山村美智さんは三重県出身の元¥フジテレビアナウンサー。
経歴や高校、大学などの学歴は?
旦那や子供はいる?
ひょうきん族とは?
気になったので、フリーアナウンサーの山村美智さんについて調べてみました。
山村美智の高校、大学などの学歴・経歴
名前 山村美智
生年月日 1956年11月5日
出身 三重県伊勢市
身長 166cm
中学校・セントヨゼフ女子学園中学校
高校・セントヨゼフ女子学園高校
大学・津田塾大学学芸学部英文学科
出生名は山村美智子。
父親は建設会社を経営していましたが、3歳の時に他界。
ひとりっ子で、父親が亡くなった後は会社は倒産。
母一人子一人の生活でした。
母親は勝気な性格の人だったといい、山村美智さんは子供の頃不自由な思いはしなかったといいます。
母親は帰りが遅い日も多く、山村美智さんは鍵っ子でした。
山村美智さんは子供の頃、大人しいい子供で自分を表現することに勇気いる感じだったといいます。
中学はセントヨゼフ女子中学校に進学。
セントヨゼフ女子中学校は三重県津市にある私立の女子校。
カトリック系の学校です。
中学時代は演劇部に所属。
高校はエスカレーター式でセントヨゼフ女子学園高校に進学しました。
セントヨゼフ女子学園高校の偏差値は60。
高校時代でも演劇部に所属。
高校2年生の時には学園会長を務めました。
学園会長の任期が終わった3年生の5月ぐらいから本格的に受験勉強を始め、大学は津田塾大学学芸学部英文学科に合格。
中学高校の演劇部時代から「女優になりたい」との思いがありましたが、母親に「何になるにしてもともかく大学だけはちゃんとでるように」と言われ、大学は母親のためだけに受けた感じだったといいます。
大学時代は一橋大学と津田塾大学などで構成された演劇サークル「劇団コギト(己疑人)」に在籍していました、
山村美智 大学在学中に女優デビュー
大学入学後は周りの雰囲気などから女優になるのは無理だろうと思っていたそうですが、ひょんなことから女優デビューを果たします。
山村美智さんは就職が決まっていた大学4年生の時、当時、大人気だったミュージカル劇団「東京キッドブラザース」のチケットを買おうと売り場に並んでいました。
すると、「東京キッドブラザース」主催者の東由多加さんが近くを歩いていたそうです。
その東由多加さんが山村美智さんの前で足を止め、山村美智さんに、
「君、女優になりませんか?」
と言ったそうです。
山村美智さんは「へっ?」みたいな感じでおどろきましたが、女優になりたいとの思いがあったことから思わず「はい」と返事をしたそうです。
母親にそれを告げると、
「とにかくあなたが好きことをやるのなら1年間だけやりなさい」
と言われ、山村美智さんは「東京キッドブラザース」に入団し女優デビュー。
給料も5万円もらえたそうです。
舞台デビューは武道館でした。
劇団は人気で、山村美智さんは新人でしたが握手を求められたりもしたといいます。
山村美智さんにもすぐファンが付き、「美智子」と書いたポーチなど、多くのプレゼントをもらったそうです。
劇団では地方公演もあり、新人公演では主役を務めましたが、母親との約束通り1年で劇団は退団しました。
山村美智 フジテレビ入社
山村美智さんは劇団「東京キッドブラザース」を退団した後、1980年にフジテレビに入社しました。
フジテレビに入社したのは、表現するという意味でアナウンサーがいいのではないかと思ったことが理由だといいます。
受験者は200人で入社試験には箱根のVTRを見せられて実況するなどがあり、山村美智さんは上手くできず途中でこれは落ちたなと思ったこともあったそうですが、結果は合格。
後に面接官に「前に出る感じじゃなかったからよかった」と言われといいます。
同期入社には神奈川県知事になった黒岩祐治さんや、フジテレビ社長になった亀山千広さんがいました。
山村美智 ひょうきん族
山村美智さんはフジテレビで放送されていた「オレたちひょうきん族」の初代ひょうきんアナウンサーとして活躍しました。
フジテレビ入社後、3ヶ月の研修を経てアナウンサーデビーしましたが、当時のフジテレビアナウンサーは報道局所属で、仕事はニュースと天気予報を読むくらいで仕事自体はあまりなかったそうです。
山村美智さんが入社2年目の1981年の4月からアナウンサーは報道局から編成局に異動。
編成局からもキャスティングされるようになったそうです。
山村美智さんは2年目でしたがその年はアナウンサーを入れなかったため、一番下でした。
同期のアナウンサーは山村美智さんを入れて3人いましたが、他の2人はワイドショーのリポーターをやっていたことから、「オレたちひょうきん族」の初代アナウンサーの仕事が回ってきたそうです。
仕事が来た際にまず言われたのは、
「いやだったら断っていいよ」
だったといいます。
山村美智さんは当時、毎日多くのお茶汲みをし、湯のみを洗って皮膚が炎症を起こして病院にも通っていたことから、お茶汲みから逃げられると思い出演を承諾しました。
番組には普通の衣装では浮いてしまうことから派手な衣装で出演していましたが、当時はアナウンサーにスタイリストはついておらず、自身で衣装を借りて番組に出演していたそうです。
「懺悔コーナー」で容赦なく水を被らされた時には自腹で買い取ったといいます。
当時はタレントのようなアナウンサーはいなかった時代で、山村美智さんは「初代ひょうきんアナウンサー」として一躍人気アナウンサーになりました。
1985年にフジテレビを退社しフリーアナウンサーに転身。
山村美智さんは当時29歳、アナウンサーだけでなく女優としての活動も始め、2001年に山村美智子から山村美智に芸名を改めました。
山村美智の旦那や子供は?
山村美智さんが結婚したの1984年。
28歳の頃でした。
旦那はフジテレビ社員だった宅間秋史(たくま あきふみ)さん。
年齢は1歳年上。
宅間秋史さんは慶應義塾大学卒業後、フジテレビに入社。
フジテレビ在籍中は主に、1980年代の映画やテレビドラマを数多く担当。
映画では1995年公開の「花より男子」、1999年の「GTO」。2001年の「ウォーターボーイズ」などのプロデュースを担当しています。
2015年にフジテレビを退社後は製作会社「(株)サンダーストームエンターテイメント」を設立しました。
2019年7月に旦那の宅間秋史さんに食道がんが発覚。
13回の入退院を繰り返し、2020年12月に亡くなりました。
結婚生活は36年目でした。
「一人っ子同士の結婚で子どもはいません。」
引用 https://www.nikkei.com/
山村美智さんと宅間秋史さんに子供はいなかったようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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