瀬古利彦のベストタイムは?オリンピックで記録を残せなかった理由は?

瀬古利彦のベストタイムは?オリンピックで記録を残せなかった理由は?

瀬古利彦さんは日本男子マラソン界の伝説のランナーです。

数々の大会で優勝しオリンピックでの活躍を期待されていました。

しかし、不運も重なり、瀬古利彦さんはオリンピックでは記録を残せませんでした。

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瀬古利彦のベストタイムは?

瀬古利彦さんのベストタイムは1986年10月、シカゴマラソンで記録した、2時間8分27秒です。
現在の世界記録は、ケニア人のデニス・キメット選手の2時間2分57秒で大きな差がありますが、1986年当時の世界記録は、2時間7分12秒。

瀬古利彦さんの記録は当時、世界10位の記録ででした。

世界記録とも1分も差がありませんね。

1986年ではすごい記録だったのです。

瀬古利彦がオリンピックで記録を残せなかった理由は?

瀬古利彦さんが初めてオリンピックにに出場すするチャンスだったのが、1980年のモスクワオリンピック。

瀬古利彦さんは当時24歳でした。

瀬古利彦さんはそれまで、国内大会の福岡国際マラソンで2度優勝。

アメリカで1979年4月に開催された、ボストンマラソンでも2位。

ボストンマラソンでの瀬古利彦さんの記録は2時間10分12秒。

この記録は当時世界9位の記録でした。

大会で結果を残していた、瀬古利彦さんはオリンピックでの活躍も期待されました。

しかし、当時のソ連がアフガニスタンに軍事介入したことで、日本はモスクワオリンピックをボイコット。

瀬古利彦さんはオリンピックに出場できませんでした。

それから、瀬古利彦さんは連戦連勝の5連勝

次のロサンゼルスオリンピックまでの4年間、出場した大会にすべて優勝するという大記録を残します。

前回2位だったボストンマラソンでも優勝。
記録は2時間9分26秒、当時世界5位の記録で、当時の大会記録でもありました。

そんな実績を引っさげ、瀬古利彦さんはロサンゼルスオリンピックに出場しますが、結果は14位と全く振るいませんでした。

瀬古利彦がロサンゼルスオリンピックでメダルが取れなかった理由は?

モスクワオリンピックをボイコット以降、瀬古利彦さんは連戦連勝の5連勝

次のロサンゼルスオリンピックまでの4年間、出場した大会にすべて優勝するという大記録を残します。

前回2位だったボストンマラソンでも優勝。
記録は2時間9分26秒、当時世界5位の記録で、当時の大会記録でもありました。

そんな実績を引っさげ、瀬古利彦さんは当時28歳でロサンゼルスオリンピックに出場しますが、結果は14位と全く振るいませんでした。

記録も2時間14分13秒と自己ベストには遠く及ばない記録でした。

瀬古利彦さんは後半からペースを上げる走りを得意としていましたが。全くペースは上がりませんでした。

理由のひとつは体調不良があったようです。

瀬古利彦さんは、1984年の始めから体調はあまり良くなく、倦怠感などを感じながらも練習していたようです。

しかし、練習のペースを下げることはなく、オーバーワーク気味だったようです。

さらに

7月の北海道合宿中には監督の中村清さんに、「癌になった」と打ち明けられ
休ませてほしいと頼むタイミングを失ってしまった。

と語っています。

オリンピックの2週間前にはストレスから血尿まで出たそうです。

瀬古利彦さんの5連勝でオリンピックに出場したので、世間の期待が大きかったでしょうから、相当なプレッシャーを感じていたんですね。

もうひとつの理由は、暑さにあったようです。

瀬古利彦さんが5連勝した大会は、すべて春先か冬。
夏の大会には出場していませんでした。

暑さ対策のため、グアムなどで合宿をしたそうですが、瀬古利彦さんはオリンピックでの結果について

初めて経験する夏マラソンにいつもの経験とリズムがつかめなかったのが最大の敗因

と見ているそうです。

瀬古利彦がソウルオリンピックでメダルが取れなかった理由は?

瀬古利彦さんはロサンゼルスオリンピック後から、ソウルオリンピックまで、また4連勝。

再び4年間無敗でソウルオリンピックに32歳で挑みました。

しかし結果は9位。

理由はマラソンランナーとしてのピークを過ぎていたからと言われています。

現在のマラソン選手は20代後半から30代前半がピークと言われていますし、実際結果もそうなっていますが、当時はトレーニング方法のレベルも違い、30代を超えるとピークが過ぎたといわれていたようです。

実際、瀬古利彦さんはソウルオリンピックまで4連勝でしたが、記録は明らかに落ちていました。

ロサンゼルスオリンピックまでの5連勝の時の記録は
2時間8分台が2回
2時間9分台が2回
2時間10分台が1回
とほとんどの大会で2時間10分を切っています。

しかし、ソウルオリンピックまでの4連勝は
2時間8分台が1回
2時間10分台が1回
2時間11分台が1回
2時間12分台が1回
と明らかに記録は落ちています。

ソウルオリンピック前、最後に走った「びわ湖毎日マラソン」の記録は2時間12分41秒です。

残念ながら、記録を見る限り、瀬古利彦さんのマラソン選手としてのピークは過ぎてしまっていたようですね。

瀬古利彦 プロフィール

名前   瀬古利彦
生年月日 1956年7月15日(60歳)
身長   170cm
出身   三重県桑名市

中学時代は野球部で投手
野球の強豪校からの誘いもあった

高校1年の時、学校内の5キロ走で優勝
陸上部から頼まれ大会に出場

市の陸上大会の2000mで優勝
県大会でも当時の三重県記録で優勝

国体で、2年連続で1500m、5000mの二冠を達成

早稲田大学入学後、監督からマラソンを勧められ、マラソンに転向

1977年2月 京都マラソンで初マラソン
10位で新人賞を受賞

1977年12月 福岡国際マラソン
5位で日本人最上位

1978年12月 福岡国際マラソン
優勝

マラソンを始めて引退まで15回、大会に出場
その内、10回優勝

ロサンゼルスオリンピック
14位

ソウルオリンピック
9位

瀬古利彦 まとめ

瀬古利彦さんは実力はあったのにオリンピックでは記録を残せませんでした。

やはり、オリンピックは大会とは全然違うんでしょうね。

瀬古利彦さんの実績がすご過ぎたので、日本の期待も大き過ぎたんでしょう。

瀬古利彦さん自身の緊張と、周囲の期待に対するプレッシャーが重なって大変だったんでしょうね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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