ウエンツ瑛士さんは東京都出身のタレント。
実家は金持ち?
年収がスゴイ?
結婚や彼女は?
英語が話せない?
学歴、経歴は?
気になったので、タレントのウエンツ瑛士さんについて調べてみました。
ウエンツ瑛士の実家は金持ち?
ウエンツ瑛士さんは「実家 金持ち」で検索されているようです。
父親はドイツ系アメリカ人、母親は日本人のハーフ。
両親は共働きだったそうで、外資系企業に勤めていたとの情報もありました。
子供の頃に両親が離婚しいることを明かしていて、離婚後は母親に引き取られて育っています。
そのためか、実家あまり裕福ではなかったと過去に話していたことがあったようです。
ウエンツ瑛士は英語が話せない?
ウエンツ瑛士さんの父親はアメリカ人ですが、子供の頃に両親が離婚し、父親を離れたためほとんど英語は聞いてなく、英語は話せませんでした。
ハーフで見た目が外国人よりのため、子供の頃から外国人に話しかけられ、遠くにいる時から話しかけて来そうな雰囲気がわかり、いつも心の中で、
「無理無理」
と思っていたと話しています。
英語を話せるようになったのは、2018年10月にイギリスに留学してからでした。
イギリス留学に行く前に英会話教室に通ったそうですが、教室に入るとざわざわして、自分の見た目で英会話教室に通っている感じが恥かしかったそうです。
イギリスでは演劇も学びましたが、英語を学ぶのメインで、英語学校に通い、夜に演劇学校に通っていたといいます。。
イギリスに行ってから英語が聞き取れるようなたなったのは速かったそうで、日本に帰国する前にはイギリスで英語で2人芝居の公演もしたそうです。
日本に帰って来てすぐに、その英語の2人芝居の公演をする予定でしたが、帰国した時はちょうど日本でコロナが広がっていた時で、芝居をすることは出来ず、帰国後はほとんど英語は話していないため、英語をどれだけ覚えていられるかも分からないといいます。
ウエンツ瑛士の年収がスゴイ?
「えっ、ウエンツさんって年収3000万円ないんですか?」
2020年2月にウエンツ瑛士さんは「2ちゃんねる」創設者のひろゆきさんのユーチューブライブにゲスト出演。
留学から帰国後は実家で母親と生活しながら、新居を探しましたが、9回の審査に落ちて、結局、35年ローンで自宅を購入したと話しました。
その際に、住宅ローン控除が0.7%になる前の1%に駆け込めたとも話し、その後視聴者から、
「住宅ローン控除が使えるということは、所得3000万以下で間違いないですか?」
と質問されると、
「わざわざ聞いてくるんですね」
と苦笑いしました。
ライブの中でウエンツ瑛士さんは、
「うちは歩合の会社じゃないんで。サラリーマンなんで。」
「年数こそが正義です。年数重ねれば。役職も上がっていくんで。」
とも話しています。
ウエンツ瑛士の結婚や彼女は?
ウエンツ瑛士さん2022年2月にひろゆきさんのユーチューブライブに出演した際に、
「自慢じゃないけど週刊誌に撮られたことは1度も無いんですよ。」
と、交際はあったけど、写真を撮られて写真週刊誌にで報じられたととはないと話しました。
写真を撮られてはいませんが、2010年に元AKBの大島優子さんと熱愛が報道され、お互いに交際は否定しました。
小池徹平さんと「WaT」を組んでいたこともあり、熱愛が報道されて迷惑が意識していたとも話し、イギリス留学時代に、初めて女の子と手を繋いで歩いて「こんなに楽しいんだ」と32歳で気づいたと話しています。
結婚については、2023年3月にフジテレビの「ぽかぽか」に出演した際に、
「(結婚願望は)結構昔からありますけどね」
と話し、結婚相手の理想像については、
「変わってる人がいいっすね」
「刺激のある人が好き」
と話しました。
ウエンツ瑛士の学歴・経歴
名前 ウエンツ瑛士
生年月日 1985年10月8日
出身 東京都武蔵野市
身長 170cm
血液型 O型
所属 バーニングプロダクション
父親はアメリカ人、母親は日本人で兄弟は5歳年上の兄。
小学生の頃に両親は離婚。
1989年、4歳の時からモデルとして芸能活動を始め、CMなどでも活躍。
1994年、9歳の時に 劇団四季のミュージカル 『美女と野獣』 のチップ役で役者デビュー。
1995年からNHKの人気子供番組 『天才てれびくん』にてれび戦士として5年間レギュラー出演。
小学校は武蔵野東小学校に入学。
東京都武蔵野市緑町にある私立小学校です。
中学校も同じ系列の武蔵野東中学校を卒業。
中学校は東京都小金井市緑町にあります。
偏差値は48。
中学の時も『天才てれびくん』出演していましたが、学校ではバスケットボール部に所属していました。
高校は日本大学櫻丘高校を卒業。
東京都世田谷区桜上水にある男女共学の私立高校で、偏差値は62。
高校卒業後は、大学にには進学していません。
高校時代にバラエティ番組に出演するようになり、2002年、17歳の時に小池徹平さんとシンガーソングライター・デュオ「WaT」結成。
2005年にシングル「僕のキモチ」でメジャーデビューし、同年に『第56回NHK紅白歌合戦』 に初出場。
2006年から フジテレビの『あいのり』、『ポンキッキ』などのメインレギュラーに抜擢。
同年もWaTで『第57回NHK紅白歌合戦』に2年連続出場。
ウエンツ瑛士さんはバラエティ、小池徹平さんは俳優の活動が増え、WaTは2016年に解散しました。
2018年10月から芸能活動を休止し、1年半、イギリス・ロンドンに留学ました。
2020年に帰国し日本テレビの『火曜サプライズ』で芸能界復帰しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。