日村勇紀と嫁の神田愛花の結婚の馴れ初めや子供は?学歴や経歴

芸人

村勇紀さんは神奈川県出身のお笑いコンビバナナマンのメンバー。

高校などの学歴や経歴は?

嫁は元NHKアナウンサーの神田愛花さんですが、出会いや結婚の馴れ初めは?

子供はいる?

気になったので、バナナマンの日村勇紀さんにいついて調べてみました。

日村勇紀の学歴・経歴

名前   日村勇紀
生年月日 1972年5月14日
出身   神奈川県相模原市
身長   172cm
所属   ホリプロコム

小学校・上溝小学校

中学校・上溝中学校

高校・相模田名高等校

大学・進学していません

父親、母親、兄の4人家族。

父親は会社員。

母親は保育士で日村勇気さんに顔が似ているそうです。

日村勇紀さんは広島県東広島市生まれ。

3歳の頃に父親の仕事の関係で、神奈川県相模原市に転居しました。

小学校は相模原市立上溝小学校。

小学生の時は少年野球チームに所属。

6年生の時には6年生が日村勇紀さんしかいなかったためキャプテンでしたが、レギュラーではなく補欠だったそうです。

最後の秋の大会では決勝まで進み、もう卒業だからと試合に出させてもらい、その試合でホームランを打ったと話しています。

児童会長も務めていたそうです。

中学校は相模原市立上溝中学校。

中学時代にはテニス部に所属。

少年野球の時と同様に補欠でしたが、キャプテンを務めていたそうです。

中学時代には女子が選ぶクラスのかっこいい男の子ランキングで5位になったことがあるといいます。

高校は相模田名高校に進学。

相模田名高校は神奈川県相模原市にある男女共学に県立高校。

偏差値は43

高校時代は陸上部に所属。

陸上部の同級生とお笑いコンビ「陸上部」を結成し活動。

高校卒業後は大学には進学せず、フリーターをしていました。

日村勇紀 バナナマン結成

日村勇紀さんは高校時代に陸上部の同級生とお笑いコンビ「陸上部」を結成。

渡辺正行さん主催のお笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」の情報を知りオーディションに参加。

コント大会にも出場しました。

高校卒業する頃に渡邊正行さんに進路を聞かれ、お笑いを続けいとの意向を話したところ、渡邊正行さん事務所に誘われ、1990年に事務所にに所属し芸能界入りしました。

高校卒業後もお笑いコンビ「陸上部」で活動していましたが、相方が結婚が決まり芸能界を引退することになりコンビ「陸上部」は解散。

日村勇紀さんは解散を告げられた際には平然を装っていましたが、「1人では芸人は出来ない」との自覚があり大きなショックを受けたそうです。

「陸上部」解散後はテレビの再現ドラマに出演したりするなどの活動をしていました。

他にも、1993年8月公開のアニメ映画「機動警察パトレイバー 2 the Movie」では声優として警備員役で出演。

1994年3月公開の映画「横浜ばっくれ隊」にはツッパリ・寛一役で出演。

映画は1995年7月まで3作作られ。日村勇紀さんは3作すべてに出演しました。

1993年10月に「4人でお笑いをやろう」と誘われ、その4人の中に現在の相方の設楽統さんがいました。

その後、4人から日村勇紀さんと設楽統さんが脱退する形でコンビを結成。

1944年2月、「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビュー。

同年春に「バナナマン」とコンビ名を改名しました。

バナナマンのコントのネタ作り設楽統さんが担当しています。

日村勇紀 バナナマンのブレイクのきっかけ

バナナマン結成後、定期的なコントライブを中心に活動。

最初の頃は小屋をおさえたり、チラシを作ったりすべて自分たちでやっていました。

コントライブの評価は高かったものの、「テレビ向きでない」という評価もありなかなかブレイクには至りませんでした。

2003年のテレビ朝日系「内村プロデュース」の若手芸人に企画で頭角を現し、ブレイクのきっかけは2005年のTBS系「ザ・イロモネア」。

難しい役どころのトップバッターを数多く務め、番組史上最多 100万円獲得数 三冠達成しました。

2008年10月には「キングオブコント」の第1回大会に出場し決勝に進出。

決選投票でバッファロー吾郎に5対2で敗れて準優勝となりました。

日村勇紀さんは、2008年12月31日から2009年1月3日までの出演数が19番組と、最も出演番組が多い芸人でした。

相方の設楽統さんは同率4位の13番組でした。

日村勇紀の嫁は神田愛花

日村勇紀さんは2018年4月にフリーアナウンサーの神田愛花さんと結婚しました。

神田愛花さんは8歳年下で、結婚時、日村勇紀さんは45歳、神田愛花さんは37歳でした。

嫁の神田愛花さんは1980年5月29日生まれ。

学習院大学理学部数学科卒業後、2003年にNHKに入局ました。

初任地は福岡放送局で、2005年には青山祐子さんの代役で「サタデースポーツ」、「サンデースポーツ」のキャスターを務めました。

2007年に東京に異動し、同年4月から「爆笑オンエアバトル」の6代目司会を担当。

2012年3月に9年間在籍したNHKを退職。

神田愛花さんは当時31歳でした。

2012年7月からセント・フォースに所属し、フリーアナウンサーに転身しました。

日村勇紀と神田愛花の馴れ初めや子供は?

日村勇紀さんと神田愛花さんの馴れ初め・出会いは番組での共演。

2013年末のクイズ番組の収録で、同じチームになった日村勇紀さんに神田愛花さんが一目惚れしたそうです。

アプローチも神田愛花さんからで、別の番組で共演した際に、神田愛花さんから、

「好きです」

と告白したそうです。

2014年11月から食事に行くようになり関係を深め、2015年2月から交際がスタート。

同年4月には写真週刊誌で半同棲生活が報じられ、双方の事務所も交際を認めました。

プロポーズは日村勇紀さんからで、クリスマスに自宅のソファーで、

「僕のことを幸せにしてください」

とプロポーズしたそうです。

約3年の交際期間を経て結婚しました。

2021年現在、日村勇紀さんと神田愛花さんに子供いないようです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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