前園真聖の結婚、嫁や子供についてや酒事件、高校などの学歴や経歴

スポーツ

前園真聖さんは鹿児島県出身の元サッカー選手。

前園真聖さんは結婚しているようすが、嫁はどんな人で馴れそめは?

子供はいるのでしょうか?

前園真聖さんの酒事件の内容は?

学歴やサッカーでの経歴は?

気になったので、前園真聖さんについて調べてみました。

前園真聖の嫁や子供

前園真聖さんは2017年12月24日に結婚。

嫁は10歳年下のダンサー。

結婚した時、前園真聖さんは44歳、嫁は34歳でした。

交際期間は10年だったそうです。

交際相手がいることは写真週刊誌にも撮られていましたし、2015年には前園真聖さん本人もテレビ番組でも認めていました。

韓国へ婚前旅行に行った際、街を歩いている時に

「結婚してください」

とプロポーズしたそうです。

2020年7月現在、前園真聖さんに子供はいないようです。

前園真聖の飲酒事件の内容

前園真聖さんは2013年10月13日に、都内の路上でタクシー運転手に暴行を加えた疑いで現行犯逮捕されました。

事件の内容は、

夜から朝まで飲んだ前園真聖さんがタクシーで帰宅し、自宅の近くで「気持ちが悪い」と料金未払いのまま下車したため、運転手が精算しようと近寄ったところ、前園真聖さんに暴力を振るわれました。

タクシーの運転手に怪我はありませんでしたが、前園真聖さんには当時の記憶がないという事件でした。

前園真聖さんは12日の夜に、テレビ東京のスポーツ番組に出演後、都内で友人らと食事。1軒目では「焼酎4、5杯」を飲み、その後、新宿に移動ししからも飲酒をしたと話しますが、飲酒量は覚えていないとも話しました。

前園真聖さんは13日の午前8時半頃まで飲んでいたようです。

その後、帰宅のためにタクシーに乗りますが、前園真聖さんは乗車してからの記憶が無いと話しました。

前園真聖さんは、処分保留で釈放され、タクシー運転手とは示談となりましたが、レギュラー番組を降板するなど大きな影響がありました。

元々、前園真聖さんはビール1杯で酔うほど、お酒は強くなかったといいます。

でも、飲んだ方が楽しかったので飲んでいたと後にテレビ番組で明かしました。

前園真聖の学歴、経歴

名前   前園真聖
生年月日 1973年10月29日
身長   170cm
出身   鹿児島県薩摩川市

前園真聖さんは鹿児島県薩摩川市生まれ。

4歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られて母子家庭で育ちました。

4歳年上の兄の影響で、ものごこころつく前からサッカーボールに親しんでおり、小学校1年の時に兄が所属していた東郷サッカー少年団に入団しサッカーを始めました。

元アルゼンチン代表のマラドーナのビデオを見たことで憧れ、日曜日もひとりで学校に行きドリブルの練習をしていました。

前園真聖さんが5年生の時には県大会のベスト4に進出。

進学した公立中学校の東郷中学校にはサッカー部がなかっため、陸上部に所属。

種目は短距離。

2年生の時にサッカー部が創設され入部。

3年生の時には、鹿児島県選抜にも選ばれ、高校はスポーツ推薦で、

鹿児島実業高等学校

に進学。

鹿児島実業高校は1995年から男女共学ですが、前園真聖さんの時代は男子校。

野球部も甲子園出場経験があり、ぷろさっかっカー選手だけでなく、プロ野球選手やラグビー選手も輩出しているスポーツの強い高校ですが、進学コースもあり、進学クラスの偏差値は72で鹿児島では有数の進学校でもあります。

前園真聖さんは名門鹿児島実業高校で1年生からレギュラー出場。

高校時代は3年連続で高校サッカー選手権の全国大会に出場し、前園真聖さんが2年生の時には全国優勝しています。

高校の2年後輩には元日本代表の城彰二さんがいました。

前園真聖のプロサッカー選手時代の経歴や年俸

前園真聖さんは高校卒業後の1992年、、Jリーグの横浜フリューゲルスに入団。

翌年の1993年にJリーグ初年度が開幕。

同年前半にアルゼンチンのヒムナシア・ラ・プラタへ2ヵ月間短期サッカー留学。

前園真聖さんはこのサッカー留学で、他国の選手のハングリー精神に驚き、「おかげで完全に考え方が変わった」と話しました。

1994年には8ゴールを決め、レギュラーに定着。
同年1月、西野朗監督率いるU-21日本代表の合宿の召集。

同年5月にはA代表にも招集。

2つの代表チームを掛け持ちしていまいしたが、前園真聖さんの意向が考慮されでオリンピック代表を優先されるることにまりました。

1995年、U-21日本代表のキャプテンに指名。

1996年3月、1968年メキシコシティ大会以来、7大会(28年)ぶりのオリンピック本大会出場権獲得。

同年7月、初戦で金メダル候補のブラジルから大金星を挙げ、「マイアミの奇跡」と呼ばれました。

しかし、得失点差で決勝トーナメント進出はできませんでした。

1997年1月31日、横浜フリューゲルスからヴェルディ川崎に移籍、

前園真聖さんの移籍金は3億5千万といわれ、当時の日本人サッカー選手の過去最高金額だったようです。

当時23歳の、前園真聖さんの年俸は8000万~1億円だったいわれていますが、同年の前園真聖さんはCM起用社数ランキングで木村拓哉さんや所ジョージさんと並んで第2位だったこともあり、実際の収入は数倍ともいわれます。

1998年10月からブラジル・サンパウロ州の名門クラブ、サントスFCに3ヶ月の期限付き移籍。

1999年にはブラジルゴイアス州の強豪クラブのゴイアスECに期限付き移籍。

2000年にはこの年からJ2に降格した湘南ベルマーレに期限付き移籍

2001年、保有権を持つJ1・東京ヴェルディ1969に3年ぶりに復帰。

2002年7月、監督の構想外となったため戦力外通告。

前園真聖さんは当時27歳でした。

ヴェルディ退団後、前園真聖さんは人を通じて韓国・Kリーグのクラブへの移籍を模索し、2003年、安養LGチータースと契約。

前園真聖さんの韓国での年俸は日本円でおよそ2000万円で出場してチームが勝利すれば、日本円で約40万円が上乗せされるという契約だったようです。

2004年には、Kリーグ・仁川ユナイテッドFCと契約。

2004年末で契約が解除され、2005年5月に引退を表明。

引退した時、前園真聖さんは31歳でした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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