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パンサー尾形貴弘の嫁や子供、サッカーや高校、大学などの学歴や経歴

パンサー尾形貴弘さんは宮城県出身のお笑い芸人。

尾形貴弘さんは結婚しているようですが、嫁との馴れ初めは?

子供は娘?

尾形貴弘さんはサッカーのスポーツ推薦で大学に入学したようです。

気になったので、パンサー尾形貴弘さんについて調べてみました。

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パンサー尾形貴弘の嫁や子供

尾形貴弘さんが結婚したのは2017年3月。

嫁は一般女性の「あいちゃん」で、年齢は6歳年下

結婚した時、尾形貴弘さんは39歳、嫁は33歳でした。

嫁との馴れ初め・出会いは「飲み会」だったと尾形貴弘さん話しています。

尾形貴弘さんは1日ずっとすべったとき、プライベートで嫁だけが笑ってくれ、一緒にいて楽しかったことから惹かれたといいます。

後輩への振る舞いから、後輩にも人気があるそうです。

交際期間は3年、1年半の同棲を経て結婚しました。

プロポーズは約40人の後輩や同期の協力で、「キャプテン翼」の曲でフラッシュモブで伝えたです。

尾形貴弘さんの子供は娘がいます。

2018年3月に誕生しました。

パンサー尾形貴弘のサッカー

尾形貴弘さんは小学校からサッカーを始め、社会人までサッカーやっていました。

大学の時まではプロサッカー選手を目指していたそうです。

尾形貴弘さんがサッカーと出合ったのは小学校1年の時、神社の鳥居をゴールにしてサッカーをしていた、年上のお兄ちゃんに仲間に入れてもらい、ドリブルでお兄ちゃん達を抜いた時、

「こんな気持ちいことってあるのか!」

と思いサッカーを始めたそうです。

小学生時代は地元のチームでプレイし、松島町立松島中学に入学。

松島中学はサッカーの強い中学で、監督に声をかけてもらって入学し、中学1年から一人暮らしをしてたそうです。

ドリブルから始まったサッカーで小学生の時はドリブル一筋でしたが、中学ではスイーパーでした。

中学時代は宮城県選抜に入っています。

高校は高校は仙台育英学園高校に進学。

当時の監督に声をかけてもらって入ったそうで、特待生でなかったそうですが待遇はよく、合宿や練習着、1年生16人だけが行けるドイツへのサッカー留学にもお金はかからなかったといいます。

後にJリーグのジェフ市原やサンフレッチェ広島で活躍した中島浩司さんとチームメイトでした。

高校の2年の終わり頃にベンチに入り3年生の時には10番をつけキャプテンを務め、全国ベスト16。

背番号10はずっと中島浩司さんがつけていたそうですが、最後は尾形貴弘さんがつけたそうです。

大学はサッカー推薦で中央大学文学部に進学。

大学入学まではプロサッカー選手をは目指していましたが、大学時代にセレッソ大阪の二軍を試合をした時、日本代表だった西澤明訓さんが怪我明けの調整のために出場。

尾形貴弘さんはセンターバックとして出場し、マークにつきましたが西澤明訓さんが目の前でジャンプした時、尾形貴弘さんがヘディングでも届かないような高さのボールを胸でトラップしたのを見て、「プロは無理だな」と思ったそうです。

大学卒業後は、事務機器、光学機器などを製造するメーカー「リコー」に入社。

社会人時代もサッカーを続けていたそうですが、全然試合に勝てなくて、25歳の時に、退社しお笑い芸人を目指しました。

パンサー尾形貴弘の高校、大学などの学歴・経歴

名前   尾形貴弘
生年月日 1977年4月27日
身長   182cm
出身   宮城県桃生郡鳴瀬町(現・東松島市)
所属   吉本興業

尾形貴弘さんはが育った場所はのどかな田舎で、最寄の駅は無人駅だったそうです。

小学校からサッカーを始め、大学までサッカー部。

中学は松島町立松島中学校

高校は仙台育英学園高校

仙台育英学園高校は宮城県仙台市のある男女共学の私立高校。

偏差値は39~58

尾形貴弘さんは普通科フレックスコースで偏差値は39

大学は中央大学文学部

偏差値は60

尾形貴弘さんはサッカー推薦で入学しました。

大学時代は教師を目指していた時期があり、公民の教育職員免許状を取得してます。

ただ、教員採用試験は受けていないようです。

尾形貴弘さんは大学卒業後、事務機器、光学機器などを製造するメーカー「リコー」に就職しました。

しかし、うまくいかず25歳の時、学施療で大学時代のサッカー部の友人達と、ふざけて「面白い風呂の入り方選手権」みたいことをやった時優勝し、その時、友人に「笑いをやってみたら」といわれたことを思い出し、会社を退職し東京NSCに8期生として入学。

同期はスリムクラブ、銀シャリなど。

尾形貴弘さんは「グレートホーン」というコンビを組んで活動しますが解散。

その後、ピン芸人として「サンキュー尾形」の名前で活動しますが、全く受けずお笑い芸人を辞めて仙台に帰ってラーメン屋になるか、芸人を続けるか悩んだといいます。

お笑い芸人を続けるになら、現在のパンサーのメンバーである1年後輩の菅良太郎さんとコンビを組みたいと思っていたそうです。

尾形貴弘さんはライブで管良太郎さんにアドバイスされたことを実践して大受けしたことがあり、「コイツは天才だと…」と一目置いていたといいます。

ちょうど、管良太郎さんもコンビを解散していましたが、尾形貴弘さんは管良太郎さんと1年半以上会っていなかったことと、1年後輩だったこともあり、自分からはなかな言い出せなかったと話します。

当時、尾形貴弘さんは30歳でラストチャンスとも考えていたようです。

ある日、新宿で偶然に管良太郎さんに会ったことで「神様のお告げ」と思い、声をかけコンビを結成。

ちょうどその頃、現在のパンサーのメンバーの
向井慧さんも管良太郎さんと組みたいと思っており、向井慧さんが「僕も入れてください」と声をかけて2008年8月に「パンサー」を結成。

「パンサー」の名づけ親はお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さん。

又吉直樹さんが3人の共通点を聞いたところ、3人ともヒョウが好きだったので「パンサーはどう?」という感じで決まったといいます。

ライブで子中高生を中心に大人気を集め、2011年頃にテレビ朝日系のバラエティ番組「ロンドンハーツ」で尾形貴弘さんがドッキリをかけられ「パンサー」としても注目を集めました。

2013年にはフジテレビ系の「笑っていいとも!」やTBS系の「王様のブランチ」にレギュラー出演しブレイクしました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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