立川志の輔さんは富山県出身の落語家。
立川志の輔さんの嫁はどんな方なんでしょうか?
子供は息子で梅干し屋?
経歴や学歴は?
気になったので、落語家の立川志の輔さんについて調べてみました。
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立川志の輔の経歴・学歴
名前 立川志の輔
生年月日 1954年2月15日
出身 富山県射水市
身長 176cm
立川志の輔さんは富山県射水市出身。
本名は竹内照雄
立川志の輔さんは幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られますが、その母親も1年後に他界。
両親の記憶はほとんどないといいます。
母方の実家で母親の祖父母と母親の兄の伯父夫婦家族と5歳のころから共に生活。
伯父夫婦には実の子のように育てられたそうです。
実家は古道具店。
高校は新湊高校
大学は明治大学
中学、高校時代は軟式テニス部に所属し、富山県代表でインターハイに出場したこともあります。
明治大学経営学部入学後は、落語研究会(落研)に所属。
高座名は「紫紺亭志い朝」
この高座名は明治大学の落研では伝統ある高座名で4代目は2年先輩の三宅裕司さん。
立川志の輔さんは5代目を引き継ぎました。
その後は、2年後輩の渡辺正行さんに6代目を譲っています。
大学時代に落語に興味を持った立川志の輔さんですが、大学卒業後は先輩の三宅裕司さんの影響もあって演劇にも興味を持ち、大学卒業後はさまざまなアルバイトをしながら劇団昴の養成所に通いました。
2年半後、いきつけだった新宿ゴールデン街の飲み屋で知り合った広告代理店関係者に誘われて、金沢の広告代理店「株式会社ニットー」に入社。
この会社ではテレビCM制作などに関わり、自身がディレクターとして制作した仏壇店のCMは石川県で30年以上流れたそうです。
4年間勤めますが、落語のことが忘れられず半年間悩みますが、落語家を目指して退社。
立川志の輔さんは28歳でした。
立川志の輔 売れっ子落語家に
1983年1月、立川志の輔さんは29歳で立川談志に入門。
前座名は「志の輔」
1983年、師匠・談志が真打昇進試験制度をめぐって落語協会と衝突の末に脱退し「立川流」を創設。
1984年10月、二つ目に昇進。高座名も引き続き「志の輔」を名乗りました。
1985年、TBSテレビ「朝のホットライン」レポーターに就任。
以降はテレビの仕事が増えタレントとしても売れっ子となりました。
1990年5月、「志の輔」の名前のまま、落語立川流真打に昇進。
立川志の輔の嫁は?
立川志の輔さんが結婚したのは20代半ば頃。
嫁は新湊高校の同級生。
性格な結婚した時期は不明ですが、立川志の輔さんが落語家を目指して、広告会社を辞めた28歳の時にはすでに結婚していたようです。
立川志の輔の息子は梅干し屋?
立川志の輔と検索すると「息子」「梅干し」との関連ワードが出てきます。
立川志の輔さんの息子は梅干しの魅力に魅せられて日本中300種類の梅干しを食べ歩いた人でした。
生まれたのは1989年10月。
玉川学園高校、玉川大学芸術学部卒業。
大学卒業後、糸井重里さんの事務所2年間アルバイト。
25歳で大学の友人と「BambooCut」という梅干しの会社を設立し代表取締役を務めています。
「BambooCut」は厳選した梅干しを販売したり、梅干しを紹介するイベントや梅干しつくり教室など開催しています。
「マツコの知らない世界」に出演したことで知られるようになったようです。
2020年には30歳でフリーアナウンサーの佐藤千晶さんと結婚しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。