられていません。
1998年4月、23歳の時に父親持っていた日本記録75m96を更新する76m65を記録。
2003年6月には自己ベストの84m86を記録。
この記録は当時の世界歴代3位の記録で、2023年現在でも4位。
世界記録は86m74です。
アジア記録、日本記録でもあり、日本記録の2位は父親の室伏重信さんです。
室伏広治さんの体重は世界レベルの平均より20kg軽く、自己ベストを投げた2003年でも97kgでした。
オリンピックには、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックの4回出場。
アテネオリンピックでは、1位の選手がドーピング違反で失格になったことによる繰上げですが、金メダルを獲得。
投擲種目における金メダル獲得はオリンピック、世界選手権を通じてアジア人史上初の快挙でした。
2012年ロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得。
2014年には日本選手権20連覇を達成しました。
身体能力は高く、成田高校時代の監督は、
「とてつもない運動能力」
「キング・オブ・アスリートと呼ばれる十種競技でも世界一になれる素質がある。」
と評しています。
高校時代には全く練習していないやり投げで、ぶっつけ本番で出場し、国体で準優勝。
同大会に出場していたタレントの照英さんは、その身体能力に絶望したと話しています。
100mをは10秒台で走ったといい、走りを見た400mルハードル日本記録保持者の為末大さんは、
「室伏広治さんの30mダッシュはどのスプリンターよりも速い。」
と評しています。
2005年4月のプロ野球横浜 – 巨人戦の始球式では球速131km/hを記録しました。
ブルペンでの練習では、140km/hを超えていたといいます。
室伏広治の立ち幅跳びや背筋力がスゴイ?
足が速く、肩の強い室伏広治さんですが、ジャンプ力もあり、2002年、テレビの密着取材を受けながら練習中に跳んだ立ち幅跳びで、3m60cmを記録。
当時の立ち幅跳びの世界記録は3m47cmで、10cm以上超えました。
立ち幅跳びの公式記録では2015年2月の、NFLスカウティングコンバインでバイロン・ジョーンズさんが記録した3m73cmが世界記録のようです。
室伏広治さんの背筋力は、389kgといわれています。
20代の日本人男性の背筋力の平均値は160kgで、ロシアのレスリングオリンピック選手のアレクサンドル・カレリン選手の背筋力が400kg超だったと記録されていて、これが世界記録といわれているようです。
ちなみにアレクサンドル・カレリン選手は身長191cm、体重130kでした。
筋肉番付での活躍
室伏広治さんは1995年からTBSの「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」に計6回出場。
18m先の旗を取れば勝ちとなる「ビーチ・フラッグス」では、1996年アトランタオリンピック110mハードル金メダリストのアレン・ジョンソン選手に勝利。
重さ10kgのタルを投げ上げて、越えた壁の高さを競う「ザ・ガロンスロー」では、8m25cmの世界記録を持っています。
跳び箱の「モンスターボックス」では、1995年に17段(2m46cm)を飛び、17段の初めての成功者とり、2002年大会に出場した際、自己記録を18段(2m56cm)に更新しました。
2002年に初出場したプロスポーツマン大会では、総合優勝。
その大会は、6回の優勝を果たし、同大会でも2位だったケイン・コスギさんすらも「史上最高・伝説」と語っています。
室伏広治や現在は病気?
室伏広治さんは2015年5月に知人の紹介で出会った12歳年下の会社員の女性と結婚。
2016年6月に41歳で競技を引退、2017年8月にはアシックスとアドバイザリースタッフ契約を結びました。
2020年10月には鈴木大地さんの後任として、スポーツ庁長官に就任。
2021年4月に「デイリー新潮」が難病の「悪性脳リンパ腫」の治療中と報じました。
室伏広治さんは取材に「個人情報ということで、話さないつもりです」と明言は避けましたが、病気自体は否定せず、
「影響ない、という風にさせていただいてます」
と話しました。
悪性脳リンパ腫は10万人に1人いわれる難病で、治療法は抗がん剤投与と放射線治療が中心だといいます。
2023年9月現在も、病状が悪化した様子はないようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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