戸田恵子の結婚歴は?旦那や子供、孫についてや、高校などの学歴や経歴

女優

戸田恵子さんは愛知県出身の女優。

戸田恵子さんは離婚歴があるようですが、元旦那や現在の旦那は?

子供や孫がいる?

戸田恵子さんの高校などの学歴や経歴は?

気になったので、戸田恵子さんについて調べて見ました。

戸田恵子の結婚歴や旦那

戸田恵子さんの結婚歴は2回。

最初の結婚は1979年、戸田恵子さんが22歳の時。

最初の旦那は声優の池田秀一さん。

池田秀一さんは1949年12月2日生まれで、戸田恵子さんの8歳年上。

馴れ初め・出会いはアニメ「機動戦士ガンダム」出の共演。

池田秀一さんはジオン軍のシャア役、戸田恵子さんは地球連邦軍のマチルダ役で敵同士の役で出演していました。

離婚の時期は不明。

離婚理由について戸田恵子さんは、

「ジオン軍と連邦軍だから」

と冗談交じりに語っています。

2回目の結婚は1990年。

戸田恵子さんが33歳の頃。

再婚相手は俳優の井上純一さん。

井上純一さんは1958年8月14日生まれで、戸田恵子さんの1歳年下。

井上純一さんは元ジャニーズ事務所に所属の俳優。

馴れ初め・出会いはは1987の舞台「踊れ艦隊のレディたち」での共演。

2006年12月、戸田恵子さんが49歳の時に離婚。

結婚生活は16年でした。

戸田恵子さんは当時、ショムニシリーズに出演するなど人気バイプレーヤーになていましたが、この離婚は話題にならず、翌年の2007年に女性週刊誌が報道したことで明らかになったようです。

離婚理由は報道によれば、離婚までの数年、戸田恵子さんは母親の介護のため別居、母親が亡くなった後に再び夫婦として生活を再開したものの、この間に出来た溝を埋めることはできなかったとされています。

しかし、離婚後も関係は良好で友人として交友があるといいます。

戸田恵子さんはその後、再婚はしておらず独身のようです。

戸田恵子の子供、孫とは?

戸田恵子と検索すると「子供」「孫」の関連ワードが出てきます。

しかし、調べてみると2度の結婚歴がある戸田恵子さんですが、子供はいないようです。

なので、当然「孫」もいません。

孫については、戸田恵子さんは親交のある、女優の杏さんの子供の成長を楽しみにしているそうで、送られてくる写真に癒されていると話しています。

ブログで、自身のことを「ばあば」と呼び、

「夕方からは杏ちゃんちへ行って「ばあば」に変身。ちょっと遅くなってしまったけど、孫っ子たちのお誕生日のお祝いだー」

と書いています。

このことから、「孫」のワードで検索されているようです。

戸田恵子はアンパンマンの声優

アニメ「アンパンマン」のアンパンマン役の声優としても知られる戸田恵子さん。

声優の仕事は、最初は劇団の仕事だけでは生活できず、アルバイトとして始めたといいます。

戸田恵子さんの声優デビューは、1979年、実写映画「眠れる森の美女」

戸田恵子さんが21歳から22歳の頃です。

アニメでの声優デビュー同年に出演したはテレビ朝日系で放送されたアニメ「無敵鋼人ダイターン3」。

同年、「機動戦士ガンダム」のマチルダ役を演じ、挿入歌の「シャアが来る」「いまはおやすみ」なども歌い、で声優として知られるようになったといいます。

吹き替えでは、ジュリア・ロバーツ、ジョディ・フォスター、ニコール・キッドマンなど声優を担当。

アンパンマンに出演したのは1988年から。

アンパンマンは週1日のレギュラー放送と、1989年から毎年に1本~2本の映画が制作されています。

戸田恵子の高校などの学歴や経歴

名前   戸田恵子
生年月日 1957年9月12日
身長   154cm
出身   愛知県名古屋市
所属   ルックアップ

戸田恵子さんは愛知県名古屋市育ち。

実家は砂糖の卸問屋。

兄弟はなくひとりっ子。

子供の頃の習い事は多く、茶道、華道、ピアノ、習字、そろばん、クラシックバレエ、詩吟など。

小学校時代は塾にも通い成績は優秀でスポーツも万能だったそうです。

小学校5年生の時、母親の勧めで「NHK名古屋放送児童劇団」に入団し、入団してすぐ子役として「中学生日記」にレギュラー出演

戸田恵子さんは子供の頃から歌も好きで、同じく小学校5年生の時、「ちびっこのど自慢」の東海地区チャンピオンになっています。

中学は名古屋市立八王子中学校

中学3年生の時にスカウトされ、歌手を目指して、単身上京。

戸田恵子さんは当時、自分も山口百恵のようになれると本気で思っていたと話します。

高校は駒沢学園女子高校に進学。

駒沢学園女子高校は東京都稲城市にある私立の女子高で偏差値は52。

高校は1年留年して卒業。

学費は自身のギャラから支払ったといいます。

1974年2月、16歳の時に「あゆ朱美」の名前でシングル「ギターをひいてよ」をリリースし歌手デビュー。

戸田恵子さんの話では演歌歌手としてのデビューだったようです。

1976年11月まで、4枚のシングルをリリースしますが、全く売れず。

歌手としては、営業で水商売の店で数人の前で歌う程度で、仕事はリポーターやバラエティ番組が多かったそうです。

その後、所属していたプロダクションは解散。

一時は芸能界を辞めようと考えたといいます。

1977年、19歳の時に、テレビ番組で一緒になったことがある声優の野沢那智さんから声をかけれられ、野沢那智さん主宰の「劇団薔薇座」へ研究生として入団。

本格的に演技の勉強を始めました。

戸田恵子さんさんは演技を始めたことについて、

「それまでの歌の世界とは一転、ホントに地味な世界だけど、何もかもが新鮮で、芝居の世界にどんどんのめりこんでいきました。」

引用 https://www.wendy-net.com/

とにかく厳しかったとも話します。

1979年、実写映画「眠れる森の美女」のオーロラ姫役で声優デビュー。

戸田恵子さんは経験を積み、ミュージカル「ミュージックマン」で葦原英了賞、主演した「スイートチャリティ」で文化庁芸術祭賞を受賞するなど、劇団の看板女優に成長。

1989年、33歳の頃に劇団を退団。

退団後も、舞台女優として活躍。

1997年4月、劇団の駆け出しの頃から舞台を見に来ていた、三谷幸喜さんのオファーでフジテレビ系のドラマ「総理と呼ばないで」の官邸事務所秘書係主任役で出演し連続ドラマデビュー。

当時、戸田恵子さんは39歳。

舞台以外のドラマ、映画などの仕事の経験がほとんどなかったことからの新しいことに挑戦する不安と、主演が田村正和さんというプレッシャーもあり最初は丁重に辞退したそうです。

しかし、三谷幸喜さんは諦めず、

「(戸田恵子さんを)ずっと見てきた僕が書いてるので、どうぞ安心してやってください」

と説得され出演を決めたといいます。

1997年11月、公開の三谷幸喜さん監督・脚本の映画「ラヂオの時間」に旬は過ぎている元スター・千本のっこ役で出演し、

日本アカデミー賞優秀助演女優賞

を受賞。

以降は名バイプレーヤーとして活躍。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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