俳優だけでなく、ナレーションでも活躍する後面久寛さんの学歴や経歴は?
俳優になったきっかけは?
三宅裕司さんとの出会いは?
嫁は速水渓さんとの馴れ初めや子供は?
気になったので、俳優の小倉久寛さんについて調べてみました。
小倉久寛の学歴・経歴
名前 小倉久寛
生年月日 1954年10月26日
出身 三重県度会郡紀勢町(現・大紀町)
身長 160cm
血液型 A型
所属 アミューズ
実家は林業で、最寄の店から2km以上離れている田舎で育ちました。
小学生の時のプロレスにハマり、「力道山」のファンで将来の夢はプロレスラー。
中学時代は体操部の所属して体を鍛え、中学生で腹筋は割れていたといいますが、1年で廃部になり、その後はバレーボール部に所属。
高校は伊勢高校に進学。
重県伊勢市神田久志本町にある男女子共学の県立高校で、偏差値は65。
高校には下宿して通いました。
高校卒業後は、学習院大学法学部政治学科に進学。
大学時代空手部に入り、三段を取得しました。
大学は1年留年して卒業。
就職はしましたが2ヶ月で退社しています。
小倉久寛が俳優になったきっかけは
大学在学中の就職活動中に中村雅俊さん主演の劇団が舞台のドラマ「俺たちの祭」の放送が始まり、ドラマでアルバイトで生活し、舞台の稽古をして、酒を飲んで盛り上がる人たちの姿を見て「楽しそうだな」と思ったそうです。
当時、オイルショックで先輩たちが就職で苦労をしているのを見て、就職に不安を思えていたこともあり、劇団員になることを決意。
雑誌で見つけた劇団「大江戸新喜劇」の応募し、オーディションを受け入団。
小倉久寛と三宅裕司の出会い
劇団「大江戸新喜劇」入団すると、そこで主役を張っていたのが三宅裕司さんでした。
「(三宅裕司さんは)光り輝いていたわけですよ。ちょっと言い過ぎかもしれませんが(笑い)。」
三宅裕司さんが出演した舞台はすごく面白く、お客さんにも受けていて、まだ無名でしたが、もうお客さんをコントロールしてるような感じがしたといいます。
劇団「大江戸新喜劇」は方向性の違いで頓挫し、三宅裕司さんに声をかけられ、1979年11月に「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」の設立に参加。
旗揚げ公演は1週間でお客さんは400人だったそうです。
旗揚げ当初は貧乏生活でしたが、1980年代中頃からテレビのバラエティ番組の出演が増え、1986年には音楽番組「ヤングスタジオ101」(NHK)の司会に抜擢されました。
小倉久寛と嫁の速水渓さんとの馴れ初めや子供は?
小倉久寛さんの嫁は12歳年下で元宝塚の速水渓さん。
1994年に39歳で結婚しました。
馴れ初めはテレビドラマでの共演。
小倉久寛さんは一目惚れしましたが、出会った時は小倉久寛さんは37歳、速水渓さん25歳で年の差もあり、打ち上げで連絡先をなかなか聞けず、共演者に聞いてもらったそうです。
ドラマの共演者ろ飲んだ店で二人きりになったタイミングで映画に誘い、2人で会うようになり交際がスタート。
小倉久寛さんは交際当初から結婚を意識してプロポーズしていましたが、なかなかうんとは言ってくれず、2年間で100回ぐらい「結婚してほしい」と言い続け、なんとか了承してもらったといいます。
小倉久寛さんと速水渓さんに子供はいないようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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