東国原英夫さんは宮城県出身の政治評論家。
経歴や大学などの学歴は?
3度の結婚歴があるそうですが妻や離婚理由・原因は?
現在の妻との馴れ初めは?
子供は何人?
気になったので、政治評論家の東国原英夫さんについて調べてみました。
東国原英夫の学歴・経歴
名前 東国原英夫
生年月日 1957年9月16日
出身 宮崎県都城市
身長 170cm
所属 株式会社シンクバンク
宮城県都城市出身。
父親は不動産業。
兄弟は姉。
小学校は都城市立大王小学校、中学校は都城市立妻ヶ丘中学校を卒業。
中学時代はサッカー部に所属。
まじめな生徒で無遅刻無欠席。
学級副委員長を務めていました。
高校は都城泉ヶ丘高校を卒業。
都城泉ヶ丘高校は宮崎県都城市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は58~66。
高校時代はハンドボール部に所属。
ハンドボール部に入ったのは全国大会に行きたかったからだといいます。
当時の都城泉ヶ丘高校で強かったのが山岳部と弓道部とハンドボール部で一番格好よかったハンドボール部を選んだそうです。
2年生からレギュラーになり、全国大会には2年、3年のインターハイ、3年の国体の合計3回出場しました。
高校卒業後は専修大学経済学部に進学。
二学部分の入学費用と受験費用を持って上京しし早稲田大学、明治大学、専修大学を受験しましたが合格発表前にお金を使ってしまい、一学部分の入学費用残っておらず一番合格発表が早かった専修大学に入学したそうです。
入学手続きの締め切りがあり、他の大学に落ちることをの考えると待つことはできなかったようです。
実際は早稲田大学も合格していたそうです。
大学卒業後は芸人の道に進みました。
芸人になりたかったため当時は大学はどこでもよかったそうですが、早稲田大学にいかなかった後悔もあり、42歳で再び勉強し早稲田大学第二文学部に入学し卒業。
48歳で早稲田大学政経学部政治学科に入学しましたが、2年で中退して政治家に転身しました。
東国原英夫が芸人になった理由は?
東国原英夫さんは小学5年生の頃に将来はお笑い芸人と政治家になりたいと思っていたそうです。
お笑い芸人と政治家の共通点はどちらの職業も人を幸せにすると考えていたといいます。
『中二のときの家出でした。芸人になりたいと思い、家を出ました。』
引用 https://toyokeizai.net/
この家出は夜行列車で大阪の吉本興業を目指しましたが門司港駅で補導され連れ戻されたそうです。
大学卒業後の1980年、フジテレビ系の『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナーに出演した際に、同番組に出演していたたビートたけしさんのの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1981年1月に付き人なりました。
数多くいるビートたけしさんの弟子の第1号でした。
東国原英夫さんはビートたけしさんの弟子になることは前から狙っていて、そのチャンスを作るために『笑ってる場合ですよ!』に出演したそうです。
東国原英夫 そのまんま東
デビュー当初の芸名は東英夫でした。
大森うたえもんさんと『ツーツーレロレロ』というコンビで1982年に『お笑いスター誕生』で8週を勝ち抜きました。
1983年にビートたけしさんのの弟子で結成されたたけし軍団に参加しコンビは事実上解散になりました。
その後はけし軍団のリーダーとして、バラエティ番組で活躍しました。
東国原英夫 フライデー事件
1986年12月にビートたけしさんと当時親密に交際していた女性に『フライデー』の契約記者が取材し、女性が避けて立ち去ろうとした際に記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを女性の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせました。
これに激怒したビートたけしさんが弟子集団のたけし軍団の一部メンバー11人と編集部に押し掛けてその結果、暴行傷害事件へ発展。
それに東国原英夫さんも参加していたため
暴行罪で現行犯逮捕されたが不起訴処分ととなりました。
当時29歳でした。
東国原英夫 政治家に転身
東国原英夫さんは子供の頃のお笑い芸人ともう1つの夢でる政治家に転身を始めたのは2006年からでした。
当時49歳。
2006年に本人を代表とする政治研究会『そのまんま会』を設立。
2007年1月の第17回宮崎県知事選挙に無所属で出馬し当選。
2011年1月に任期を満了して退任後、同年4月の2011年東京都知事選挙へ立候補し約169万数を集めたが、前職の石原慎太郎知事に90万票強の大差を付けられ落選。
その後、2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から比例近畿ブロックに出馬。
比例単独の名簿順位1位として当選しました。
2013年2月に国会デビューし、同年10月に日本維新の会の広報委員長に就任。
しかし、同年12月に、
『日本維新の会の原点である理念、政策、方向性が変質・変容している感が否めない』
として党を離党し議員も辞職しました。
以降は政治家としての活動から一線を退き、テレビでコメンテーターやタレントとしてバラエティ番組にも出演しています。
東国原英夫の結婚歴は3度で最初の妻は?
東国原英夫さんの最初の結婚は1985年。
28歳の頃でした。
妻はタレントだった片平夏貴さん。
年齢は4歳年下。
番組の共演で出会いました。
離婚したのは1989年。
離婚はかとうかず子さんとの交際が原因と報じられています。
東国原英夫とかとうかず子の馴れ初めと離婚理由は?
東国原英夫さんの2人目の妻は女優のかとうかず子さん。
1990年3月、32歳の時に結婚しました。
かとうかず子さんは1歳年下。
出会いは1989年1月に放送されたTBS系ドラマ『ビートたけし殺人事件』での共演でした。
結婚後、浮気などが発覚しましたが離婚には至りませんでした。
離婚したのは2006年2月。
『彼の普通のところが好きで一緒になりましたけど、彼もだんだん忙しくなり、お互いにすれ違いが生じてきたのだと思います。彼の不祥事が原因ではありません。テレビで「私と(知事選に出る)宮崎のどっちが大事なのと迫られた」みたいなことを言っているようですが、それはネタですから信じないでくださいね』
引用 https://smart-flash.jp/
離婚の理由は東国原英夫さんの政界への転身だった言われていましたが、かとうかず子さんはそれを否定しています。
東国原英夫の現在の妻との馴れ初めは?
東国原英夫さんが3度目の結婚をしたのは2014年9月。
57歳の時でした。
妻は一般女性で20代年下。
結婚時は37歳でした。
元々、妻は宮城県知事時代の非常勤スタッフでしたが東国原英夫さんは記憶になく、2011年3月の都知事選で敗退した時に友人たちが開いてくれた励ます会で紹介されたそうです。
東国原英夫さんの母親の入院した時に、彼女が看病、介護を献身的にやってくれているを見て胸を打たれ、母親の介護をしている横で、
『俺の介護もしてくれないか』
と言ったら、
『ハイ、喜んで』
と答えたといいます。
3年の交際を経て結婚したそうです。
東国原英夫の子供は何人?
東国原英夫さんの子供は4人のようです。
最初の妻の片平夏貴さんとの間に1人。
2人目の妻のかとうかず子さんとの間に2人。
3人目の妻との間に1人。
片平夏貴さんとの子供の性別は不明でした。
かとうかず子さとの子供は、
息子が1990年
娘が1993年
に誕生。
3人目の妻とは、
2017年5月に息子が誕生しています。
生まれた時、東国原英夫さんは60歳、妻は40歳でした。
不妊治療をへての誕生だったことを明かしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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