宮本信子さんは北海道出身の女優。
旦那は伊丹十三さんで馴れ初め・出会いは?
息子は俳優をしている?
若い頃や学歴、経歴は?
気になったので、女優の宮本信子さんについて調べてみました。
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宮本信子の学歴・経歴
名前 宮本信子
生年月日 1945年3月27日
身長 157cm
出身 北海道小樽市
所属 東宝芸能
宮本信子さんは北海道小樽市生まれ、愛知県名古屋市育ち。
愛知県名古屋市には4歳の頃に移住。
幼少期から日舞を習い、将来の夢は、歌手と芸者とキャビンアテンダント。
子供の頃は舞台に出ることに憧れて、マイク代わりにホウキを持ったり、ハタキをステッキ代わりにして遊んでいたといいます。
高校は愛知淑徳学園高校
同高校は愛知県名古屋市にある私立の女子高。
1905年(明治38年) に開校した伝統のある高校で、2009年に完全中高一貫化になり、現在は高校からは入学できませんが、進学実績などからの推定偏差値は68前後のようです。
高校卒業後の1963年に文学座附属演劇研究所に3期生として入所。
翌年の1964年に「劇団青俳」に入団。
同年11月、NHKのドラマ「名古屋駅前」に出演しドラマ発出演。
1969年に伊丹十三さんと結婚。
宮本信子の旦那の伊丹十三との馴れ初めは?
宮本信子さんが結婚したのは1969年。
24歳の時。
旦那は映画監督の伊丹十三さん。
宮本信子さんと伊丹十三さんの馴れ初め・出会いは映画出の共演。
宮本信子さんと伊丹十三さんは1967年2月公開の映画「日本春歌考」で共演したこと出会いました。
伊丹十三さんは1933年5月15日生まれで、宮本信子さんの12歳年上。
伊丹十三さんは高校卒業後、新東宝編集部に就職し映画編集の仕事を経て商業デザイナーとなり、車内の吊り広告や目次のデザインなどの仕事をしていたそうです。
1960年、26歳の時に映画製作会社の大映に入社し、俳優として活動を始めますが、翌年の1961年に大映を退社。
退社後は、外国映画などにも出演し、1962年に
は自主短編作品「ゴムデッポウ」を制作。
宮本信子さんは1969年に結婚後は、家庭、子育てのため女優業はセーブしていました。
宮本信子、旦那の伊丹十三監督作でブレイク
子育ても落ち着いた1984年、旦那の伊丹十三監督映画「お葬式」に主演。
以降、宮本信子さんは伊丹十三監督映画全作品に出演しています。
同映画は伊丹十三さんので映画監督デビュー作でもありました。
映画「お葬式」はそのタイトルからメジャー映画会社はどこも配給を断ったといいます。
しかし、公開されると予想を超す驚異的な大ヒットを記録し配給収入は12億円。
1985年の日本アカデミー賞では、
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞(山崎努)
最優秀助演女優賞(菅井きん)
を受賞しました。
伊丹十三さんは妻である宮本信子さんを主演に起用した理由について、
「妻はいい女優なのに、なかなか主役の話が来ない。ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえば良い」
と話しました。
1985年には映画「タンポポ」に主演。
1987年には映画「マルサの女」に主演し、同映画で宮本信子さんは、
日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞
を受賞しブレイク。
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
も受賞しました。
伊丹十三さんは1997年の映画「マルタイの女」の公開後の12月に伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション下で、飛び降りたとみられる遺体となって発見されました。
自殺とされているようです。
宮本信子の息子は俳優
宮本信子さんの子供は2人。
2人とも息子です。
俳優をしているのは長男の万作さん。
池内万作の名前で俳優をしています。
本日の犯人役、池内万作は宮本信子(資生堂プリオールの宣伝にご出演中)と故・伊丹十三監督の愛息だから、それはもう演技に関しては…(怖かった)
#aibou pic.twitter.com/mY3uV21pS3
— siorinn(汐鈴) (@siorinnstory) February 27, 2019
池内万作さんは1972年3月27日生まれ。
高校卒業後にはロンドンへ渡り、リー・ストラスバーグ校にて3年間、演技と脚本を学んで帰国後、1995年に映画「フラート」で俳優デビューしました。
現在はドラマ中心に活動しています。
弟の万平さんは1985年公開の映画「タンポポ」に子役として出演していたようですが、現在は俳優はしていないようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。