吉幾三は現在は病気?デビューのきっかけは?自宅はホワイトハウス?

歌手

俺ら東京さ行ぐだ」で知られる演歌歌手の吉幾三さん。

経歴やデビューのきっかけは?

自宅がホワイトハウスとは?

現在は病気で心臓にペースメーカーが入っているようです。

気になったので、演歌歌手の吉幾三さんについて調べてみました。

吉幾三の経歴

名前   吉幾三
生年月日 1952年11月11日
出身   青森県北津軽郡嘉瀬村(現・五所川原市)
身長   178cm
血液型  B型
所属   吉プロモーション

9人兄弟の末っ子で11人の大家族、父親は民謡歌手で、昭和天皇の前で披露したほどの民謡の名手。

父親が酒飲みで生活費を入れなかったため生活は貧しく、4歳の頃から父親の傍で民謡を歌い、もらったおひねりは生活費の一部でした。

中学時代も町内で一番の貧乏で、牛乳配達などのアルバイトをして生活を支えていました。

中学卒業後は高校には進学せずに、歌手を目指して上京しています。

吉幾三のデビューのきっかけは?

中学時代に民謡歌手の父親に、

「手っ取り早くもうかるのは何?」

と尋ねると、

「泥棒か歌手だハッ、ハッ!」

と笑い飛ばしたといい、吉幾三さんは貧しさから抜け出すために歌手になることを決意。

中学卒業してすぐに東京で働いていた姉を頼り、母親に買ってもらった3000円のギターを手に夜行列車で上京しました。

俺ら東京さ行ぐだでブレイク

東京では料理店で働いていた姉の部屋に住み、作曲家・作詞家の米山正夫さんに師事し、1973年3月1日、20歳のときに、コマーシャルソング「恋人は君ひとり」を山岡英二の芸名でリリースし、アイドル歌手としてデビューしましたが、売れませんでした。

1977年に「吉幾三」に改名しフォークソング路線で、自身の作詞・作曲した「俺はぜったい!プレスリー」がオリコンチャート25位になりヒット。

その後は低迷しましたが、1984年に千昌夫さんに提供した曲「津軽平野」がヒット、作曲家として注目されました。

千昌夫さんのプロデュースで1984年11月にリリースしたコミックソング「俺ら東京さ行ぐだ」がオリコン4位にランクインする大ヒット。

コミックソング路線から正統派演歌路線に転向を図り自身で作詞・作曲した「雪國」を1986年2月にリリースするとオリコンチャート1位を獲得し、累計70万枚売り上げ、本格的な演歌歌手へ路線変更しました。

吉幾三の自宅はホワイトハウス?

吉幾三さんの自宅は東京と青森にあり、青森の自宅は敷地面積600坪の第豪邸で、壁も屋根の白く、地元では「ホワイトハウス」と呼ばれています。

間取りは6DKで、リビングは35畳の広さ、1年の3分の1は青森の家でゆっくり過ごすといいます。

吉幾三は現在は心臓の病気

吉幾三さんは30代から腸の病気を繰り返し、そのときの輸血が原因と思われるC型肝炎などにも感染。

C型肝炎治療で完治しましたが、2013年には心臓の「徐脈性完全心房心室ブロック」という病気を患い、同年2月に手術してペースメーカーの入れたことは明かし、2022年4月には入れたペースメーカーを2月に交換したと話しました。

ペースメーカーは何らかの理由で、脈拍が遅くなる状態のとき必要になるそうで、脈拍が遅くなると、脳への血液循環が減少して一時的に意識を失ったり、めまいやふらつきが起こって生活に支障をきたしたり、体全身への血液循環が不足して疲れやすくなったりする症状が現れるといいます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました