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ヤマザキマリの経歴が面白い!夫と離婚?息子は京都大学?炎上した?


ヤマザキマリさんは女性漫画家。

ヤマザキマリさんの代表作は「テルマエ・ロマエ」で映画にもなりましたね。

ヤマザキマリさんの経歴が面白いようです。

夫と離婚したとの噂が。

ヤマザキマリさんの息子は京都大学との話も。

ヤマザキマリさんはツイッターが炎上したことがあるようです。

気になったので、ヤマザキマリさんについて調べてみました。

ヤマザキマリ 経歴

名前   ヤマザキマリ
生年月日 1967年4月20日(49歳)
出身   東京都
所属   株式会社CRG

ヤマザキマリさんは東京で生まれますが、幼少期は、2つ下の妹と共に、北海道千歳市で過ごししました。

ヤマザキマリさんの母親はヴィオラ奏者で札幌交響楽所属していたのが理由だそうです。

父親はオーケストラの指揮者でしたが、幼い頃に亡くなったそうです。

ヤマザキマリさんも幼い頃から、バイオリン、やピアノを習っていたとのこと。

ヤマザキマリ 14歳で海外一人旅

ヤマザキマリさんはシングルマザーで音楽家の母親に下で育ち、14歳の冬休みに、母親の知人がいる、ドイツとフランスを1ヶ月間一人旅します。

元々は母親も一緒に行くはずの旅だったそうで、母親が行けなくなってしまったっそうです。

1人で旅に送り出されたことについて、ヤマザキマリさんは

「母には私への信頼があったんでしょうね。」

と語っています。

ヤマザキマリさんは、英語は学校では比較的得意だったそうですが、コミュニケーションをとるのは大変だったそう。

この旅の途中に、年配のイタリア人陶芸家のマルコじいさんに出会い、「家出か」と疑われたそうです。

ヤマザキマリさんは当時でも163cmの身長があったようですが、マルコじいいさんには10歳に見えたようです。

すごい剣幕で怒られたんだとか。

それがきっかけでマルコじいさんとの交流はずっと続いていたそうです。

後に、ヤマザキマリさんの母親が手紙で家出は無いことを説明したそうです。

ヤマザキマリの母親の考え方

14歳の娘を現地に知人がいるとはいえ、海外に送り出したのは、ヤマザキマリさんの母親は世間体にとらわれない人だったようで、それにも理由があるようです。

ヤマザキマリさんの母親はの父は大正時代から、アメリカで11年ほど仕事の関係で生活した経験があることと、ヤマザキマリさんの母親が通っていた学校はフランス系のミッションスクールで戦前でも日本の考え方の規制がない環境で育ったことにあるようです。

ヤマザキマリさんは子供の頃、母親に「こうしなさい」と言われることがなかったそうです。

ただ、置手紙で

「遊びに行く前に宿題をやってからの方が大いに遊べます」

と書くなど母親として押し付けないだけで、ちゃんと言う事はいっていたようです。

ヤマザキマリさんの母親は動物好きである日、

右手にバイオリン持って、左手に捨て犬抱えて帰ってきて

「この子、ついてくるから飼わないと」

言ってその犬を飼ったそうです。

その時、ヤマザキマリさん家族が住んでいたのは団地で動物は禁止だったそうですが、ヤマザキマリさん家には犬も猫もいたんだとか。

ヤマザキマリ イタリアへ

ヤマザキマリさん高校時代、パンクにはまりスキンヘッドにしたことこあったそう。

パンクが好きだったヤマザキマリさんは、パンク発祥のイギリスのロンドンに留学したいと思い母親に相談すると

「行きなよ」

との答えだったそう。

しかし、その時には、ヤマザキマリさんの母親とマルコじいさんは文通相手になっており、ヤマザキマリさんの母親が、ヤマザキマリさんのイギリス留学をすることをマルコじいさんに伝えると

「イギリスなんか行ったって、行く末もわかんなくなる留学生になるだけだからやめろ。『絵が描きたい』と言ってたんだから、イタリアに寄越せ」

とのやり取りがあり、ヤマザキマリさんの母親は

「一回行ってみなさい。ダメだったら、イギリスへ行き直せばいいんじゃないの」

と言われ、イタリア留学が決まったそうです。

イタリア人のマルコじいいさんとの交流がきっかけで、高校生の時に17歳でイタリアに渡り、フィレンツェのイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、11年間美術史と油絵を学びました。

美術学院で油絵を学べたのもマルコじいさんはからいがあったそうです。

ヤマザキマリ シングルマザーに

フィレンツェ住んですぐに、学生アパートの隣室の詩人の4つ年上のイタリア人と恋愛。

11年間同じ屋根の下で生活しました。

そして11年後、妊娠がしたことが発覚。

ヤマザキマリさんが28歳の時でした。

イタリア人詩人は働いていなかったようで、マザキマリさんの母親もイタリア人の詩人と付き合って事知っており、人物像も伝えていました。

毎月5万円の仕送りもしてていたそうです。

マザキマリさんの母親は

「お母さんはあの人は問題あると思うけど、あんたが好きになった人だからそれは関係ない」

と言い

マルコじいさんも

「あの人全然働かないけど大丈夫なの?」

と嫌がってはいたそうですが、「別れろ」とは言わなかったそうです。

しかし、そのイタリア人とは別れ、シングルマザーになることを決意。

息子のデニスを出産。

この時、イタリア人詩人とサブビジネスでやっていたアクセサリーなどを扱う会社が倒産。

家財道具まで一式持って行かれたともこと。

しかし、2年間ぐらい別れる別れないで揉めたそうです。

シングルマザーになる道を選んだ理由としてヤマザキマリさんは

『「素敵な世界へようこそ!」と子供を向かい入れられる心境では全くなかった。だから子どもをひとりで育てることを選んだのです。』

と語っています。

ヤマザキマリ 漫画家になる

ヤマザキマリさんはイタリアで11年間油絵を学び、描いてもいましたが、子供を育てていくために、

「油絵では食べられない。食べていくためには」

と考え漫画を描こう考えました。

単純な考えだったようです。

漫画の描き方が分からない、ヤマザキマさんは母親に漫画雑誌送ってもらい漫画を勉強。

その漫画雑誌は今はありませんが「mimi」で「新人賞募集!」の文字を見つけ応募。

努力賞に選ばれ、賞金10万を手にします。

ヤマザキマリ 日本に帰国

ヤマザキマリさんは、その賞金で子供を連れ日本に帰国。

この時、ヤマザキマさんは、子供を生んだことを母親に伝えておらず、驚かせたそうですが母親は、

「まあしょうがない、孫の代まで親の責任だ」

と言ったそうです。

その時、ヤマザキマリさんは

「さすが我が母の言葉だ」

と思ったそう。

やはり、ヤマザキマリさんの母親は世間体捕らわれない人ですね。

ヤマザキマリさんは帰国後、テレビのレポーターや、イタリア語の先生など多くの仕事が来たそうです。

そのことについて、ヤマザキマリさんは

「自分がそんなに必要とされたことは今まで経験したことがなかったので、来るものは拒まずできそうな仕事は何でもやりました。」

と話しています。

ヤマザキマリ 35歳で結婚

ヤマザキマリさんは、35歳でマルコじいさんの孫のぺッピーノさんと結婚

ぺッピーノさんの職業は研究者。

ぺッピーノさんは息子のデニスとも交流があり、仲良く、とても可愛がってくれていたそうです。

ぺッピーノさんと暮らすためにイタリアへ。

この時、息子のデニスは7歳でした。

息子のデニスもあっさり受け止めたそうです。

イタリアに行きますが、夫の仕事の関係でポルトガルのリスボン、アメリカのシカゴなどに転居。

ヤマザキマリ テルマエ・ロマエが大ヒット

ヤマザキマリさんの作品「テルマエ・ロマエ」が2010年マンガ大賞2010受賞、の他にも、2010年第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。

2012年には、阿部寛さん主演で映画化。

2014年には2作目も公開。

ヤマザキマリの作品の使用権が安い?

ヤマザキまりさんの原作の映画「テルマエ・ロマエ」は58億円の大ヒット。

しかし、原作者ののヤマザキマリさんには原作料は100万円だったと、テレビでヤマザキマリさんが告白し話題となりました。

さらに、原作者として映画のプロモーションに借り出されてもノーギャラだったそう。

海猿の原作者も、2作目の映画で70億円のヒットでも250万円だったとツイッターで告白しました。

その後は、交渉して上がったようです。

理由は契約で権利を出版社に売ってしまう形ことが原因のようです。

ヤマザキマリが夫と離婚?

ヤマザキマリと検索すると「離婚」とのキーワードが、35歳で結婚した、ヤマザキマリさんが離婚したのかと調べてみると

ヤマザキマリさんが離婚した情報はありませんでした。

ヤマザキマリさんが離婚したとのキーワードが出るのは、ヤマザキマリさんがシングルマザーだと言う事が理由だと思われます。

シングルマザーは離婚しているとの推測からのキーワードでしょう。

ヤマザキマリさんはシングルマザーですが、未婚で子供を生みました。

ですので、推測から検索されたキーワードだと思います。

ヤマザキマリの息子は京都大学?

ヤマザキマリさんの息子は京都大学との噂がネットに流れていました。

調べてみると、間違ってはいないけど、正解でもありませんでした。

ヤマザキマリさんの息子はハワイ大学に通っているようです。

京都大学には交換留学生とし来たようです。

京都大学というのは、間違っていないですよね。

交換留学生とはいっても京都大学に来るのは簡単じゃないはずです。

京都大学がレベルの低い学生を引き受けるとは思えませんからね。

ヤマザキマリさんの息子は京都大学に入学していなくても、優秀な学生のようですね。

ヤマザキマリが炎上?

ヤマザキマリさんツイッターで炎上したのは、2013年のこと。

2013年9月12日、月刊コミックビーム10月号に付録として「テルマエ・ロマエ」の手ぬぐいが付けられた事による出版社側とヤマザキマリさんの見解の相違によるものでした。

ヤマザキマリさん側は付録に手ぬぐいが付けられるとは聞いていない。

出版社側は無断で配布したわけではない

との見解の相違でした。

このことで賛否両論となり、ヤマザキマリさんのツイッターは炎上。

出版社側も炎上したようです。

その後、どういった話し合いがあったかは双方とも発言してはいませんが、トラブルにはなっていないようです。

ヤマザキマリ 最後に

ヤマザキマリさんは、母親ゆずりの性格ようですね。

経歴が面白すぎます。

ヤマザキマリさんの母親も娘が子供を連れて帰国した時も、驚きながらもあっさり受け入れるなどスゴイですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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