榎木孝明の嫁は女優で子供は3人。断食・不食のその後は?激痩せは病気?

俳優

浅見光彦シリーズに出演していたことで知られる俳優の榎本孝明さんの学歴や経歴は

妻は女で優子供は3人。

断食・不食のその後は?

激痩せは病気?

気になったので、俳優の榎木孝明さんについて調べてみました。

榎木孝明の学歴・経歴

名前   榎木孝明
生年月日 1956年1月5日
出身   鹿児島県伊佐郡菱刈町(現・伊佐市)
身長   180cm
血液型  B型
所属   オフィス・タカ

父親、母親、姉が3人の6人家族。

両共に小学校の教師で、父親は厳しかったそうです。

小学校は菱刈町立湯之尾小学校、中学校は菱刈町立菱刈中学校を卒業。

小学生の時から絵を描くのが好きで、教科書が真っ黒になるほど、余白に絵を描いていたそうです。

中学時代は剣道部に入りましたが、稽古が厳しくて退部しています。

高校は大口高校に進学。

大口高校は、鹿児島県伊佐市大口里にある男女共学の県立高校で、偏差値は45。

男女共学ではありましたが男女別クラスでだったそうです。

高校時代は美術部とバスケットボール部を掛け持ち。

バスケットボールに入ったのは運動部以外は軟弱と見られたため、カムフラージュする必要があり入部したそうです。

大学受験には失敗し、上京して1年の浪人生活を経て、、武蔵野美術大学・造形学部デザイン科に進学。

東京都小平市小川町にある私立大学で、偏差値は50。

大学時代は陶器や磁器を専攻していました。

榎木孝明 俳優デビュー

浪人時代にに週刊誌で小さな劇団の募集記事をもつけると、自分自身を試してみたいという衝動から応募。

週に一度、芝居をしながら照明や演出助手を手伝い芝居にのめり込んで行き、本格的に芝居をやりたくなり、劇団四季の試験を受けて合格。

20歳の時に父親が亡くなり、アルバイトをせざる得な状況になり、大学は2年で中退。

1984年、連続テレビ小説『ロマンス』でテレビデビュー。

1995年からはフジテレビ系の「内田康夫サスペンス 浅見光彦シリーズ」で主演の浅見光彦 役を演じ2002年まで務め、2003年からは光彦の兄で警察庁刑事局長である浅見陽一郎 役として引き続き出演しました。

榎木孝明の嫁は女優

榎木孝明さんの嫁は女優の鈴木輝江さん。

1996年に結婚しました。

鈴木輝江さんは1970年1月10日生まれで、14歳年下。

子役出身で、1980年から放送された2代目あばれはっちゃくではヒロインを務めていました。

舞台での共演で出会い、1996年の浅見光彦シリーズ「横浜殺人事件」で共演しています。

結婚後は、女優業はしていないようです。

榎木孝明の子供は3人

榎木孝明さんの子供は息子が2人と娘が1人の3人。のようです。

子供が通っていた学校は青山大学、成城学園、和光学園などの情報がありました。

榎木孝明の断食・不食のその後は?

榎木孝明さんは、2015年6月にフジテレビの情報番組『とくダネ!』で30日間の不食を公表。

体重を80Kgから71Kgに落としたといいます。

不食をしたきっかけは、映画『アダン』で役作りのため2週間で15kg減量したことがあり、それまでも事を取らないことで神経が研ぎ澄まされ体調も良くなったことが度々あり、ドラマの撮影前には数日間の「不食」をして撮影に望み、良いことしか起きてないと感じたそうです。

多くの医者は否定的でしたが、2015年に30日間食事を取らない「不食」を実践。

不食実践の時には、都内のある病院の一室を借りてそこで寝泊りし、定期的に血圧や血糖値などの検査をしてデータをとり、体調を崩したり、ドクターストップがかかった場合は不食を中断するつもりだったそうです。

不食の期間は、水とコーヒーは摂取し、血糖値が下がった時には低血糖発作を起こして昏倒するリスクがあるため、糖分としてブドウ糖のかけらや飴をなめたことはあったそうです。

体重は11kg落ちましたが、空腹感はなかったと話しています。

不食について賛否両論があることも理解していて、決して食べないことを推奨しているわけではないといます。

その後も10日くらい食べないことは何回かあると話しています。

榎木孝明の激痩せは病気?

榎木孝明さんは「激痩せ」「病気」で多く検索さていますが、病気になった報道はなく、痩せているのは不食や役作りで、2023年5月の舞台「泣いたらあかん」に出演した時には10kg痩せて舞台に上がったそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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