ゾマホンさん外交官で大使でもあったようですが、その経歴や日本に来た理由やテレビタレントになった経緯や現在は?
ゾマホンさんとビートたけしさんの関係は?
ゾマホンさんは結婚している?
気になったので、ゾマホンさんについて調べてみました。
ゾマホンの経歴・学歴
名前 ゾマホン
生年月日 1964年6月15日
出身 西アフリカ・ベナン共和国
習得言語 フランス語、英語、中国語、日本語
ゾマホンさんは西アフリカのダホメ共和国という国で生まれました。
ダホメ共和国は19世紀末にダホメ王国がフランスに征服されてフランス領西アフリカの一部になりましたが、1960年8月にダホメ共和国としてフランスから独立。
1975年にベナン人民共和国に改名し同国は消滅しています。
ゾマホンさんが育ったのはダサズメ・イガンガン村という村で兄弟は10人。
ゾマホンさんは末っ子だそうですがベナン共和国は乳幼児死亡率が高い国で、裕福な家庭ではなかったこともあり、生き残ったのはゾマホンさんを含め3人そうです。
父親の職業は公務員で母親は農民。
父親は厳格な性格でゾマホンさんには怖い存在だったそうで、ゾマホンさんは常に敬語を使って会話をしていたといいます。
当時のベナン共和国は義務教育も有料だったそうですが、父親が教育に熱心で貧しいながらも子供たちを小学校に通わせていたためゾマホンさんは勉強が好きになったといいます。
ちなみに、ベナン共和国が義務教育が無料になったのは2006年10月のようです。
その父親も、ゾマホンさんが15歳の時に病死。
父の死後は、母親ひとりでは子供たちを養うことが出来ず、ゾマホンさんは父方の叔父の養子になりアルバイトをしながら、中学校に通ったそうです。
生活はずっと貧しく、ゾマホンさんは学校に行く前に叔父の子供たちの面倒をみてから、10キロ以上離れた中学校に通学。
給食はなく、水を飲んで空腹を我慢し、学校は夜7時まで。
帰宅後は、家の手伝いをした後、自宅に電気がなかったため勉強は街灯の下でやったそうです。
寝るのは車の中。
理由は車を盗まれないようにするためだったといいます。
ベナン共和国は赤道に近い国で、さすがに暑かったと話しています。
高校でもゾマホンさんの成績は優秀で、1986年に国立ベナン大学に合格し入学。
専攻はアフリカ文学。
ベナン国立大学は現在では国立アボメ・カラビ大学という名前になっています。
大学入学後は国家試験を受け合格し、1987年に中華人民共和国の北京語文化大学に国費留学。
中国の大学に留学したのは、ベナン国立大学在学中に中国語を学び、漢字に興味を持ったことが理由だといいます。
中国留学時代は、アフリカ諸国の特命全権大使の専属通訳や、大使たちの車の清掃などのアルバイトをし、母国の親族に送金していたそうです。
1993年に同大学を卒業。
ゾマホンが来日した理由
ゾマホンさんが日本に来たの中国の大学を卒業した翌年の1994年3月。
29歳の時でした。
日本語学校に自費留学生をとして来日しました。
ゾマホンさんはベナン共和国にいた時から日本には興味があったそうです。
ベナンの学校で習った日本は、
「みんな丁髷をして、刀を差している人が歩いている。小さい国なのに経済大国」
だったんだそう。
ベナンでの中学時代の授業では、
「日本人は、アジアで最も野蛮で恐ろしい民族だ。1938年に、南京で大勢の中国人を虐殺した」
と習い、しかし、高校時代には、
「日本がベナンとは比べものにならない程の先進国」
ということを知ったといいます。
中国の大学ではクラスメートに日本人も多く、丁髷をしていない人が日本人を見てい、ベナンで習った日本人と違うことが信じられず、
「パスポートを見せてください」
とお願いしたんだとか。
日本人クラスメートとの交流で、日本行ってみたいという思いが強くなったことが来日の理由だといいます。
中国留学時代に知り合った日本人の友人を頼って来日したそうです。
来日後は、日本語学校に通いながら、引越し屋、語学教師、ビデオカメラの製造工場などでアルバイトをし、日本語を学びました。
留学の保証人には日本で工場を経営していた高橋さんという方がなってくれたそうです。
ゾマホンさんは、高橋さんの工場でも働いており、その時、激しい眠気に襲われ左手の人指し指を切断。
その際の病院での入院費その他の諸費用は、高橋さんが全額負担したそうです。
ゾマホンさんは自身の著作で、高橋さんを、
「私にとっての神様です」
と書いており、「日本とベナンの間の掛け橋になりたい」という夢を掲げるようになったのも、高橋さんの影響であるそうです。
ゾマホンさんは2年間日本語を学んだ後、1997年に上智大学の研究生となり、翌年、一般試験をパスし上智大学に留学。
1999年には博士課程前期を修了しました。
卒業論文のテーマは、
「母国ベナンにおける初等教育普及問題点~日本と中国を比較して~」
ゾマホンがテレビタレントになった理由
ゾマホンさんは1998年からTBS系の「ここがヘンだよ日本人」に出演。
ゾマホンさんが同番組にテレビに出演するようになった理由はスカウトだそうです。
同年に高円寺のラーメン屋で稲川素子事務所のスタッフににスカウトされたといいます。
その後、稲川素子事務所し「ここがヘンだよ日本人」に出演すすようになったそうです。
「ここがヘンだよ日本人」では独特の口調と、議論が白熱する際のリアクションでお茶の間の人気を博しました。
ゾマホンとビートたけしの関係
ゾマホンさんは、稲川素子事務所に所属していましたが、「ここがヘンだよ日本人」で共演していたビートたけしさんの所属事務所「オフィス北野」に移籍。
ビートたけしさんの付き人としても活動しています。
ゾマホンさんが母国のベナンに小学校建設などの社会福祉的な活動をはじめた際には、ビートたけしさんの協力・支援があり計画が実現しました。
ゾマホンさんはビートたけしさんを尊敬していると話し、ベナンに建てた小学校は「たけし小学校」と名づけています。
ゾマホンが大使になった理由
ゾマホンさんが駐日ベナン国大使を務めたのは2012年から2016年の4年間でした。
ゾマホンさんはベナンでの小学校建設などの社会福祉的な活動が認められ、2002年にベナン共和国・国民栄誉賞を受賞。
同年にベナンの識学率の向上、日本との”架け橋”になることなどのを目的とした「IFE財団」を設立。
2004年からはベナン共和国・大統領特別顧問就任しました。
これらの日本との架け橋になった功績が認められたことが理由で、ゾマホンさんは駐日ベナン国大使になったようです。
2019年にはベナンの国民議会選挙への出馬予定でしたが、投票日の3週間前に所属していた政党「新興ベナンのための力」が候補者を擁立できなくさせられています。
ゾマホンさんが所属していた政党は、現職のタロン大統領に反対の立場だったことが理由だったようです。
2016年にゾマホンさんが駐日大使を退任したのも同年にタロン大統領になったことが理由のようです。
ゾマホンは結婚している
ゾマホンさんが結婚したのは2012年。
47歳の時で、駐日ベナン国大使になった年でした。
結婚相手は18歳下のベナン人のジョジアヌ・ポヌ・ゾマホンさん。
ジョジアヌ・ポヌさんは結婚当時30歳。
ゾマホンさんが設立した「たけし日本語学校」の元生徒で2004年に来日。
ゾマホンさんとジョジアヌ・ポヌさんが出会ったのは同年のようです。
新婚の頃、妻の容姿について聞かれた際には、
「デカイよ!」
「身長は160センチくらいだけど、森久美子と変わらない(笑)。私の田舎ではふくよかな女性がモテる。デカイ人は食べ物に不自由がなくて幸せの象徴なの!」
引用 https://jisin.jp/
と答えています。
ゾマホンさんが大使だった時には、大使夫人として中学、高校などで特別講師としてベナン料理を生徒と作ったりする活動もしていたようです。
ゾマホンの現在は?
ゾマホンさんは2020年現在もビートたけしさんの付き人をしながら、自身の設立したNPO法人の運営をしています。
ゾマホンさんは2012円から一時、ベナンの駐日ベナン国大使になり、ビートたけしさんの下を離れましたが、任期が終了した後には再び付き人に復帰。
2018年にビートたけしさんが「オフィス北野」から独立した後も、付き人として活動しています。
「ハワイ行くのなんて恥ずかしいから、(付き人の)ゾマホンとマネージャーと。ホノルルとかワイキキとかじゃなく、絶対に人が行かないような所に。1時間かかるような島に」
引用 https://www.sanspo.com/
2020年にビートたけしさんが再婚し、ハワイに新婚旅行に行った際も、ゾマホンさんは付き添っていました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。