佐藤浩市さんは東京都出身の俳優。
佐藤浩市さんは結婚しているようですが、嫁はどんな方なんでしょう?
佐藤浩市さんの息子は俳優の寛一郎で共演は?
佐藤浩市さんと父親の三國連太郎さんの共演は?
佐藤浩市さんの母親はどんな方なんでしょう?
気になったので、佐藤浩市さんについて調べてみました。
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佐藤浩市 経歴
名前 佐藤浩市
生年月日 1960年12月10日
身長 182cm
出身 東京都新宿区
所属 テアトル・ド・ポッシュ
佐藤浩市さんは東京都新宿区生まれ。
一人っ子。
父親は俳優の三國連太郎さん。
佐藤浩市さんが小学校6年生の時、両親が離婚。
離婚後は母親に引き取られました。
離婚時に三國連太郎さんは小学6年生だった。佐藤浩市さんに、
「ここでお前と別れる。今日から他人になる。一切関係を断つ。これからひとりで一生懸命生きてくれ」
と告げたんだとか。
佐藤浩市さんは、子供の頃から映画館をハシゴするほど映画が好きで、高校卒業後は多摩芸術学園映画コース(現・多摩美術大学)へ進学。
映画撮影の裏方になるつもりだったそうです。
佐藤浩市さんは大学1年生の時、知人にテレビディレクターを紹介され、1980年のNHKドラマ「続・続事件」のオーディションを何の気なしに受けたところ、見事に合格し、ドラマデビュー。
佐藤浩市さんは犯人役の主演で、全4回の放送でしたが、アルバイト感覚での出演だったんだとか。
翌年の1981年に出演した映画「青春の門」「マノン」の演技で、
第5回日本アカデミー賞 新人俳優賞
第24回ブルーリボン賞 新人賞
を受賞。
後に大学は中退。
佐藤浩市さんは20代の頃は、いつでも辞めてやると思って仕事をしており、二日酔いで現場に行くこともあったそうですが、30代になった頃に、俳優の仕事しかないと考えるようになり、真剣に仕事に取り組むようになったそうです。
1994年、映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」の演技で、
第18回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
を受賞。
2016年には、映画「64-ロクヨン」で2度目の、
第40回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
を受賞。
佐藤浩市の嫁はどんな人?
佐藤浩市さんは2度結婚しています。
最初の結婚は1986年、佐藤浩市さんが25歳の頃。
結婚相手はモデルの女性だったようです。
この最初の嫁との間に息子が誕生しますが、結婚3年目に離婚。
離婚後は子供は、元嫁が引き取って育てたそうです。
佐藤浩市さんが再婚したのは、1993年、佐藤浩市さんが33歳の頃。
再婚相手は広田亜矢子さん。
広田亜矢子さんは女優の広田レオナのいとこで、舞台女優をしていたそうです。
佐藤浩市の母親はどんな人?
佐藤浩市さんの父親の三國連太郎さんと母親は、佐藤浩市さんが小学校6年生の時に離婚。
三國連太郎さんは生涯で4度の結婚歴があり、佐藤浩市さんの母親は3度目の結婚相手でした。
1952年に結婚し、1972年に離婚しました。
佐藤浩市さんの母親は報道によれば、
「東京・神楽坂の売れっ子芸者だったA子さんと恋に落ち、同棲生活を経て、1957年に結婚。その3年後に生まれたのが佐藤だった。」
引用 https://www.news-postseven.com/
とあり、売れっ子芸者だったようです。
母親は佐藤浩市さんを引き取った後は、小料理屋を経営していたそうです。
佐藤浩市さんが中学生になった頃、母親に縁の夫ができ、居場所なくした佐藤浩市さんは、高校2年生の時に家を出て、喫茶店などであるバイトをしながら、大学進学したそうです。
佐藤浩市と父親の三國連太郎との共演は?
佐藤浩市さんと三國連太郎さんの初共演は、1986年公開の三國連太郎主演映画「人間の約束」
ワンシーンだけの共演でした。
佐藤浩市さんは、三國連太郎さんに俳優をやること伝えたところ、
「そうか」
と言うだけだったそうです。
そんなそっけない態度の三國連太郎さんですが、佐藤浩市さんのデビュー後は、佐藤浩市さんと仕事をする人に、
「よろしく頼む」
と言って回っていたんだそうです。
自身が親になってみれば当然ことだと分かったそうですが、当時の佐藤浩市さんはそれがとても嫌で、何度も、
「やめてくれ」
と頼んだそうですが、三國連太郎さんは、
「親だと仕方ないんだ」
と言って聞いてくれなかったんだとか。
佐藤浩市さんと三國連太郎さんが本格的に共演したのは、1996年4月公開の映画「美味しんぼ」
この映画は、最初に三國連太郎さんに話しがあり、三國連太郎さんが親子共演を提案したと藻言われています。
2人の役は、母親を苦しめた傍若無人な父親・海原雄山に、挑む息子・山岡士郎という役どころでした。
佐藤浩市さんと父親の三國連太郎さんの間には、確執があったと噂されており、制作発表の席では、お互いを「三國さん」「佐藤くん」と他人行儀に呼び合い、さらに、佐藤浩市さんの
「俳優はサービス業」
という発言を受けて、三國連太郎さんが
「サービス業などという考え方は間違っている」
と批判。
会場の雰囲気はピリピリしていたそうです。
しかし、この確執の噂について、佐藤浩市さんは2016年のインタビューで、
「世間では僕と三国の間に”確執があった”などと言いますが、そうではない。僕らはお互いのことを大切に思っていて、親子であることを安売りしたくなかっただけです。今となっては、もっと共演しておけばよかったとも思います。」
と話しています。
佐藤浩市の息子は俳優・寛一郎で共演は?
佐藤浩市さんの息子・寛一郎さんは2017年20歳の時に俳優デビューしています。
しかし、佐藤浩市さんと家族ぐるみで付き合いのある、明石屋さんまさんによれば、寛一郎さんは小さい頃は俳優になることを拒んでいたそうです。
寛一郎さんは俳優にことを考えたのは、祖父の三國連太郎さんの葬儀に参列した際、映画関係者に声をかけられスカウトされたことがきっかけでした。
寛一郎さんは俳優になる決意をしたのは18歳の時で、高校卒業後はロサンゼルスに短期留学。
映画の公開は2017年の「心が叫びたがってるんだ。」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」が先ですが、寛一郎さんが初めて演技をしたのは、2016年に秋に撮影され、2018年7月に公開された「菊とギロチン」が最初だったそうです。
「菊とギロチン」の監督の瀬々敬久さんと佐藤浩市さんは2009年の「感染列島」、2016年の「64ロクヨン」などでタッグを組んでいて、よく知る仲ですが、息子の寛一郎さん出演には一切関わっていないそうです。
報道では、
「浩市さん自身、三國さんに突き放されたからこそ、ここまでこられたということを誰よりもわかっている。だからこそあえて寛一郎さんを突き放すことを選んだ。息子に対して、“自分の力で上ってこい”という気持ちなんです。」
引用 https://www.news-postseven.com/
とされています。
2019年現在、佐藤浩市さんと息子の寛一郎さんの共演の予定はないようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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