草刈民代さんは東京都出身の女優。
草刈民代さんの旦那はどんな方なんでしょう?
子供はいるのでしょうか?
草刈民代さんは元バレリーナのようですが、活躍は?
草刈正雄さんとの関係は?
気になったので、草刈民代さんについて調べてみました。
草刈民代の実家
草刈民代さんの実家は「中央製版印刷株式会社」という印刷会社を経営しています。
この印刷会社は1947年5月に、草刈民代さんの父方の祖父の草刈親雄さんが設立。
その後、父親の草刈龍平さんが会社を継ぎ、現在は妹の草刈明代さんが代表を務めています。
埼玉県戸田市に本社があり、社員数は360人で4つの工場があります。
大人気漫画の「ONE PIECE」の印刷もしているようで、2019年には約74億円の売上があったようです。
草刈民代 バレエ
草刈民代さんは元バレリーナ。
43歳まで現役でした。
草刈民代さんがバレエをはじめたのは、1973年の8歳の時。
1972年の札幌オリンピックのフィギュアスケートの銅メダリスト・ジャネット・リンさんの演技をを見て憧れ、自分から両親に頼んで小林紀子バレエアカデミーに入門したそうです。
バレエを始めてすぐに、草刈民代さんは「プロのバレエダンサーになる」と決意し、台風で学校が休みでもバレエのレッスンには通うほど、バレエ中心の生活で、1981年に16歳で牧阿佐美バレヱ団に参加。
草刈民代さんは幼稚園から高校まで川村学園に通っていますが、川村高校はプロのバレエダンサーになるために、1年で中退しています。
プロのバレエダンサーを目指す背中を押してくれたのは、父親だったといいます。
18歳で同バレエ団で主役クラスを演じるダンサーに成長し、数々の賞も受賞。
1990年には、ソビエト文化省の招聘による牧阿佐美バレエ団ソビエト公演に参加。
翌年の1991年には、モスクワ・ダンチェンコ劇場に招かれて「ドン・キホーテ」の主役を踊っています。
1996年、に映画「Shall we ダンス?」のオファーを受け芝居に初挑戦。
同映画で「第20回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞・新人俳優賞」を受賞。
映画出演後もバレエを現役で続け、1997年にはロシア国内でもトップクラスのバレエ団、レニングラード国立バレエ団の公演にゲスト出演。
翌年の1998年にはびはレニングラード国立バレエ日本公演に客演、「白鳥の湖」を踊っています。
2001年9月、モスクワでインペリアルロシアバレエと共演し、草刈民代さんが憧れていた作品「カルメン組曲」を踊りました。
2009年4月、自らの企画・構成・プロデュースによる「Esprit~エスプリ~ローラン・プティの世界」を最後にバレリーナを43歳で引退しました。
バレエ引退後は女優に転身。
草刈民代の旦那
草刈民代さんは1996年3月に結婚しました。
旦那は映画監督の周防正行さん。
周防正行さんは1956年10月29日生まれで、草刈民代さんの9歳年上。
草刈民代さんが30歳の時の結婚でした。
周防正行さんは立教大学文学部仏文科在学中に講義「映画表現論」に出会い、卒業後に映画監督を目指し、助監督として修行を積み、1984年にピンク映画で監督デビュー。
1992年1月公開の映画「シコふんじゃった。」の監督、脚本を務め、
第16回日本アカデミー賞最優秀作品賞
第35回ブルーリボン賞作品賞
を受賞しました、
草刈民代さんと旦那の周防正行さんは映画「Shall we ダンス?」で出会いました。
「Shall we ダンス?」の監督が周防正行さんでした。
旦那の周防正行さんは草刈民代さんとの馴れ初めについて
「勘違いですかね」
と話します。
映画「Shall we ダンス?」のプロモーションで一緒になることが多くなり、毎日2時間ぐらい電話で話すようになったそうです。
それで周防正行さんは、
「俺は良く思われているんだ」
と勘違いしたといいます。
交際3ヶ月での結婚で、プロポーズは交際1ヶ月目だったそうです。
草刈民代の子供は?
草刈民代さんに子供はいません。
草刈民代さんは結婚後もバレエ中心の生活で、バレエの舞台稽古と毎日の夕飯の用意が両立できず、結婚2年目くらいで料理をするのを諦めたといいます。
旦那の周防正行さんも反対しなかったそうです。
子供を産むか産まないかの問題には真正面から向き合ったことは無く、気が付いたらその時期が過ぎていたといいます。
しかし、草刈民代さんは後悔はしていないと話しています。
草刈民代と草刈正雄の関係
草刈民代さんと草刈正雄さんは「草刈」という珍しい苗字で同じことから、親戚関係かと検索されているようです。
しかし、草刈民代さんと草刈正雄さんはさんは血縁関係はなく親戚関係ではありません。
ちなみに、「草刈」という苗字は全国に約4400人いるようで、宮城県や山形県など比較的東北地方に多い苗字のようです。
草刈民代の学歴・経歴
名前 草刈民代
生年月日 1965年5月10日
身長 168cm
出身 東京都新宿区
所属 ワタナベエンターテインメント
草刈民代さんは東京都新宿区育ち。
3姉妹の長女。
妹は1歳下と2歳下。
草刈民代さんは子供の頃から体を動かすのが大好きな女の子だったそうです。
幼稚園は川村幼稚園
小学校は川村小学校
中学校は川村中学校
高校は川村高校
幼稚園から高校まで、ずっと川村学園に通っていました。
川村学園は東京都豊島区にある私立の女子高で、お嬢様学校として知られています。
川村高校の偏差値は49
1973年からバレエをはじめ、プロのバレリーナを目指して、高校は1年で退学しています。
1996年1月公開の映画「Shall we ダンス?」で女優デビュー。
役所光司さんとのW主演でした。
当時、草刈民代さんは30歳。
同映画で、草刈民代さんは、
第20回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞・新人俳優賞
キネマ旬報賞:新人女優賞
を受賞しました。
女優はは初めてでしたが、10歳の頃に子役としCMや雑誌に出たことはあったといいます。
映画「Shall we ダンス?」出演後も、バレリーナとして活動していました。
2009年4月、43歳でバレリーナとしての現役を引退。
バレエ引退後は女優に転身。
2010年1月、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」でドラマ初出演。
同年10月、舞台「Believer/ビリーバー」で舞台初出演。
2012年9月、NHKのドラマ「眠れる森の熟女」でドラマ初主演。
同年10月、映画「終の信託」に主演・折井綾乃役で出演。
「Shall we ダンス?」以来16年ぶりの映画出演でした。
草刈民代さんは同映画で、
第36回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
を受賞しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。