北大路欣也さんは京都出身の俳優。
学歴や経歴は?
北大路欣也さんの父親は有名な映画俳優のようです。
北大路欣也さんの嫁はどんな人なんでしょうか?
子供は息子?
現在は老人ホームで生活している?
北大路欣也の若い頃の画像は?
気になったので、北大路欣也さんについて調べてみました。
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北大路欣也の学歴・経歴
名前 北大路欣也
生年月日 1943年2月23日
出身 京都府京都市
身長 174cm
所属 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
北大路欣也さんは京都府京都市出身。
父親は映画俳優の市川右太衛門さん。
兄と姉がいる3人兄弟。
本名は 淺井将勝(あさい まさかつ)
芸名の京都市内の北大路に住んでいたことに由来。
小学校は京都市立紫竹小学校
中学校は同志社香里中学校から暁星中学校に編入。
高校は暁星高校
大学は早稲田大学第二文学部演劇専修
1956年、父親の市川右太衛門さん主演映画「父子鷹」で勝海舟の少年時代役を演じ子役デビュー。
映画は北大路欣也さんが小学6年生の時に撮影され、中学1年生の時に公開されました。
映画デビューした翌年に東京に移り、大阪の同志社香里中学校から東京の暁星中学校に編入して通いました。
1958年5月公開の映画「少年三国志」に15歳で映画初主演。
1963年8月公開の映画「海軍」で現代劇初主演。
北大路欣也さんは10代の頃はずっと俳優をしていく気はなく、出ろといわれていたから出演していただけだと話しています。
早稲田大学に入学したのも、兄が早稲田大学理工学部に通っていたことから、雰囲気の良さを感じ入学したといいます。
1966年、シングル「涙をふたりで」をリリースし歌手デビュー。
北大路欣也さんは1993年までにデュエット曲を含め7枚のシングルを発表しています。
北大路欣也 大学卒業後
1964年、舞台「シラノ・ド・ベルジュラック」で舞台デビュー。
1968年、大河ドラマ「竜馬がゆく」で主演。
北大路欣也さんは当時25歳。
北大路欣也さんは20代は大酒飲みでしたが、28歳の時、東映の先輩の高倉健さんに自身の生活態度の甘さを知らされたそうです。
その後、北大路欣也さんは高倉健さんと同じトレーニングクラブに入り通い、たばこの量や酒の量も減り、食事のことも考えるようになったといいます。
1977年、映画「八甲田山」に高倉健さんとともに主演。
映画「八甲田山」は1977年の日本映画第1位を記録し、劇中での北大路欣也さん演じる神田大尉の台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語になりました。
高倉健さんと北大路欣也さんは同映画で、
第1回日本アカデミー賞主演男優賞
を受賞しました。
テレビでは時代劇でも活躍し、2012年からはフジテレビ系のテレビ時代劇「剣客商売」の主演を藤田まことから引き継ぎました。
2015年11月、秋の勲章で旭日小綬章を受章。
北大路欣也の若い頃
北大路欣也さんの若い頃の画像。
時代劇専門CH、昭和31年の映画『父子鷹』録画確認。北大路欣也は本作でデビュー。最初からほぼ完成形だった松方弘樹と比較すると、欣也さんは長い芸能生活の中で声や容姿に大きな変化が。本作から今やってる「今晩は徳川家康です」まで実に65年の歳月。 pic.twitter.com/NQDeyIzWgM
— 謎の毒殺魔殿 (@aoinoabarenbou) April 20, 2021
北大路欣也さんが子役デビューした時の画像で、12歳でした。
若い頃の北大路欣也のなんとなく貴澄せんぱい感 pic.twitter.com/LCBqUa5auq
— むめ (@prism814) August 18, 2015
1967年にリリースした2枚目のシングルのジャケットです。
北大路欣也さんは当時24歳でした。
北大路欣也ってこんなシュッとしたイケメンだったんだな。若い頃の顔って全然わかんないもんだから、観ながら「この目元…誰かに似てる…誰かに…」とモヤモヤしてたんだけど程なくして「誰か」は北大路欣也だわと気付く。知ってた。 pic.twitter.com/9SZ9MsjG0t
— 353 (@threefivethree) June 30, 2019
1977年6月に公開された映画「八甲田山」の北大路欣也さん。
当時33歳でした。
北大路欣也の父親は時代劇スター
北大路欣也さんの父親の市川右太衛門さんは小学校卒業後、上方歌舞伎の第一人者・2代目市川右團次の弟子となり、市川右一の名をもらい関西青年歌舞伎の一員となりました。
1925年、18歳の時、映画入りを誘われ市川右太衛門と改名し映画「黒髪地獄」で主演デビューし、戦前・戦後期の時代劇スターとして活躍。
同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫とともに「時代劇六大スター」と呼ばれていました。
市川右太衛門さんは東映の役員も兼務しており、北大路欣也さんが子役として映画に出演したのは市川右太衛門さんの意向だったようです。
1966年に東映から「取締役から相談役に退いて欲しい」という打診を受け、「時代も変わった。これ以上ここにいれば(北大路)欣也を縛り付ける事にもなりかねない」と考え、東映を退社し引退。
退社後は京都から東京に居を移し、舞台を中心に活動し、80歳過ぎても主演で活躍しました。
1999年9月、92歳で他界。
北大路欣也の嫁
北大路欣也さんが結婚したのは1977年11月。
嫁は一般女性で名前は祥子さん。
年齢は6歳年下。
結婚した時、北大路欣也さんは34歳。
2人が出会ったのは北大路欣也さんが15歳の頃。
21歳の頃から交際が始り、13年間の交際期間を経て結婚しました。
2007年に行われた紫綬褒章祝賀パーティーでは、
「受章は30年にわたって支えてくれた妻のおかげ」
と妻への感謝の言葉を述べたといいます。
北大路欣也の子供は息子?
北大路欣也と検索すると「子供」「息子」の関連ワードが出てきます。
子供は息子なのかと調べてみると、北大路欣也さん夫婦には子供はいないようです。
「あの夫婦にはお子さんもいませんから」
引用 https://www.news-postseven.com/
息子というのは噂だけのようです。
北大路欣也は嫁と老人ホームで生活
北大路欣也夫妻が老人ホームに入居したのは、北大路欣也さんが70歳の頃だといいます。
2人とも体は元気でしたが老人ホームに入居を決意。
理由は愛妻のためで知人によれば、
「彼は仕事が忙しくて、しょっちゅう家を空けなければならない。奥さんは6歳年下で健康にも問題ないようですが、愛妻家の北大路さんとしては自分の留守の間に妻に何かあったらと心配でならない。それで万が一の時でも安心なホームに入ることを決めたようです。」
引用 https://www.news-postseven.com/
自分が家にいない間の嫁が心配だったようです。
北大路欣也さんが入居した老人ホームは都内にり、高級ホテル並みの設備だといいます。
「ロビーには高級ソファが並び、食事は都会の夜景を見下ろすダイニングで、専属シェフの手による日替わりメニューを味わえる。ほかにもジャグジーやラウンジなどを備えている。」
引用 https://www.news-postseven.com/
ホームドクターと看護師、ケアスタッフが24時間常駐。
入居金は5000万円を超えるといわれ、加えて食費など月々の費用が数十万円かかるともいわれており費用もかなり高額なようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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