渡辺篤史さんは茨城県出身。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚している?妻は?
子供は娘?
現在の仕事は「渡辺篤史の建もの探訪」だけ?
気になったので、俳優でタレントの渡辺篤史さんについて調べてみました。
渡辺篤史の高校、大学などの学歴・経歴
名前 渡辺篤史
生年月日 1947年11月28日
出身 茨城県下妻市
身長 170cm
所属 I・T企画
茨城県下妻市生まれ。
実家は養蚕業などをしていた農家で、家は4階建て。
母屋続きの蔵には祖父が集めた古道具や多くの書籍があり、そこが渡辺篤史さんの遊び場だったといいます。
4歳歳の時に両親が離婚し、母方に引き取られ、祖父母の家に預けられました。
母親だけ東京に行き生活に基盤を作り、渡辺篤史さんが小学3年生の時に東京に呼ばれ移住。
住んでいたのは豊島区千川だといい、当時は農家も多かったそうです。
高校は日本大学鶴ヶ丘高校に進学。
日本大学鶴ヶ丘高校は東京都杉並区にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は68。
大学は日本大学文理学部国文学科に進学。
大学は2年で中退し俳優の道に進み進みました。
渡辺篤史は元子役
渡辺篤史さんは小学3年生の時に、茨城から東京に引越し転校しましたが、あいさつそしたところ、茨城なまりを大爆笑され、引きこもり状態になったそうです。
それを知った母親の知り合いに児童劇団に入ることを勧められ、小学5年生の時に劇団若草に入団しました。
中学1年生の時にフジテレビ系ドラマ「にあんちゃん」で子役デビュー。
翌年の1961年に同じくフジテレビ系ドラマ「三太物語」に主演し、子役としての人気を獲得しました。
渡辺篤史 俳優活動と借金
渡辺篤史さんは子役として人気を得て、その後も俳優として活動。
高校卒業後も俳優をしながら、日本大学に入学しますが、母親が占い師に騙され投資に失敗し、数千万円の借金を抱えて、自宅も差し押さえられてしまったそうです。
渡辺篤史さんも連帯保証人になっていたことから、大学はやむを得ず中退。
俳優活動に専念し借金を返済しました。
ドラマ2本と舞台を掛け持ちして、睡眠時間は3,4時時間と生活を続けながら、借金の返済には15年かかり、完済したのは35歳の時だったそうです。
1990年頃からはナレーターとしても活動し、多くの番組でナレーションを務めています。
渡辺篤史の妻は?子供は娘?
渡辺篤史さんが結婚したのは1982年で35歳の頃のようです。
妻は一般女性のようです。
子供は娘が2人います。
渡辺篤史の現在は建もの探訪だけ?
渡辺篤史さんは俳優としてデビューし活躍しましが、俳優をしていたのは1990年代半ば頃までで、現在は「建もの探訪」の仕事とナレーションの仕事に絞っているようです。
「15年かけて完済したという苦労から、現在の仕事はほぼ「建もの探訪」に絞り、俳優としての自分は過去のものとしている」
引用 https://www.speakers.jp/
「渡辺篤史の建もの探訪」の放送が開始したのは1989年4月で、渡辺篤史さんが42歳の時。
母親の借金の返済を終えて、家族と暮らしていけるだけの経済的基盤ができ、あとは自分のペースで仕事をやりたいと思っていた矢先だったそうです。
渡辺篤史さんは小学3年生まで茨城の大きな家で育ち、東京に来てから文化住宅という名の小さな家に住んだ経験から、子供の頃から建築やデザインに興味があり、番組が始まる10年以上前から建築や住宅関連の雑誌の定期購読していたそうです。
そのことを人に言ったことはなかったことから、ドラマで一緒に仕事をしたプロデューサーから「建物の番組をやってみない?」と誘われた時には驚いたといいます。
渡辺篤史の建もの探訪は3ヶ月だけの予定だった
「渡辺篤史の建もの探訪」はもとは観光番組で沖縄から桜前線とともに東京まで北上しながら、学校や市庁舎など公共建築を紹介するという企画で、3カ月で終わる予定だったそうです。
しかし、自邸として再生させた弧風院となどの個人の建築家の仕事を目のあたりにするうちに、彼らの仕事をもっと世の中に知らせたいという思いがわき、渡辺篤史さんは
「大きな建物ばかりではなく、個人の住宅にも面白いものがたくさんあるから、個人住宅を紹介しましょう」
と趣味でストックしていた建築雑誌を番組会議に持っていってお願いしたそうです。
当初は個人の建築家が建てた住宅を取り上げる番組はスポンサーの問題もあり、聞き入れてもらえなかたそうですが説得を続け、口説き落としたそうです。
現在では30年以上の長寿番組になっています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。