竹下景子の旦那や俳優の息子についてや高校、大学などの学歴や経歴

女優

竹下景子さんは愛知県出身の女優。

竹下景子さんは結婚しているようですが、旦那はどんな方なんでしょうか?

子供は息子で、俳優をしている息子もいるようです。

竹下景子の高校や大学などの学歴や経歴は?

いろいろ気になったので、竹下景子さんについて調べてみました。

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竹下景子の旦那

竹下景子さんが結婚したのは1984年4月。

30歳の時。

旦那は写真家の関口照生さん。

関口照生さんは1938年11月13日生まれで、竹下景子さんの15歳年上。

関口照生さんはジャーナリズム写真・広告、雑誌取材・コマーシャルのなどいろいろな分野で活躍した写真家。

特に女優をモデルにした写真で高い評価を受け、人物描写を中心した業績で電通賞などを受賞したこともあります。

竹下景子さんと旦那の関口照生さんの出会いは、銀行のポスター撮影。

出合ったのは竹下景子さんがデビューして間もない1973年頃。

交際は出会ってすぐに始まったようです。

1978年には関口照生さんの撮影で「フォト&エッセイ集 水中花」を発売しています。

何度か交際をマスコミに取り上げられたそうですが、交際は否定していたようです。

交際期間は10年だったといいます。

プロポーズは竹下景子さんからで、

「ケイスケのお父さんになってください」

ケイスケというのは竹下景子さんの愛犬のハスキー犬の名前。

竹下景子さんは犬を口実に逆プロポーズしたと話しています。

旦那の関口照生さんは、

「1週間考えさせてほしい」

と答え、その後結婚しました。

竹下景子の息子は俳優

竹下景子さんの子供は2人。

2人とも息子です。

長男のまなとさんが1986年3月

次男のアナンさんが1988年9月

に誕生しました。

長男のまなとさんは2018年9月、TBS系のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」でドラマデビューしています。

次男のアナンさんの方がデビューが先で、2014年12月にLaLa TVの「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」でデビューしました。

2018年7月に公開された映画「一人の息子」では共演を果たしています。

次男の関口アナンさんは2016年8月にフジテレビ系情報バラエティー「バイキング」に出演した際に、

「アルバイトもしっかりしたことがない。今は親のすねをかじり、同居してるが家賃を入れていない。お小遣いをもらっている」

「時計も一緒に買いに行って、(値段は)100万円くらい」

と話しまし、2017年9月には女性週刊誌で、

「アラサーでも月の小遣い20万円以上」

と報じられました。

竹下景子の高校や大学などの学歴や経歴

名前   竹下景子
生年月日 1953年9月15日
身長   157cm
出身   愛知県名古屋市東区
所属   アイ・バーグマン

竹下景子さんは愛知県生まれ、東京都育ち。

父親は弁護士で弁護士になる前は国税庁に勤務していました。

兄弟は弟。

竹下景子さんは愛知県名古屋市出生まれましたが、父親が名古屋国税局から国税庁に転勤となったため、4歳の時に東京都中野区、その後板橋区で、5歳から10歳までは東京都東村山市で育ちました。

小学校4年生の時、父親が国税庁を辞め弁護士になるための勉強を始めたため、公務員住宅には住めなくなり、名古屋に戻り、以後高校卒業まで名古屋市で育ちました。

中学は南山中学校

南山中学は愛知県名古屋市にある私立の女子中学で、偏差値は68。

完全中高一貫校です。

中学時代は演劇部に所属していました。

高校は南山高校

高校時代も演劇部に所属。

竹下景子さんは高校1年生の時、ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」のイベントに一般リスナーとして参加した際に、パーソナリティをだった天野鎮雄さんと話すことができ、内向的な性格を直すために演劇部に入ることを話したことがけっかけで、天野鎮雄さんが先生役で出演していたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマ「中学生群像」に出演。

竹下景子さんは3年生役で、1年生約には戸田恵子がいたそうです。

何度か出演し、出演料は8000円だったといいます。

大学は東京女子大学文理学部社会学科に進学。

偏差値は58

上京し、ひとり暮らしを始め、仕送りは5万円。

足りない金額ではなかったそうですが、竹下景子さんは大雑把な性格だそうで、月末には一日に菓子パンひとつという時もあったそうです。

高校時代に「中学生群像」に出演した際に、ドラマロケで名古屋を訪れていた夏木陽介さんににスカウトされており、上京後に夏木陽介さんが所属していた「三船プロ」に所属し芸能活動を開始。

1973年、20歳の時、NHKのドラマ「波の塔」で本格的に女優デビュー。

大学は女優の仕事が忙しくなり、4年生を留年し、5年かけて卒業したそうです。

大学を留年した時には、父親に「仕送りも学費も出さない」と言われてしまったたいい、竹下景子さんは自力で学費も生活費も工面し卒業したといいます。

その代わりに、卒業したら実家へ帰る約束も反故にしたんだとか。

1976年10月からTBS系のクイズ番組「クイズダービー」に3代目4枠レギュラー解答者として出演。

番組が終了する1992年12月まで出演し、「三択の女王」と呼ばれ人気を獲得。

1978年には日本テレビ系「24時間テレビ」の総合司会を務めました。

1983年、映画「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」のマドンナ・石橋朋子役で出演。

「男はつらいよ」は1987年、1989年にも別なマドンナ役で出演しています。

別々の役で三度マドンナ起用されたのは竹下景子さんだけだそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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