桃井かおりさんは東京都出身の女優。
桃井かおりさんに結婚歴はあるのでしょうか?
旦那や子供は?
現在の活動は?
経歴や学歴は?
気になったので、女優の桃井かおりさんについて調べてみました。
桃井かおりの経歴・学歴
名前 桃井かおり
生年月日 1951年4月8日
出身 東京都世田谷区
身長 162cm
所属 モモイ カオリ. アトリエ・エツ
桃井かおりさんは東京都世田谷区出身。
父親は国際政治学者・軍事アナリスト、翻訳家・編集者としても活躍した桃井真さん
母親は芸術家。
4人兄弟の3番目で兄が2人と弟。
3歳からバレエを習い始め、小学校2年生の時、チャイコフスキー記念東京バレエ団に入団。
中学生の時、イギリスのロイヤル・バレエ・アカデミーに単身留学。
しかし、日本人の体型の限界を悟って挫折し帰国。
中学は女子美術大学付属中学
高校は女子美術付属高校
を卒業。
イギリスからの帰国後もバレエは続け、中学・高校時代は東京バレエ団に所属しながら、「劇団若草」という老舗の児童劇団に入団。
学校では陸上部の所属していたそうです。
高校卒業後、両親に内緒で女優を目指し文学座の養成所の第11期生として入所。
桃井かおりさんは女優を目指した理由について、
「私が女優になったのは憧れとはちがって、女優にならないと何かが切実に狂っていく気がしたから。多分ずっとウソをついて生きなきゃいけないだろうなって。」
「体育会系のわりには理屈が多いし。役者はちょうど合っていたんでしょうね。合っていたから続けている。『居心地がいいから同じ家に住んでいる』っていうのに似ています。」
引用 https://wendy-net.com/
と話しています。
1971年5月、映画「愛ふたたび」で映画デビュー。
同年8月、日本テレビのドラマ「花は花よめ」でドラマデビュー。
同年、映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」でヒロインを演じました。
ヌードシーンもあり、映画みた母親は卒倒し、父親からは勘当を言い渡され、桃井かおりさんは家出。
広島県江田島に行き、飲食店で住み込みで働いたそうです。
数ヵ月後、新聞の伝言欄の「かおり許す、父」を見て自宅に戻り、女優を再開。
1973年には歌手としてもデビューしています。
1975年10月から放送された日本テレビ系のドラマ「前略おふくろ様」で注目され、1977年公開の映画「幸福の黄色いハンカチ」の小川朱美役で、
日本アカデミー賞・助演女優賞
ブルーリボン賞・助演女優賞
を受賞。
1979年公開の映画「もう頬づえはつかない」で映画初主演。
同年に公開された映画「神様のくれた赤ん坊
」でも主演を努め、この2作の演技で桃井かおりさんは
日本アカデミー賞・主演女優賞
ブルーリボン賞・主演女優賞
を受賞。
人気絶頂だった1981年、単身でニューヨークに渡り、帰国後は八ヶ岳で生活していました。
1991年、オムニバス映画「ご挨拶」の3話で映画監督デビュー。
2005年、映画「SAYURI」でハリウッド映画初出演。
翌年の2006年にはアメリカ合衆国映画俳優組合に加入しました。
桃井かおりの結婚歴や旦那・子供は?
桃井かおりさんが結婚したのは2015年。
結婚した時、桃井かおりさんは64歳。
旦那は9歳の頃から知っている同い年の幼馴染の音楽プロデューサーの男性。
事実婚状態だったそうです。
プロポーズは桃井かおりさんからで、ある日いっしょに音楽を聞いていた時、「あたしたちも64(歳)だし、(もうすぐ)6月4日は来るし、ここでどう?」と持ちかけたそうです。
桃井かおりさんは結婚生活について
「別れる気がしない、とか、嫌だなと思ってたことが大丈夫になっていっちゃうとか、どんどん好きになっていくとか、そういうの初めてだった。」
引用 https://www.nikkansports.com/
と話しています。
桃井かおりさんはこれまで結婚歴はなく、子供はいません。
桃井かおりの現在は?
桃井かおりさんは現在ロサンゼルス在住しています。
ロサンゼルスに在住したのは、アメリカ合衆国映画俳優組合に加入した2006年頃からのようです。
現在では女優業だけでなく、ジュエリーのプロデュースなどもしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。