宇宙飛行士の野口聡一さん。
大学などの学歴や経歴は?
宇宙飛行士になったきっかけは?
妻はどんな人?
子供は娘?
宇宙飛行士の年収は?
気になったので、宇宙飛行士の野口聡一さんについて調べてみました。
野口聡一の大学などの学歴・経歴
名前 野口聡一
生年月日 1965年4月15日
出身 神奈川県横浜市
身長 180cm
小学校・斑鳩小学校、茅ヶ崎市立浜須賀小学校
中学校・茅ヶ崎市立浜須賀中学校
高校・茅ヶ崎北陵高校
大学・東京大学工学部
父親は東芝のエンジニア。
野口聡一さんは神奈川県横浜市で生まれましたが、父親の転勤で3歳から兵庫県揖保郡太子町に移り住みました。
斑鳩保育所・斑鳩幼稚園を経て斑鳩小学校へ入学。
住んでいたところはのどかな田園風景の広がる環境で野球をするのが好きだったそうです。
小学生の頃の習い事は音楽教室、2年生からボーイスカウトにも入っていました。
音楽教室に通っていましたが音楽は苦手で、音楽教室から脱走したこともあったといいます。
小学校の時には科目では何か得意というもいのはなかったそうですが、本を読むことは好きで、国語の時間は好きだったそうです。
小学5年生の時、神奈川県茅ヶ崎市に移り住み、茅ヶ崎市立浜須賀小学校に転校。
中学は茅ヶ崎市立浜須賀中学校に入学。
中学では陸上部に所属。
茅ヶ崎北陵高校は神奈川県茅ヶ崎市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は65。
高校でも陸上部に所属していました。
高校時代にはボーイスカウトの仲間と、トラックで新潟まで行き、そこから自転車で茅ヶ崎市まで約300キロを横断する計画を立て、多い時で1日に100kmくらい走ったといいます。
東京大学進学後はアメフト部に所属。
大学では工学部航空学科に在籍。
大学卒業後は東京大学大学院に進学し工学系研究科航空宇宙工学専攻修士課程を修了。
大学院卒業後の1991年、石川島播磨重工業に入社。
空宇宙事業本部に所属し、ジェットエンジンの設計及び性能試験業務を担当していました。
野口聡一が宇宙飛行士を目指したきっかけ
野口聡一さんは幼少期に見たテレビ人形劇「サンダーバード」をきっかけに宇宙に憧れたといいます。
「将来の夢」という作文には、
「ぼくはロケットのそうじゅうしになりたい。わけは宇宙のいろいろのことがわかるから」
と書いていたそうです。
中学の頃は「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」も好きでした。
その頃はまだ淡い憧れでしたが、高校に入学してすぐ、テレビでスペースシャトルの打ち上げを見たことで夢が目標に変わったそうです。
高校時代に宇宙飛行士なることを目標にし、英語を独学で勉強し、高校2年生の時には英検2級に合格していました。
高校3年生の進路相談で担任に、
「宇宙飛行士になりたいんです」
と切り出し、日本人が宇宙飛行士になることは、一般には考えにくい時代でしたが担任は驚きもせず、
「それじゃ、どこの工学部がいいかな」
と真顔で応じてくれたと話しています。
大学は宇宙航空研究に強いとされた東京大学工学部航空学科を選びました。
野口聡一 宇宙飛行士になる
1991年に石川島播磨重工業に入社し、5年たった1996年にNASDA(現JAXA)に応募。
572倍もの倍率を勝ち抜いて宇宙飛行士候補者に選定されました。
当時、野口聡一さんは31歳でした。
同年、6月にNASDAに入社し、第16期宇宙飛行士養成コースに参加。
2年後の1998年、ミッションスペシャリスト(MS:搭乗運用技術者)として認定され、ついに正式な宇宙飛行士になしました。
2001年に2年後のスペースシャトルディスカバリー号のクルーとして国際宇宙ステーションの組立ミッションのメンバーに任命されました。
船外活動の主担当としてミッションを完璧にこなせるよう、野口聡一さんは2年間で何千回もの訓練を繰りました。
しかし、初飛行を1か月後に控えた2003年2月、スペースシャトル・コロンビア号が大気圏に再突入する際に空中分解し、人の宇宙飛行士が犠牲になる事故が発生。
コロンビア号の事故により、すべての計画が白紙に戻され、野口聡一さんの初フライトも中止になりました。
長期にわたり打ち上げが延期になり、野口聡一さんが宇宙飛行士として宇宙へ飛び立ったのは2005年7月でした。
15日間にわたる飛行中、3度の船外活動を行い、スペースシャトルでは初の機体補修に携わりました。
2008年5月、長期滞在クルーに任命され、2009年12月にソユーズTMA-17で出発し滞在を開始。
ISS国際宇宙ステーションでは、ISS各部および日本実験棟「きぼう」のメンテナンスと各種実験を実施。
2020年11月には米宇宙企業のスペースXの新型宇宙船「クルードラゴン」で3度目の宇宙に飛び立ちました。
ISS国際宇宙ステーションでの長期滞在を終了し、2021年5月2日、フロリダ・パナマシティ沖に着水し、地球に帰還しました。
このミッションで通算ISS国際宇宙ステーション滞在時間は、335日17時間56分となり、日本人宇宙飛行士で最長となりました。
野口聡一の妻は?
野口聡一さんの妻は美和さん。
「野口さんの妻・美和さんは「打ち上げは明るく迫力満点で、今までの苦労が昇華されるような気持ちになりました。」
引用 https://www.news24.jp/
妻の美和さんは高校の同級生だそうです。
交際は高校の時からとの情報もありました。
「妻の後押しもあり、野口は試験を受けることを決心。」
引用 https://archives.bs-asahi.co.jp/
結婚したのは野口聡一さんが1996年にNASDA(現JAXA)に応募するより前のようです。
野口聡一の子供は娘?
野口聡一さんの子供は娘が3人。
「米ヒューストンから駆けつけた妻美和さんや3人の娘」
引用 http://www.asahi.com/
娘が生まれたのは1996年に野口聡一さんがNASDA(現JAXA)の試験を受ける前のようです。
「私生活では結婚、長女も生まれたばかりの野口に運命の時が訪れる。」
引用 https://archives.bs-asahi.co.jp/
娘3人は幼い頃から野口聡一さんの「宇宙飛行士」という職業を理解して育ったといい、日ごろから、
「お父さん、また宇宙に行きたいんでしょ?」
と言ってくれているそうで、3度目が決定した時も喜んでくれたといいます。
野口聡一の年収は?
野口聡一さんの職業は宇宙飛行士ですが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の社員です。
JAXAの年収を調べてみると、「JAXA職員給与規定」では50代だと年収は1000万円前後のようです。
宇宙飛行士の試験に合格する人は、医師やパイロット、エンジニア、研究者など収入の高い職業についていた人が多く、宇宙飛行士になることで前職より年収が下がることも珍しくないようです。
アメリカの宇宙飛行士も同じような年収で、グレードが一番上の人でも日本円せ1300万円ぐらいのようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。