設楽統さんは埼玉県出身のお笑い芸人。
設楽統さんは結婚していますが、嫁はどんな人何でしょう?
子供は娘のようです。
設楽統さんは火事にあった経験があるようです。
設楽統さんの豪邸とは?
気になったので、設楽統さんについて調べてみました。
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設楽統の嫁
設楽統さんが結婚したのは1999年4月。
26歳の時でした。
嫁は一般人の女性の路子さん。
年齢は設楽統さんの1歳年下。
設楽統さんと嫁が交際を始めたのは19歳の頃。
まだ、バナナマンを結成する前で、相方の日村勇紀さんとも出会う前でした。
プロポーズの言葉などは特になく、当時、設楽統さんが住んでいたのは風呂なしで、風呂ある家に住みたいと思い、引っ越しを考えていた時に、嫁に
「一緒に住まない?二人で住めば家賃を折半できる」
と持ちかけたところ、嫁は、
「じゃあちゃんとしないと」
と答え、その流れで結婚したそうです。
結婚時は貯金は6000円程で、ギリギリバイトをしなくてもいいくらいの収入だったそうです。
設楽統の娘
設楽統さんの子供は娘がいます。
名前は奈々葉さん
2002年4月に産まれています。
設楽統さんが29歳の時で、子供が生まれた頃には「まあまあ食えてた」そうです。
娘が6歳の頃、設楽統さんは、
「(娘とでかけるのは)近くのコンビニとか、公園も行ったことありますよ。俺のこと好きっすよ(笑)。娘は俺がバナナマンだっていうことを対外的に自慢したいっていうのがあるから。」
引用 http://pta.4101.tv/
当時に娘さんは幼稚園の先生とかに
「うちのパパはバナナマンだよ」
といって相手が驚くのが好きだったといいます。
娘が17歳頃には
「自分では、コミュニケーション下手だと思っているんです。だから、うまいこと立ち回るためにあれこれ作戦を立てるといったことは、ほぼしません。ただ、小さな頃から子供扱いせず、大人に話しかけるような言葉を選びます。それから、具体的な指示はせず、自分なりの考えを提案する程度にしています。」
引用 https://fqmagazine.jp/
と話しています。
設楽統の火事
設楽統さんは2007年3月に火事に出しています。
原因は自らのタバコの不始末。
火事になった時、爆発音が聞こえ、パニックになり外に逃げましたが、手に持っていたのは、固定電話の子機だったそうです。
幸い自室が燃えただけで、全焼は免れましたが、部屋にあった衣装などはほとんど失ってしまったそう。
火事が消えた頃、火元の近くにあった携帯電話がなり、出てみるとマネジャーでした。
火事にについて伝えると、仕事をずらしてくれ、6時間後にTBS系の「ザ・イロモネア」の収録にのぞみ、ファイナルステージまで見事勝ち抜いて100万円を獲得。
最後には火事をネタにし、
バナナマン 設楽統
自身のタバコの不始末でイロモネア収録の直前に火事を起こした事をオープニングで話す。
サイレントの挑戦で一人笑わずに残っていたが
溶けた携帯を掲げて、賞金100万を獲得。
明確なブレイクは無く、いつの間にか売れていたって本人達は話すが
ドヤイ的ブレイク点はここなのだ。 pic.twitter.com/rMiPheYlfo— 散歩写真をあげるアライさん (@rom3nen) August 27, 2019
焼けた携帯電話を見せ笑いをとりました。
このときの賞金100万円は、日村勇紀さんは受け取らず、すべて設楽統さんに渡したそうです。
設楽統の豪邸
設楽統さんは2017年11月に自宅を新築していることが報道されました。
報道では、
「4億円の豪邸建設中」
とされ、同月に自身の出演するラジオ「JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD」で自宅を立てていることを明かしました。
設楽統さんは立てている自宅について、
「値段のアレはさておき、やっぱりビビるよね。大量な金額なワケじゃない。俺はガッツリ35年ローンとかでさ、そうすると80(歳)近くまで…大丈夫なのかなと思うじゃない」
と心配も吐露しました。
報道によれば、土地の広さは約40坪で2年前に購入。
土地だけでも3億円の資産価値があるそうです。
場所については「都心のド真ん中に豪邸」とされ2017年12月に工事が完了したそうです。
設楽統の高校など学歴や経歴
名前 設楽統
生年月日 1973年4月23日
身長 175cm
出身 埼玉県秩父郡皆野町
所属 ホリプロコム
設楽統さんは埼玉県秩父育ち。
父親は西武グループのホテルだった西武長瀞ホテルの元支配人。
母親は福岡県出身。
3人兄弟の一番下で6歳上の兄と3歳上の姉がいます。
中学は皆野町立皆野中学校を卒業
中学時代は野球部に所属しキャプテンを務め、同時に生徒会長も務めました。
高校は秩父農工高等学校機械科を卒業。
秩父農工高校は埼玉県秩父市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は42
高校時代には同じ女性に3回告白し3回振られてたといいます。
3回目の告白ではティファニーのオープンハートをプレゼントしたそうですがダメだったそうです。
高校卒業後は父親のコネで西武鉄道に入社。
入社後は小手指駅で駅員として勤務。
小手指駅員時代はホームのアナウンスで、
「ドア開きまーす。ドア開きましたらー、右足~、左足~、右足~、左足~、交互に運んでごゆっくりお乗りください」
「白線の内側で伏せてお待ちください」
など小ネタを交えたアナウンスをしたこともあったそうです。
しかし、「このままでいいのか?」と疑問をを持つようになり、西武鉄道を半年で退職しカラオケボックスの受付、酒屋の配達、焼鳥屋などで芸人になることを夢見ながらアルバイト生活。
父親のコネで入社した会社でしたが、父親は、
「仕方ないなあ。大学に通ったつもりで好きにやってみろ」
と言ってくれたといいます。
その後、父親の友人の制作会社で働いていた方から、渡辺正行さんを紹介してもらい付き人としながら相方を探していました。
設楽統 バナナマン結成
1993年10月、20歳の時、現在の相方の日村勇紀さんと共通の知人であった人物の呼びかけで、4人グループを結成。
このグループの結成が、設楽統さんと日村勇紀さんは出会いのきっかけになりました。
その後、設楽統さんは4人でやっていくことに違和感を感じ始め、自身が書いた台本を日村勇紀さんに読ませたところ、面白がってくれたことがきっかけで、日村勇紀さんと脱退する形でコンビを結成。
1994年2月、「設楽日村」のコンビ名でラ・ママ新人コント大会でデビュー。
同年春に「バナナマン」に改名。
自分たちで小屋をおさえたり、チラシを作り、単独ライブを定期的に行いながら、少しづつテレビの仕事も入りますが、当時のバナナマンの事務所には教えてくれる芸人の先輩もいなかったこともあり、思うようにはいかなかったそうです。
2003年頃、テレビ朝日系の「内村プロデュース」に出演。
この番組以降、少しづつ知名度が上がり、
2005年10月からTBS系の「リンカーン」に出演。
設楽統さんはこの番組で学んだことが多かったと話します。
「『こういうときは一斉に笑うんだ』とか、『大声で言ったほうがいいんだ』とか。でもそれって、自分たちもテレビで見てきたはずなのに、いかに爪跡を残すかに力が入っちゃってるから、初めは気付けなかったんですよ。」
番組は個ではなく和なんだということがだんだん分かってきたといいます。
2008年の「キングオブコント」では準優勝。
この頃には設楽統さんはMCとして、日村勇紀さんはドッキリにかかるいじられキャラとして人気を集めていました。
2012年4月からフジテレビ系の生活情報番組「ノンストップ!」のMに就任。
同年の「2012タレント番組出演本数ランキング」では、出演番組数が611番組で1位となりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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