奈良岡朋子の結婚や夫は?子供はいる?マンションや経歴・大学などの学歴

女優

奈良岡朋子さんは東京都出身の女優。

経歴や高校、大学など学歴は?

女優デビューのきっかけは?

結婚歴や夫や子供は?

奈良岡朋子さんはマンション暮らし?

気になったので、女優の奈良岡朋子さんについて調べてみました。

奈良岡朋子の大学などの学歴・経歴

名前   奈良岡朋子
生年月日 1929年12月1日
出身   東京都文京区
身長   158cm
所属   劇団民藝

高校・東京府立第一高等女学校 → 青森県立弘前中央高校

大学・女子美術大学洋画科

東京府東京市本郷区、現在の東京都文京区生まれ。

父親は洋画家の奈良岡正夫さん。

戦争が激しくなり東京で空襲に遭い、1945年の東京府立第一高等女学校在学中に父親の故郷である青森県弘前市に疎開。

東京府立第一高等女学校は現在の東京都立白鴎高等学校・附属中学校です。

白鴎高校の現在の偏差値は63。

疎開先の弘前市で、青森県立弘前中央高校に編入し高校を卒業しました。

弘前中央高校も偏差値62の進学校です。

終戦後は東京に戻り、洋画科だった父親の影響もあり東京都杉並区にある女子美術大学洋画科に進学。

大学では演劇部に所属し、舞台装置などの製作を担当していました。

奈良岡朋子 女優デビューのきっかけ

奈良岡朋子さんは当時の娯楽だった演劇や映画を観て、映画に出演していた滝沢修さん、宇野重吉さんなどの演技に今まで受けたことの無いような感動を覚えたといいます。、

その後、滝沢修さんと宇野重吉さんの出演する帝劇での新劇公演のチラシの片隅に「研究生募集」の広告を見つけました。

奈良岡朋子さんは滝沢修さんと宇野重吉さんに会えると思い応募し合格。

父親と同じ画家になる道を断念し、女優の道に進むことを決め、父親と「絵筆は取らない」と約束をしたといいます。

1948年、民衆芸術劇場付属俳優養成所に1期生で入所し演劇の道をスタート。

同期には大滝秀治さんがいました。

同年に舞台「女子寮記」の寮生役で初舞台。

1950年、滝沢修さん、宇野重吉さんらが創設した「劇団民藝」に創設から参加。

鬼才といわれた宇野重吉さんから徹底的にしごかれ、確かな演技力を身につけ、「劇団民藝」の看板女優として活躍。

滝沢修さん、宇野重吉さんが亡くなった後は、大滝秀治さんと共に劇団の代表を務めました。

映画「釣りバカ日誌シリーズ」では鈴木一之助の妻、鈴木久江 役を長く演じました。

舞台、テレビ、映画で活躍しながら、ナレーターとして多く起用されています。

奈良岡朋子の結婚や夫、子供は?

奈良岡朋子さんは1度も結婚しておらず、子供もいません。

奈良岡朋子さんは結婚しなかった理由について、「演劇と同じくらいのめり込む相手とは出会わなかったので結婚しなかった」と話しています。

また、「劇団民藝」で若手の頃、宇野重吉さんに「結婚すると声が、ぬかみそ臭くなるからするな」と言われたこともあったといいます。

奈良岡朋子はマンション暮らし

2021年10月に奈良岡朋子さんは都内のマンションに暮らし、そのマンションにはテレビプロデューサーだった石井ふく子さん、女優の若尾文子さんも住んでいると報じられました。

女優の京マチ子さんも2019年5月に亡くなるまで暮らしていたそうです。

そのマンションは2002年頃に奈良岡朋子さんが見つけたそうで、奈良岡朋子さんが石井ふく子さんに「いいマンションができているみたい。あなた、ちょっと見てきてよ」と頼み、マンションを見て石井ふく子さんは気に入り、その場で入居を決めたそうです。

その後、奈良岡朋子さんも入居。

当時はお互い70代だったそうです。

若尾文子さんは2007年に夫を亡くした後に気持ちを変えたいと入居したそうです。

同じマンションに暮らしていても、べたべたした関係ではなく普段はお互い立ち入らないようにし、用事があれば連絡を取り合い、困りごとがあるとと相談し、どこか具合が悪いといえば、お医者さんを紹介し、場合によっては病院に一緒に行くこともあるといいます。

奈良岡朋子さんはあまり料理をしないそうで、石井ふく子さんはお惣菜をちょっと多めに作ってドアノブにかけて電話で連絡するんだとか。

そのかわり、奈良岡朋子さんはいただきもののお米や食材をお裾分けするそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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