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ロザン宇治原史規の結婚、嫁や子供について、父親や高校や大学の学歴や勉強法

宇治原史規さんはお笑いコンビ・ロザンのツッコミ。

宇治原史規さんの結婚した嫁はどんな人なんでしょう?

子供はいるのでしょうか?

父親はどんな人?

高校、大学などの学歴や勉強法は?

気になったので、ロザン・宇治原史規さんについて調べてみました。

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宇治原史規の結婚した嫁や子供は?

宇治原史規さんが結婚したのは2013年9月。

嫁は大阪在住のアパレルのネットショップを経営している一般女性。

年齢は宇治原史規さんの6歳年下。

宇治原史規さんは37歳、嫁は31歳での結婚でした。

出会いは知人の紹介で、交際期間は9年だったそうです。

子供は2018年8月頃に誕生しています。

宇治原史規さんの希望で性別は明かしていません。

宇治原史規の父親はどんな人?

宇治原史規さんの父親は宇治原志郎さん。

パナソニック電工の元副社長です。

パナソニック電工は大阪府門真市に本社があった、照明や情報機器、住設建材、電子材料などを扱っていた会社。

2012年にパナソニックに吸収合併されましたが、売上高は連結で兆4500億円以上、従業員数 は56000人以上いた会社でした。

2017年には、「第11回 ベスト・プラウド・ファーザー賞 in 関西」の一般部門を受賞しています。

プロフィールには年齢は70歳。

昭和45年関西学院大学を卒業し松下電工(株)に入社とありました。

受賞の感想は、

「著名人でもないのに、この様な賞をいただくのに驚き。息子の名前でいただく事を知り、気恥ずかしくも有り、嬉しくも有り。」

とコメントしました。

宇治原史規の勉強法は?

宇治原史規さんの大学受験の時の勉強法は綿密に計画立て、出来る限り勉強することでした。

宇治原史規さんの受験生時代の勉強時間は11時間。

11時間勉強した理由について宇治原史規さんは、

「京大に受かった先輩は10時間勉強していた。だから10時間以上は勉強すべきで、しんどいと感じずに継続して勉強できる最長時間が11時間だったから。」

これに対して、相方の管広文さんは

「宇治原変でしょ?出来ます?1日だけではないですよ?365日ですよ?つま『1日11時間勉強すること』が凄いのではなく、『365日なら1日11時間勉強ができると思えること』が凄いのです。」

と自身の出版した「身の丈にあった勉強法」で書いています。

部屋で歩きながら暗記するなどもしていたようですが、宇治原史規さんの勉強法は、まずは勉強が好きであることが大前提のようです。

宇治原史規さんの勉強の始まりは小学校就学より前。

宇治原史規さんには2人の姉がいて、、姉が小学校に入ったら家で勉強をやり始め、手持ち無沙汰になった宇治原史規さんに母親が広告の裏に足し算とかの問題を手書きで書いて、

「これ、お姉ちゃんと一緒にやって遊んどき」

と言われ、お姉ちゃんと遊べると思ったのが勉強の始まりだったといいます。

小学校に入いっても、「勉強しろ」と言われたことはなかったそうです。

学校から帰ると母親に、

「今日学校で何やったん?」

「宿題はどんなん出てるの?」

と聞かれ、授業で習ったことや、宿題の解き方を説明すると母親は、

「へーっ!」

と言ってくれて、

「母親を驚かすのが楽しくて、勉強していたところがあります」

と話しています。

宇治原史規の高校や大学などの学歴・経歴

名前   宇治原史規
生年月日 1976年4月20日
身長   177cm
出身   大阪府四條畷市
所属   吉本興業

宇治原史規さんは大阪府四條畷市生まれ。

4歳の時、父親の仕事の関係で、広島県広島市に転居。

中学2年の時、大阪に戻り、

高校は大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎に進学。

大阪市天王寺区にある男女共学の公立高校。

現在の偏差値は73

高校で現在の相方の菅広文さんと出会い、3年間同じクラスだったそうです。

高校では2人ともバスケットボール部に所属。

夏合宿で意気投合し親しくなったそうです。

高校時代は学年で1、2位を争う成績で、京都大学の模試では全国2位になったこともあるそうです。

高校3年の時、相方となる菅広文さんと将来の進路について話し合い、菅広文さんに誘われ芸人になる事を決め、菅広文さんの

「京大に入ったら芸人になったとき売りになるやん」

との提案で、芸人になった時のウリの為に京都大学受験を決めたといいます。

高校3年の時には、京都大学合格のため、勉強の計画を立て、1日11時間も勉強したそうです。

努力の甲斐あって、京都大学法学部に現役合格。

1996年8月、大学在学中の20歳の時、菅広文さんとお笑いコンビ・ロザンを結成。

相方の管広文さんの1年浪人の末、 大阪府立大学経済学部に合格し大学生でした。

しかし、宇治原史規さんの両親は「成功するわけがない。」と芸人になる事は大反対。

宇治原史規さんは両親と話し合いますが、折り合わず、大学は卒業せずに留年して就職活動ができる可能性を残すという折衷案で落ちついたそうです。

大学は留年と休学で9年かけて卒業。

ロザン結成後すぐ、心斎橋筋2丁目劇場で行われていた、素人参加も可能なオーディション「WaChaCha LIVE Jr.」を受けましたが30秒で30不合格。

その後も、同オーデションを受け続けますが、落ち続け、初挑戦から1年半後にやっと合格。

プロデビュー後もアルバイトをしながら、舞台立っていましたが、1998年の夏、CSの番組で放送された、心斎橋筋2丁目劇場オーディションを合格した約20組で争う「新人王決定戦」で優勝したことで、ファンが付き、現役大学生のコンビだったことから、受験生に赤本にサインを求められルことも会ったといいます。

2000年代前半はうめだ花月を舞台で活動しながら、大阪のテレビ番組の出演も増えていきました。

2006年、宇治原史規さんが30歳の時、フジテレビ系の「平成教育予備校」に初出演し優勝。

それから、4連続トップを取り、さらに特番「平成教育委員会2006年夏休みスペシャル」でも優勝。

以降は、テレビ朝日系の「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」、フジテレビ系の「今夜はナゾトレ」などのクイズ番組にインテリ芸人としてひっぱりだこになっています。

芸人に大反対だった両親にに認めてもらえたのは2009年頃だそうです。

2010年にはロザンで拠点を大阪から東京へ移しています。

2014年9月から相方の管広文さんと共に追手門学院大学客員教授に就任。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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