カンニング竹山さんは福岡県出身のお笑いタレント。
学歴や経歴は?
カンニング竹山さんは結婚しているようですが、嫁や子供は?
相方との出会いや結成までの道のりは?
カンニング竹山さんの推定年収は?
気になったので、カンニング竹山さんについて調べてみました。
カンニング竹山の学歴・経歴
名前 カンニング竹山
生年月日 1971年4月2日
出身 福岡県福岡市
身長 168cm
所属 サンミュージックプロダクション
カンニング竹山さんは福岡県福岡市出身。
実家は会社経営しており、裕福でした。
敷地の広い大きな家に住み、運転手付きのベンツで幼稚園に通っていました。
庭にはドーベルマンが放し飼いで、習い事はヴァイオリンだったそうです。
しかし、カンニング竹山さんが9歳の時に会社は倒産し、借金取りに追われる生活に一転してしましました。
小学校は福岡市立七隈小学校
中学校は福岡私立梅林中学校
高校は早良高校(偏差値42)
大学には進学していません。
後に相方になる中島忠幸さんは小、中学校の同級生。
中学時代はバスケットボール部に所属。
1年生からレギュラーで、県大会に出場した経験もあります。
高校進学の時期には複数のバスケの名門校から推薦入学の誘いがあったといいますが、推薦は受けなかったようです。
早良高校は福岡県福岡市早良区にある、男女共学の県立高校。
高校時代は柔道部に所属しますが、1年で廃部になり、その後はバンドをやっていました。
カンニング竹山さんは高校卒業後は大学に進学して上京し、大学卒業後に芸人になりつもりで、帝京大学と高千穂大学を受験しますが結果は不合格。
高校卒業後は予備校に通いました。
1990年、18歳の予備校時代に同じく予備校生だった小学校の同級生だったケン坊田中と、2人が通うそれぞれの予備校名から取ったお笑いコンビ「代々木くんと河合くん」を結成。
4月に開催された福岡吉本主催・テレビ西日本のオーディション番組「第1回激辛!? お笑いめんたい子」でみごと優勝。
5月にコンビとして福岡吉本第1期生として所属契約を結びました。
「代々木くんと河合くん」のコンビ名は予備校側からNGが出て「ター坊ケン坊」に改名。
同期には博多華丸・大吉がいます。
当時の若手芸人の教育は厳しく、カンニング竹山さんは、何度か逃亡し仕事をドタキャン。
その後、福岡吉本を辞め、コンビは解散。
福岡に残った「ター坊ケン坊」の相方はケン坊田中と名乗りソロで活動。
同期の博多華丸・大吉と共に福岡のスターになりました。
相方・中島忠幸とカンニング結成
カンニング竹山さんは福岡吉本を辞めた後、21歳の時に上京。
東京で、小、中学校の同級生だった中島忠幸さんと再会。
カンニング竹山さんと中島忠幸さんは小学1年生生の時から、近所の池に一緒に釣りになどに行っていたそうです。
中島忠幸さんは福岡で板前の修業をしていましたが、先輩とケンカし店を辞めて上京していました。
2人が偶然再会したのは定食屋。
再会後、カンニング竹山さんと中島忠幸さんはプライベートで遊び歩き、東京ディズニーランド、お台場、皇居なども2人で行ったそうです。
福岡時代にカンニング竹山さんは中島忠幸さんをお笑いに誘い断られていましたが、1992年に再び誘い了承され、1992年お笑いコンビ「カンニング」を結成。
コンビ名は中島忠幸さんが見た夢に由来。
大きなホールで「カンニング」と紹介され、客がワーと沸いた夢を見たそうです。
デビュー当初は渡辺プロダクションに所属し、正統派漫才をしていましたが、まったく売れずクビになり退社。
サンミュージックに所属しましたが、サンミュージックのお笑い班が潰れてしまったためでクビになってしまいました。
その後は個人事務所に所属していましたが、中島忠幸さんがバイクで事故を起こし、被害者から50万円の示談金を請求され、借金を抱えてしまいます。
1999年、27歳の時、個人事務所が倒産した時には借金は300万円超えていました。
同年、お笑い部門が復活したサンミュージックにブッチャーブラザーズの助けもあり、再度所属。
所属後もなかなか売れず、クビになりかけますが、ブッチャーブラザーズのリッキーさんの預かりになることによって首の皮一枚で芸人生命を保ったそうです。
そのリッキーさんにキレ芸を提案され、以降「カンニング」はキレ芸を行うようになりました。
キレ芸は2人で考え、電車の中で怒ってたり、居酒屋で店員に説教してるおじさんなどを取り入れ、芸として固まるまで2年ほどかかったそうです。
2001年にテレビ朝日の「虎ノ門」のコーナー「お笑いTIGER’S GATE」で一部で賞賛され、2003年、「めちゃ2イケてるッ!」の「笑わず嫌い王決定戦」に出演し注目を集め、30歳でブレイクしました。
中島忠幸さんは2004年4月に結婚し、9月に長男が誕生しますが、同年に急性リンパ性白血病が見つかりました。
同年12月から病気療養を理由に休業し、翌年の2005年1月に白血病の治療中であることを公表。
同月に「エンタの神様」でカンニング竹山さんが一時退院中だった中島忠幸さんに然かけた携帯電話で声のみで出演し、それが最後のテレビ出演でした。
2006年12月にウイルス性肺炎の併発により死去。
35歳でした。
カンニング竹山の嫁は?
カンニング竹山さんが結婚したのは2007年3月。
嫁は淳子さんという名前の一般女性。
年齢は2歳年上。
結婚時の年齢はカンニング竹山さんは35歳、淳子さんは37歳でした。
交際はカンニング竹山さんが上京してすぐの21歳の頃からで交際期間は約15年だったそうです。
プロポーズは嫁の淳子さんの定期預金を崩したときだったと話しています。
カンニング竹山さんは借金に追われ、淳子さんに懇願し定期預金を崩してもらった後に、一緒に払込みにいったのだといいます。
その時、淳子さんから
「少し距離を置きたい」
と言われ、それに対しカンニング竹山さんは、
「ちょっと待ってくれ。本当に生まれ変わろうと思ってるから。頼むから、一緒に住むことから始めてくれ」
と告げ、それが結果プロポーズのようなかたつちになったそうです。
カンニング竹山の子供は?
カンニング竹山さん夫婦に子供はいません。
子供はほしいといえばほしかったそうですが、たまたま流れで子供は出来なかったと話しています。
40代になった頃に夫婦で不妊治療などについても話し合ったそうですが、
「子どもはいいんじゃないか」
という結論になり、夫婦2人で楽しく生きることを選択したと話しています。
自身に子供はいませんが亡くなった相方の中島忠幸さんの息子とは交流があるそうです。
「うちは子どもがいないので、その息子と一緒にキャンプに行ったり、旅行に連れていったりするんですけど、疑似父親体験みたいで楽しいですね」
引用 https://jisin.jp/
正月にはハワイ旅行などにも一緒にいっているそうです。
カンニング竹山 フライデー
カンニング竹山と検索すると「フライデー」の関連ワードが出てきます。
調べてみると、2009年にフライデーではなく、「週刊現代」(講談社)に浮気現場の写真が掲載されていました。
カンニング竹山さんは、
「あの時は調子こいていた」
「やたらとモテるパーティで”おかしいな”とは思った」
と話し、自身の誕生日会を開催し、そこで出会った女性と後日飲みに行って酔ってホテルで寝てしまったところ、週刊現代に写真が掲載されてしまったと話しています。
嫁には土下座して謝罪したといいます。
カンニング竹山さんは掲載後、話し合いを持つため、講談社に乗り込み、どうやってスクープ写真が出るのか仕組みを逆取材したそうです。
キャバ嬢やお笑い好きの女性らに情報屋が「金になる」と協力を依頼していたこと聞きだし、
「若手芸人との合コンに、たまに来る先輩とかが狙われる。まさに俺の誕生日会がそうだった」
と説明しました。
さらに、写真の買取料はバブル時代などは有名な俳優の写真は100万や200万で買っていたとの話もきいたそうです。
「俺のは5万円だったらしい」
と自身の写真の金額も明かしました。
カンニング竹山の推定年収は?
カンニング竹山さんは2015年3月の「サンデー・ジャポン」で当時ブレイク中だった“8.6秒バズーカーから最高月収を聞かれ、
「2000万円です」
とサラリと答えました。
これまでの最高月収の話でしたが、ネット上では月収2000万円と話題になったようです。
当時の報道ではカンニング竹山さんの収入について、
「実際は200万円。多いときで300万円~。竹山は冠番組こそ持っていないが、ひな壇芸人としてはトップクラスの売れっ子です。」
「これは最低金額。なんだかんだで年収は5000万円以上は確実」
引用 https://weekly-jitsuwa.jp/
とされていました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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