ラッシャー板前さんは千葉県出身のたけし軍団メンバー。
経歴や学歴は?
ラッシャー板前さんの妻は?
子供は娘?
ラッシャー板前さんとカズさんの関係は?
年収や現在の活動は?
気になったので、ラッシャー板前さんについて調べてみました。
ラッシャー板前の学歴・経歴
名前 ラッシャー板前
生年月日 1963年6月15日
出身 千葉県松戸市
身長 168cm
所属 株式会社TAP
ラッシャー板前さんは千葉県松戸市出身。
本名は鈴木浩(すずき ひろし)
小学校は松戸市立河原塚小学校
中学は松戸市立常盤平中学校
高校は松戸市立松戸高校(偏差値50)
大学には進学していません。
小学校時代は怒られるこもなく、ほめられることもない、目立たなく埋もれているような子供だったといいます。
部活は柔道部に所属しこそこの成績だといい、初段を持っています。
ラッシャー板前さんは子供の頃からお笑いが大中学1年生の夏休みにはTBS系の「ぎんざNOW!」の「しろうとコメディアン道場」というコーナーに出演し「学校の授業」というネタでチャンピオンになった経験があります。
チャンピオンの座は3週連続で守りましたが、夏休みが終わると、授業のため出演できなくなり、出演を辞退したそうです。
中学1年生だったラッシャー板前さんの目的は参加賞の腕時計で、それを手に入れたことで大満足だったといいます。
ラッシャー板前さんは高校卒業後、2年間板前として修行しますが、お笑い芸人の夢を諦めきれずにいました。
ラッシャー板前 たけし軍団入り
板前の修業をしていたラッシャー板前さんですが、成人式の時に一念発起。
1983年、ビートたけしさんに弟子入り志願し、家の前で張り込みをしますが、初日はダンカンさんが対応し帰されました。
対応したダンカンさんは、
「玄関で、パンチパーマで赤と黒のオープンシャツで立ってた。何だその恰好は?出直してこいって言った」
と話しています。
ラッシャー板前さんはそれが当時の板前の正装だったと話しています。
その後、板前経験を生かし「料理が作れます」という猛烈なアピールをして、料理番もすることで弟子入りすることを許可され、数年間ビートたけしさんの付き人をしました。
料理番をしていた時には、ビートたけしさんに冷凍餃子を焼いて、「美味い」と言って食べたものの、餃子の袋を見られてバレてに怒られたことがあったといいます。
たけし軍団入りした当初の芸名はプロレスラー・力道山をもじった力道川。
現在のラッシャー板前の芸名はプロレスラー・ラッシャー木村さんと弟子入り前に板前修行の経験があった事から付けられました。、
ビートたけしさんの付き人を努めた後、自分の弟子はは持たない明石家さんまさんの付き人も経験。
付き人はカバンをも持ったりするものですが、明石家さんは「俺は両手、ちゃんとあるから」といってほとんど持たせることなかったといいます。
ラッシャー板前さんは2ヶ月目ぐらいの時、始めてカバンを持たせてもらい、やっと認めてくれたと思ったそうです。
その後は、たけし軍団の一員としてビートたけしさんが出演するテレビ番組を中心に出演。
「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」ではスカイダイビングやバンジージャンプなど体を張る仕事で活躍。
体を張る仕事ではワニ園のワニなどの動物と絡み、加減を知らない動物との絡みは怖かったといいます。
1986年のたけし軍団によるフライデー襲撃事件の時には、痔の手術を受けていたため、加わらなかったため、ビートたけしさんが謹慎中には「オレたちひょうきん族」のコントなどでたけしの代役を務めたことがあります。
ラッシャー板前の妻は?
ラッシャー板前さんが結婚したのは1997年。
妻は一般女性でタレントだったウガンダ・トラさんの妻の妹。
年齢はウガンダ・トラさんの妻が15歳年下と報じられていることから、ラッシャー板前さんの最低でも5歳以上年下のようです。
結婚披露宴は1997年9月に東京プリンスホテルで盛大に行われ、参加者は特番ができるほど豪華な顔ぶれだったといいます。
司会進行はお笑いトリオのダチョウ倶楽部で、祝辞を述べたのはビートたけしさんでした。
ラッシャー板前の子供は娘
ラッシャー板前さんの子供は娘と息子がいます。
ラッシャー板前さんの2ブログの018年5月の記事では娘は高校3年生、同年10月の記事では息子は高校1年生と書かれています。
娘は高校でサッカー部に入っていて、2018年でサッカー歴は6年。
最初は試合を「絶対見にこないで」といっていましたが、3年生になって「来るならきていいよ」と言われ見にいったそうです。
息子は高校1年生から自転車通学をしていて、自転車はラシャー板前さんと一緒に買いにいったそう。
ラッシャー板前とカズの関係は?
サッカーのカズさんはテレビ番組で恩人を聞かれラッシャー板前さんの名前を挙げたことがあるそうです。
ラッシャー板前さんとカズさんが知り合ったのはカズさんが10代でブラジルサッカーチーム「サントスFC」に所属していた時。
テレビ朝日系の「ビートたけしのスポーツ大将」で共演したことで知り合いました。
当時、カズさんはまだ年俸が高くなく、お金がなかったことから、ブラジルから帰国した時にはラッシャー板前さんのマンションに居候させてもらっていたそうです。
カズさんが泊まりに来た時には、食事もラッシャー板前さんが支払ったそうです。
サッカー選手だった武田修宏さんもラッシャー板前さんとカズさんが一緒にいたところをよく見かけていたといいます。
カズさんが「東京ヴェルディ」の前身チーム「読売サッカークラブ」から誘いがあった際には意見を求められたそうです。
カズさんが一流のサッカー選手になった後も、結婚式に招待されるなど関係は続いていたようです。
ラッシャー板前の現在は?
現在はレポーターなどの仕事が多く、旅番組などにも出演しています。
2021年現在のレギュラー番組は
朝だ!生です旅サラダ(朝日放送テレビ制作・テレビ朝日系)
他にも不定期に出演する地方の番組があるようです。
「朝だ!生です旅サラダ」は1997年から中継のコーナーを担当しています。
「朝だ!生です旅サラダ」のラッシャー板前さんがやってる中継は1996年は同じたけし軍団の松尾伴内さんが担当していました。
中継では海産物を食べることも多かったそうですが、松尾伴内さんは海産物のウニやカキが苦手だったそう。
前担当の松尾判内さんについてラッシャー板前さんは、
「よく1年やってたなって。」
「松尾さんは1年、苦しかったと思う。」
と話しています。
ラッシャー板前の年収は?
ラッシャー板前さんの年収は2018年には、
「ラッシャー板前でも700万円程度」
引用 https://taishu.jp/
との記事がありました。
番組の出演料にていては同年の記事で、
「ラッシャー板前など、知名度の落ちるメンバーは50万円に満たない」
引用 https://smart-flash.jp/
と書かれていました。
ただ、外のロケだと拘束時間など、テレビ局側と所属事務所の契約でタレントによってギャラの内容が違う場合もあるようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。