かとうかず子さんは名古屋市出身の女優。
かとうかず子さんの学歴や経歴は?
東国原英夫さんと結婚歴がありますが、馴れ初めや離婚の理由や再婚は?
子供は娘と息子?
気になったので、女優のかとうかず子さんについて調べてみました。
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かとうかず子の学歴と経歴
名前 かとうかず子
生年月日 1958年2月20日
出身 愛知県名古屋市
身長 168cm
かとうかず子さんは愛知県名古屋市育ち。
2人姉妹の妹。
中学は名古屋市立神丘高校
高校は長久手高校(偏差値55)
大学は愛知淑徳大学文学部(偏差値50)
中学時代はバレーボール部に所属。
長久手高校愛知県長久手市にある男女共学の県立高校。
大学は仕事が忙しくなり、5年通いましたが中退しました
1978年、大学2年生の時に友人に勧められ、つかこうへい演出のロックミュージカル「サロメ」のオーディションに応募し合格。
「サロメ」ではその他大勢のひとりでしたが、翌年の1979年、つかこうへいさんに認められ舞台「広島に原爆を落とす日」で本格的に舞台デビュー。
1980年にはTBS系で放送されたポーラテレビ小説「マリーの桜」のヒロインに抜擢
1981年には映画「なんとなく、クリスタル」で主演で映画でデビュー。
かとうかず子 東国原英夫と結婚した馴れ初めは?
かとうかず子さんと東国原英夫さんとの馴れ初め・出会いは1989年に放送されたTBS系のドラマ「ビートたけし殺人事件」での共演。
ドラマ「ビートたけし殺人事件」は1987年に東国原英夫さんが書いた小説が原作で、かとうかず子さんはヒロイン役で出演しました。
東国原英夫さんは- フリーアナウンサーの片平夏貴さんと結婚して子供もいましたが、1989年に離婚。
翌年の1990年3月に、かとうかす子さんと東国原英夫さんは結婚しました。
かとうかず子の離婚理由・原因は?
かとうかず子さんと東国原英夫さんが離婚したのは2006年2月。
離婚の原因・理由は東国原英夫さんが政界入りを決めたこと。
芸人だった東国原英夫さんが政治家に強く興味を持ったのは芸能界を自粛している間でした。
1998年、東京都内のイメージクラブ店が未成年の従業員を使っていたことで、児童福祉法違反並びに東京都青少年健全育成条例違反の容疑で経営者が逮捕された際、その当時16歳であった従業員の少女が、性的なサービスをした客として東国原の名前を供述したことで、東国原英夫さんの名前がマスコミに流出。
東国原英夫さんは未成年だったことは知らなかったため、事情聴取を1回受けただけでしたが、、マスコミに大きく報道され、かとうかず子さんも事務所を通じて謝罪。
東国原英夫さんは芸能活動を5か月間自粛しました。
自粛で東国原英夫さんは、ほとんど無収入になりましたが、かとうかず子だんが一家の生活を支えました。
東国原英夫さんは後に早稲田大学 第二文学部(夜間学部)に入学。
卒業後、会人入学試験を受験して早稲田大学政治経済学部に入学しました。
東国原英夫さんは大学で政治を学んだことで強い興味を抱き、政治家に転身する夢を持つようになりました。
東国原英夫さんは小学校の頃、「芸人と政治家になる」と言っていたことがあったそうで、政治を勉強したことでその気持ちが蘇ったようです。
かとうかず子さんは宮崎県知事選挙に出馬に反対し離婚。
東国原英夫さんによれば、かとうかず子さんに、
「政治活動する人は生理的に受け付ず、一緒に居るのもイヤ」
と言われたと明かしています。
離婚の条件は、親権はかとうかず子さんが持つ、慰謝料、養育費は無しだったそうです。
かとうかず子の子供は娘と息子
かとうかず子さんの子供は2人。
息子と娘。
長男の守(まもる)さんが1990年
長女の有里(ゆり)さんが1993年
に誕生しました。
親権は母親のかとうかず子さんにありますが、長男の守さんは「東国原」という珍しい名字を残したいとの思いから東国原の姓を名乗っているそうです。
息子の守さんは東国原英夫さんがSNSでアメリカの大学にいること発信したことで、アメリカのジョージタウン大学・公共政策大学院へ進み、その後は、アメリカのシンクタンク「Center for Global Development」にインターン生として在籍していました。
「東国原」の苗字を名乗っていたことからすぐにわかったようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました