有馬稲子さんは宝塚歌劇団出身
現在の年齢は85歳
有馬稲子さんは現在、横浜の老人ホームかケア付マンションに住んでるんだとか。
有馬稲子さんは映画監督の市川崑さんと関係があるです。
気になったので、有馬稲子さんについて調べてみました。
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有馬稲子 経歴
名前 有馬稲子(ありま いねこ)
本名 中西盛子(なかにし みつこ)
生年月日 1932年4月3日(85歳)
出身 大阪府豊能郡池田町
所属 ホリプロ
有馬稲子さんは4歳の時、叔母と養女して引き取られ、釜山で育つ。
叔母は宝塚歌劇団の4期生で有馬稲子の芸名で10年間入団しており、退団後は日本舞踊を教えていたこともあり、有馬稲子さんも習っていたそうです。
釜山で高校に入学しましたが、終戦をを迎え帰国。
1945年、大阪府立夕陽丘高等女学校に編入。
1948年、宝塚音楽学校にに合格し入学。
1949年、36期生として宝塚歌劇団に入団しに代目有馬稲子となる。
1953年、映画に興味を持ち宝塚歌劇団を退団し東宝の専属女優に。
当時の映画界は大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が協定を結び、「スターを貸さない、借りない、引き抜かない」などのルール決め、俳優を拘束していました。
そんな中、有馬稲子さんは、
1954年、岸惠子・久我美子らと共に「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立。
自ら出演作を決めたり制作に携わるなど活発に行動。
しかしこの行為は「ゴテネコ」と呼ばれ業界からにらまれていたようです。
「ゴテネコ」とは口を出す意味のようです。
1955年に松竹へ移籍。
看板女優として活躍。
1965年、「文芸プロダクションにんじんくらぶ」が負債をかかえ解散。
これ以降、ドラマ中心の活動になる
有馬稲子1度目の結婚
有馬稲子はさんは2回の結婚歴があります。
1度目は、1961年11月27日、俳優の萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さんと結婚。
萬屋錦之介、カッコ良いなぁ。 pic.twitter.com/1jZyusyZDO
— クローザー☆スラヲ (@SetUpper_Surawo) 2017年3月19日
萬屋錦之介さんは、1932年11月20日生まれ
有馬稲子さんと同じ年
結婚当時は、2人とも29歳でした。
萬屋錦之介さんは、歌舞伎俳優から映画・テレビの時代劇俳優になって人気のなった俳優です。
当時の歌舞伎界は歌舞伎以外に映画など出ることは許されず、1953年に歌舞伎界を去りました。
人気俳優同士の披露宴は大変豪華で、招待客は1000人以上、ウェディングケーキは高さ2mで16万円だったそうです。
16万円は当時の物価指数で計算すると、86万円ぐらいですね。
さらに、萬屋錦之介さんに父親から京都に900坪の土地を与えられ、そこに150坪の豪邸を建てたそう。
豪邸の家事は大変で、昼も夜も台所に立つ日々だったそうです。
有馬稲子と萬屋錦之介の出会い
有馬稲子さんと萬屋錦之介さんの出会いは、1959年に公開された映画「浪速の恋の物語」ので共演。
有馬稲子さんは出会って10日ほどで萬屋錦之介さんに交際を申し込まれたそうです。
有馬稲子さんは交際を申し込まれたその日に、自宅に招き、萬屋錦之介さんに料理を振るまったそう。
有馬稲子さんは萬屋錦之介さんに会うまで、彼の映画は見たことが無かったそうです。
しかし、見てみると「色気がある」と思ったと語っています。
当時の有馬稲子さんと萬屋錦之介さんは人気俳優で大変忙しく、有馬稲子さんによれはデートや恋人の記憶がないとのこと。
それもそのはず、2人が出会った1959年には、
有馬稲子さんが8本
萬屋錦之介さんが11本
の映画に出演しています。
出演は主演やメインキャストでチョイ役ではないのに、1年でこの数は今では考えられませんね。
そりゃ、デートどころか寝る時間があったのが不思議です。
有馬稲子と萬屋錦之介の結婚生活と離婚
有馬稲子さんは結婚後、苦労もあったようです。
萬屋錦之介さんは、俳優としては素晴らしかったようですが、その一方で新婚にもかかわらず、夕食にスタッフなど15くらい連れてきたり、金銭感覚が無かったようで、夫としての責任を果たしてなかったと有馬稲子さんは話しています。
新婚なのに、辛いですね。
しかも、15人とは。。。
料理は有馬稲子さんが作っていたようですしね。
1965年、有馬稲子さんと萬屋錦之介さんは離婚。
結婚生活は約3年半でした。
離婚の原因について有馬稲子さんは、萬屋錦之介さん十七回忌のトークショーで
「ある大きな事件があったときに、彼がお母様側についた事があって、それが大きな原因かも」
と後に話し、また
「今も好きです。あの世に行ったらもう一度(結婚も)いいかな」
とも話しています。
有馬稲子2度目の結婚と離婚
有馬稲子さんの2度目の結婚は
1969年、有馬稲子さんが37歳の時
実業家の河村三郎さんと結婚
河村三郎さんは山口県出身ので地元山口で三共開発を経営していました。
1983年に離婚
結婚生活は約14年でした。
離婚の理由のついては分かりませんでした。
有馬稲子の子供は?
有馬稲子さんには子供はいないようです。
萬屋錦之介さんとの結婚でも、川村三郎さんとの結婚でも、子供には恵まれなかったようです。
有馬稲子は現在 横浜の老人ホーム?
有馬稲子さんは老人ホームではなく、ケア付きマンションに入っているようです。
有馬稲子さんの入っているケア付きマンションは、シニア向けマンションの一種のようです。
55歳以上、元気で歩ける人しか入れないようです。
大広間、レストラン、温泉などがあり、同好会も多く、有馬稲子さんはガーデニングの会に入っているんだとか。
近くに広い公園があり、2駅くらい車に合わずに歩けるそうです。
有馬稲子さんは、365日中、360日は歩いているそうです。
場所は横浜で、有馬稲子さんの公式ページでのブログで「ライフケア横浜」と書かれているので、横浜市港北区だと思われます。
このマンションの感じだと、終の棲家ではないようですね。
有馬稲子と市川崑との関係は
有馬稲子さん自身の2010年の著書で、最初の結婚相手、萬屋錦之介さんと結婚前に、映画監督と不倫関係にあり堕胎も経験したと告白して往年のファンを驚かました。
有馬稲子さんの著書では名前は伏せてありましたが、一部のマスコミで、市川崑であると実名で報道されました。
不倫関係が始まったのは、有馬稲子さんが22歳の頃。
市川崑さんは、1915年11月20日生まれ
有馬稲子さんの17歳年上
和田夏十
#ララランドみたいなことを言ってください
#横溝 #金田一 #市川崑 pic.twitter.com/Rqhw5kxS9t— sagat (@sagatsagatsagat) 2017年3月6日
関係が始まった時は39歳でした。
有馬稲子さんは21歳の頃に、市川崑さんに出会い、1年後に不倫関係になったそうです。
不倫関係になったのは、市川崑さんが妻と上手くいっていなく離婚をするから、その後に有馬稲子さんと結婚たいとの話があったからのようです。
もうすぐ離婚するとズルズル引き伸ばされ、その関係は、7年続いたそうです。
その間に堕胎も経験。
萬屋錦之介さんとの結婚が決まると、結婚をやめるように説得したり、結婚しても会ってほしいと頼んだり、脅したりと、大変だったようです。
この本が出る、2年前の2008年に92歳で亡くなっています。
有馬稲子の若い頃
有馬稲子さんの若い頃の画像
有馬稲子の若い頃はホンマ美人やな。まぁ今も綺麗だが。 pic.twitter.com/AlQzi4E5Rh
— 鍾馗 (@EF58hato) 2016年5月17日
今更ながら有馬稲子の若い頃のかわいさにやられている pic.twitter.com/eE95oMsMep
— m^3:リューベくん (@Maa_KOTO) 2015年11月18日
現在もお美しいですが、若い頃はさすがに美人ですね。
有馬稲子さんは、美人というよりかわいいという表現の方があってるかも。
有馬稲子 最後に
有馬稲子さんのストレス解消法はガーデニングだそうです。
元気の秘訣は趣味を持って、物事に感動することだそうです。
あと、恋もしたいそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。