織田信成の結婚した嫁や子供、実家や父親、母親について、大学などの学歴や経歴

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織田信成さんは大阪府高槻市出身のフィギュアスケート選手。

織田信成さんは結婚していますが、嫁はや子供は?

実家や父親、母親について検索されているようです。

気になったので、織田信成さんにつて調べてみました。

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織田信成の実家や父親、母親について?

織田信成の実家は「有限会社大阪通管工業所」という会社を経営していました。

この会社は織田信成さんの祖父の織田重治さんが1968年4月に創立して、父親の織田信義さんが継いだようです。

2020年現在は社長は別な人物に譲っています。

「有限会社大阪通管工業所」ホームページによれば、業務内容は貯水槽清掃や配管補修工事などで、社員は9人。

あまり規模の大きな会社ではないようです。

母親は元フィギュアスケート選手の織田憲子さん。

母親の織田憲子さんは3歳からバレエを始め、小学校5年生ころからフィギュアスケートを始めました。

大阪女学院高校時代にはインターハイに出場。

追手門学院大学卒業後にはバレエ講師になりましたが、結婚後、1978年から高槻市にあるスケートクラブのコーチに就任。

息子である織田信成さんも指導し、2005年の世界ジュニアフィギュアスケート選手権で織田信成さんは優勝。

文部科学省から国際競技大会優秀者表彰を指導者の部で受けました。

織田信成の嫁は?

織田信成さんは2010年4月に結婚しました。

嫁は茉由さん。

織田信成さんが23歳の時の結婚でした。

茉由さんと織田信成さんは中学の同級生。

織田信成さんは中学1年の時から高校3年までの6年間、茉由さんに片思いをしていたそうです。

高校は別々になりましたが、友人関係は続き、高校3年で世界ジュニア選手権に優勝した後にデートに誘いデートをしました。

後日メールで告白し、交際が開始。

交際期間5年で結婚しました。

織田信成の子供は?

織田信成さんに子供は4人。

3人の息子と1人の娘です。

結婚を発表した時には、子供を授かっており、

長男は2010年10月

次男は2013年1月

三男は2016年11月

長女は2019年10月

に誕生しています。

最初の長男から、4人目の長女まで間は3年で産まれています。

織田信成の学歴、経歴

名前   織田信成
生年月日 1987年3月25日
身長   164cm
出身   大阪府高槻市

織田信成さんは大阪府高槻市育ち。

兄と姉がおり、3人きょうだいの末っ子。

兄と姉もフィギュアスケートをしていたこともあり、織田信成さんも7歳で始めます。

当初は、自分の意思でフィギュアスケートを始めたわけではなかったこともあり、それほどやる気もなかったといいます。

1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位(12歳)。

1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位(13歳)。

高校は阿武野高校を卒業。

阿武野高校は大阪府高槻市にある男女共学の府立高校。

現在の偏差値は43

高校1年の時、初めて海外の大会に出場したのをきっかけに、本気でフィギュアスケートに打ち込む決心をしたといいます。

2004-2005シーズン、18歳の時、カナダのリー・バーケルコーチのもとへ渡り、シニア参戦した2005-2006シーズンはグランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では初優勝をしました。

2006年のトリノオリンピック代表がかかった全日本選手権では、初め優勝と発表されましたが、表彰式終了後に採点ミスが発覚し、全日本選手権優勝を取り消されて、トリノオリンピック出場は逃しました。

大学は2011年3月に関西大学文学部卒業。

同年4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学し2015年5月に大学院を修了しました。

2009-2010シーズンは、グランプリファイナルでは2位と好成績を残して、2010年バンクーバーオリンピック日本代表に決定。

バンクーバーオリンピックでは7位入賞。

2013-2014シーズンでは、、高橋大輔さんが怪我により欠場したため繰り上げとなり、3シーズンぶりのグランプリファイナル進出が決定。

2014年ソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権では、総合4位に終わり、ソチオリンピック出場は逃しました。

2013年12月、引退を発表。

織田信成さんは26歳でした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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