井上順さんは東京都出身のの歌手、俳優。
井上順さんの結婚や嫁、子供は?
ハーフとの噂は本当?
気になったので井上順さんについて調べて見ました。
井上順の結婚や嫁、子供
井上順さんは1971年に結婚しました。
嫁はモデルの青木エミさん。
青木エミさんは1949年5月24日生まれで、井上順さんの2歳年下。
井上順さんが25歳の時の結婚でした。
青木エミさんは資生堂のモデルも務めていた、ハーフの人気モデルでした。
井上順さんと青木エミさんの馴れ初め・出会いは、フジテレビ系で放送されていたトーク番組「ラブラブショー」での共演。
「ラブラブショー」は毎回当時の男女の若手歌手や若手俳優などを1組を招きトークする番組で、井上順さんと青木エミささん以外にも、石坂浩二さんと浅丘ルリ子さん、三浦友和さんと山口百恵さんなど、9年半の放送で8組が共演後に結婚しています。
井上順さんと青木エミさんは1982年に離婚。
結婚生活は約11年でした。
子供はいないようです。
井上順の再婚は?
井上順さんは2020年現在、再婚していません。
再婚はしていませんが、交際相手がいることは2014年に報じられています。
相手は30歳年下で、交際が報じられた当時、井上順さんは67歳。
4、5年前から交際に発展した報じられました。
その後「徹子の部屋」に出演した際には交際相手がいることを明かし、
「一緒に暮らしてませんけど、30くらい年が離れている女性の存在がいい刺激になって、いい時間を過ごしています」
と話しました。
結婚については、
「僕の意見より彼女の意見を尊重しているので、彼女がそうしたいと言ったら、そちらに進んでいこうと思っています」
と結婚も視野に入れていることを明かしました。
2019年4月にも交際が続いていることが報じられ、
「檀れい似の美女」
とされていました。
井上順さんはハーフ?
井上順さんは「ハーフ」で多く検索されているようです。
井上順さんは目鼻立ちがはっきりしていますが、ハーフだという情報はありません。
井上順さんの祖父はイギリスから初めて日本に競馬を持ち込んだ人物のようなので、海外との交流はあったようですが、ハーフやクオーターなどの情報はありませんでした。
元嫁の青木エミさんはハーフなので、そのことで検索されている可能性もあります。
井上順の若い頃や現在
井上順の若い頃の画像。
「若い頃の井上順」というワードに少しでも食いついた人に必ず見せてるマイベストフォトジェニック順ちゃん pic.twitter.com/LCp4HZp4J6
— 稲 (@0_kaki_0) September 28, 2018
これは井上順さんの10代の頃の画像のようです。
若い頃の井上順がタイプすぎる pic.twitter.com/mUA5NIbBJI
— skip (@skipbutton) February 23, 2016
この画像は20代か30代の画像だと思われます。
グッモー?? 今日は我が父、巌さんが旅立った日です。母との離婚で父との触れ合いは少なかった。芸能活動盛んな頃、朗らかなおばちゃん達が集う銀座のBarへ。私の顔を見て最初の声が「あっ巌ちゃんの息子さんだ」でした。滅多に会わなくても喜んでいてくれたのを感じた夜でした。今日は一緒に一献?? pic.twitter.com/VV0rhZecvh
— 井上順 (@JunInoue20) August 7, 2020
現在の井上順さんの画像。
井上順さんは2013年に文藝春秋で市毛良枝さん野口五郎さんと共に「見た目が変わらない芸能人」として紹介されています。
軽妙なトークで司会者としても活躍していた井上順さんですが、現在は俳優として活動しています。
出演はドラマ中心で年に2本~3本のペースで出演しています。
井上順の学歴や経歴
名前 井上順
生年月日 1947年2月21日
身長 170cm
出身 東京都渋谷区
所属 オー・エンタープライズ
井上順さんは東京都渋谷区育ち。
実家は馬場を経営。
馬場とは乗馬を行うための場所のようです。
祖父はイギリスから競馬を日本に持ち込んだ人物。
父親は馬を診る獣医師。
兄弟は3人で末っ子。
井上順さんが小学校入学前に両親が離婚。
一時は養子に出されてといいます。
中学生になる頃に、再び母親と暮らすようになったそうです。
高校は成城学園高校
成城学園高校は東京都世田谷区にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は64
芸能界入りして忙しくなったためか、高校は中退しているようです。
井上順さんが13歳の時に、「六本木野獣会」に加入。
「六本木野獣会」とはティーンエイジャーの遊び人グループで、メンバーは音楽や映画、ファッションなどに興味を持った若者の集まりで、大原麗子さん、中尾彬さん、ムッシュかまやつさん、峰岸徹さんなどもいて、メンバー数は30人ほどだったそうです。
特に4歳年上の峰岸徹さんには、峰岸徹さんが亡くなるまで、弟のように可愛がられたと話します。
井上順さんはここで交流を深めたことで、ジャズ喫茶で歌を歌うようにようになり、当時はグループサウンズといわれたバンドの「ザ・スパイダース」のメンバーに声をかけられて、16歳で最年少メンバーとして加入。
「ザ・スパイダース」では堺正章さんをダブルボーカルで活躍。
1967年4月、TBS系のドラマ「太陽のあいつ」で俳優デビュー。
井上順さん、堺正章さん、ムッシュかまやつさんの3人を中心に繰り広げられる軽妙なやりとりも人気となり、1966年リリースした「夕陽が泣いている」が100万枚を超える大ヒット。
その後も、「なんとなくなんとなく」、「あの時君は若かった」などのヒット曲を出しますが、個々のメンバーの人気が高かったことから、ソロ活動や俳優活動が増え、1970年に解散。
1971年4月、24歳の時、シングル「昨日・今日・明日」でソロデビュー。
同年9月にリリースした2枚目のシングル「お世話になりました」がヒット。
1976年4月からフジテレビ系の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の3代目男性司会者に就任し、1985年9月まで9年半務めました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。