伊集院光さんは東京都出身のお笑いタレント。
伊集院光さんの嫁との馴れ初めや子供は?
落語家時代のエピソードや廃業した理由は?
高校などの学歴や経歴は?
気になったので、伊集院光さんについて調べて見ました。
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伊集院光の嫁との馴れ初めや子供
伊集院光さんの嫁は元アイドル歌手の篠岡美佳さん。
1995年12月に結婚しました。
嫁の篠岡美佳さんは1970年5月20日生まれで、伊集院光さんの3歳年下。
伊集院光さんが28歳、篠岡美佳さんが25歳の時の結婚でした。
篠岡美佳さんは和歌山県出身で、21歳の時にアイドル歌手デビューしました。
伊集院光さんと篠岡美佳さんの馴れ初めは番組での共演。
伊集院光さんが司会を務めていた日本テレビ系の情報番組「うるとら7:00」に篠岡美佳さんがリポーターとして出演したことで出会ったそうです。
伊集院光さんは篠岡美佳さんに好意をもったそうですが、演者やスタッフが仲がいい番組だったため、
「失敗した時、目も当てられない」
と告白は出来ずにいたそうです。
当時、伊集院光さんはヘルニアを患っており、痛みが酷く座薬を入れて痛みを抑えていたといいいます、
そんなある日、篠岡美佳さんも含めて伊集院光さんの家でみんなで遊んでいた際、座薬の効果が切れてしまったそう。
伊集院光さんはみんなに帰宅を促し帰ってもらったそうですが、篠岡美佳さんだけ一度は伊集院光さんの家を出たものの、異変を感じ再び伊集院光さんのの元へ戻ったそうです。
その時、伊集院光さんは、
「のたうち回りながら座薬を入れようとしていた」
といい、それを見た篠岡美佳さんが伊集院の肛門に座薬を入れてくれたといいます。
伊集院光さんは、そんな篠岡美佳さんの行動に感激して、告白しようと思ったそうですが、その当時、篠岡美佳さんには交際している人がいたそうで、伊集院光さんは、
「もしフリーになったら連絡して欲しい」
と伝え、篠岡美香さんさんが恋人と別れた後に、交際に至ったそうです。
伊集院光さんと嫁の篠岡美佳さんに子供は居ないようです。
伊集院光の高校などの経歴や経歴
名前 伊集院光
生年月日 1967年11月7日
身長 183cm
出身 東京都荒川区
所属 ホリプロ
伊集院光さんは東京都荒川区生まれ。
本名は篠岡健
兄、姉、弟がおり、4人兄弟の次男。
父親は大手生活用品メーカー・ライオンに研究員として勤務。
父親は叱る時には何を怒っているかや、理由や経過をホワイトボードに書き、理論的に叱る人で伊集院光さんは子供の頃はどこの家でもそうしているものだと思っていたといいます。
中学は荒川区立第七中学校。
部活は野球部に所属。
デブタレントに分類される伊集院光さんですが、中学2年生の時には体重が100kgを超えて、高校の時には120kgを超えて、高校1年生の時には相撲部屋からスカウトが来たそうです。
高校は足立新田高校に進学。
足立新田高校は東京都足立区にある、男女共学の都立高校で、偏差値は45。
伊集院光さんが足立新田高校に行ったのは、同じ足立区の都立高校・江北高校の受験に失敗し、定員割れをしていた足立新田高校に入学したそうです。
高校時代も野球部に所属。
ポジションはキャッチャー。
高校の時は不登校になったそうです。
伊集院光さんが高校に行きたくないと思い始めたのは高校1年生の5月頃だそう。
高校は3年生の2月に退学。
不登校を心配した叔父の知り合いの紹介で、1984年7月、16歳の時、圓楽一門へ入門し三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)の弟子になり、「三遊亭楽大」の名で落語家として活動し、「伊集院光」としてラジオに出演し脚光を浴びますが、1990年に落語家を自主廃業。
落語家の籍を離れた後はタレントとして活動。
1995年10月からTBSラジオの深夜番組「深夜の馬鹿力」が放送開始。
1998年4月から2008年3月までの10年間にわたっては日曜午後のワイド番組「伊集院光 日曜大将軍」「伊集院光 日曜日の秘密基地」のパーソナリティも務めました。
2016年4月から毎週月曜日から木曜に、30年間放送された「大沢悠里のゆうゆうワイド」の後を継ぎ、「伊集院光とらじおと」が放送開始。
雑学に長け、クイズ番組でも活躍。
伊集院光の落語家廃業の理由
伊集院光さんは16歳で、三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)の弟子となり、三遊亭楽大(さんゆうてい らくだい)の名前で落語家として活動を開始。
1988年には二つ目昇進し、同年の第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人落語大賞)には本選に「子褒め」で出場を果たました。
三遊亭楽太郎さんの弟子という関係から、日本テレビの番組「笑点」の「若手大喜利」にも出演、楽太郎さんとペアでフジテレビの音楽系クイズ番組「クイズ・ドレミファドン!」に出演し優勝したこともあったそうです。
伊集院光さんが落語家はを廃業した理由は、落語家時代に「三遊亭楽大」ではなく「伊集院光」の名前で出演していたラジオ番組が一門に知られ、問題となったことが大きな理由のようです。
伊集院光さんはニッポン放送の「激突!あごはずしショー」というオーディション番組に出演した際、師匠の許可を取らずに出演。
顔が出ないラジオなので、名前を変えればバレないだろうと考え、顔を想像できないような名前という理由で「伊集院光」の名前で出演。
好評だったことから1988年10月からニッポン放送で「伊集院光のオールナイトニッポン」が放送開始。
この番組が一門に知られたことで問題になったといいます。
師匠だった楽太郎さんは、各所に出向き伊集院の為に頭を下げていたそうですが、話し合いを重ねた末に、伊集院光さんは落語家の廃業を決めたそうです。
この件について師匠だった楽太郎さんは伊集院光さんを擁護しており、伊集院光さんが落語家の籍を離れた後も関係は良好で、毎年正月に行われる一門の新年会に招待したり、ラジオやテレビでの共演もしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。