澤穂希さん東京都出身の元女子サッカー選手。
澤穂希さんは結婚しましたが、旦那はどんな方なんでしょう?
子供は娘?
澤穂希さんの自宅は仙台?
澤穂希さんのめまいとは?
澤穂希さんの現役時代の年俸は?
気になったので、澤穂希さんについて調べてみました。
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澤穂希の現役時代の年俸は?
澤穂希さんがプロ契約したのは、1999年アメリカのチーム所属した時ですが、明確な年俸の情はありませんでした。
アメリカの女子プロサッカー選手の年俸は、高い選手だと日本円で1000万円はかるく超えるようです。
2015年のイギリスの女子サッカーの金銭事情を特集した記事では、最も収入が多い女子サッカー選手はアメリカ代表のFWアレックス・モーガン選手で年収300万ドル、日本円では3億5千万円以上だそうです。
ただこの金額は年俸ではなく年収で、美貌にも恵まれているモーガン選手はドライヤーなどのCM契約などがあり、収入の90%以上はスポンサー契約によるものだそうです。
イギリスの女子サッカーリーグの最高クラスの年俸はDFステフ・ホートン選手の6万5000ポンド(約1260万円)。
イギリスの女子リーグではリーグ規定で年俸2万ポンド(約388万円)の決まりがあり、その金額を手にしていると言われているようですが、中には週給50ポンド(約9700円)の選手もいるのが現状のようです。
日本ではプロ契約できる選手は少なく、プロ契約が結べても、年俸は300~400万円前後といわれ、日本代表でワールドカップ優勝に貢献した丸山桂里奈さんも500万円だったことを告白しています。
日本でも一部の選手はある程度の年俸が貰えるようで、
「代表で主将を務める宮間あや選手(岡山湯郷ベル)でようやく1000万円を超える(推定)程度だ。高額収入が見込まれるのは、澤穂希選手や川澄奈穂美選手(ともにINAC神戸)ら知名度が高く、CMやスポンサー契約できるごく一部だけだ。」
引用 https://www.j-cast.com/
この記事が事実なら、澤穂希さんの年俸は1000万円は超えていたと考えられます。
澤穂希さんは日本の女子サッカー選手では最も知名度が高い選手ですし、2011年にはFIFAバロンドールをメッシ選手とともに受賞する程の選手ですから、スポンサーも多くついていたと思われます。
澤穂希の結婚した旦那は?
澤穂希さんの旦那は辻上裕章さん。
2015年8月8日に結婚しました。
旦那の辻上裕章さんは澤穂希さんの2歳年上。
結婚した時、澤穂希さんは36歳。
辻上裕章さんはアメリカ・テキサスの公立高校、ニューマンスミス高校から早稲田大学を経て、2000年に当時J2だったベガルタ仙台に入団した元プロサッカー選手。
選手時代は怪我もあり、1年で現役を引退しました。
引退後は2001年から柏レイソルのスタッフに加わり、強化本部に在籍し監督やコーチの通訳を務め、柏レイソルに在籍したまま共同通信社に出向し国内の他ロンドン支局でも勤務もしていました。
澤穂希さんと結婚した2015年には、ベガルタ仙台で運営・広報部長の仕事についていました。
澤穂希さんと辻上裕章さんは10年来の友人だったそうですが、2015年1月に辻上裕章さんが澤穂希さんの自主トレに付き合った際に急接近し、同年の8月に結婚に至りました。
友人から意識が変わったことについて、旦那の辻上裕章さんは、
「ランニングに自転車で並走した時、違ったサポートの形の感情が芽生えました。」
と話ました。
澤穂希の子供は娘?
澤穂希さんの子供は娘。
2016年7月妊娠を発表し、2017年1月9日に出産しました。
2018年6月にテレビ東京のサッカー関連番組「FOOT×BRAIN」に出演した際に、1歳3カ月の長女について、
「手ではなく足でボールを扱う」
「その途中にキックフェイエントのような動きも見せる」
「みんなに見せたいくらい」
と話しました。
澤穂希の自宅は仙台?
澤穂希さんは結婚後も現役中は神戸に住んでいましたが、引退後は旦那のいる仙台へ引っ越しをしています。
澤穂希さんは子育てを含めた仙台の生活について聞かれ、
「子育てはとても楽しいです。主人もとても協力的です。拍手など、昨日できなかったことが今日できたりする成長がうれしいです。半面、寂しさも。このまま大きくならないでと。仙台の人はすごく優しいし、おいしい食べ物がたくさんあります。街もコンパクトで、いろんなお店が集まっていて便利です」
引用 https://www.kahoku.co.jp/
と話しました。
澤穂希のめまいとは?
澤穂希と検索すると「めまい」関連ワードが出てきます。
澤穂希さんの「めまい」について調べてみると、澤穂希さんが現役サッカー選手だった2012年頃にめまいの病気にかかっていたようです。
澤穂希さんは体調不良のため、2012年のアルガルヴェ・カップの準決勝のアメリカ戦、決勝のドイツ戦を体調不良により欠場してしました。
帰国後、診察受けた澤穂希さんは「良性発作性頭位めまい症」と診断されました。
澤穂希さんが発症した病気は「良性発作性頭位めまい症」とは耳の中には炭酸カルシウムの結晶からなる組織で、平衡感覚と聴覚に関与する「耳石」がありこの「耳石」が「耳石器」からはがれ落ちて三半規管の中に移動していまうと症状がでるようです。
三半規管に耳石が入ると、じっとしているのに、あたかも回転してるような情報が脳に伝わり、発作的に強い回転性のめまいが起こるそうです。
めまいは2~3分で治まりますが、繰り返すのが特徴。
治療法は胆石のように溶かす薬のようなものはなく、耳石を元の位置に戻す、「頭位治療」が行われます。
「頭位治療」は医師が頭の位置をゆっくり上下左右に動かすことで、三半規管の中にたまっている耳石を移動させて、三半規管から追い出し元の位置に戻す治療法。
耳石が元の位置に戻れば、それを処理する細胞が働き治るんだそうです。
澤穂希さんは治療し2ヶ月ごに復帰しました。
澤穂希 経歴
名前 澤穂希
生年月日 1978年9月6日
身長 165cm
出身 東京都府中市
澤穂希さんは東京都生まれ。
澤穂希さんが小学校1年生の時、1歳年上の兄が入団していた「府ロクサッカークラブ」に兄の練習を見学に行った時にコーチに、
「ボール蹴ってみる?」
と言われ蹴ってみたらゴールにきれいに入ったことでサッカーが好きになったそうです。
その時蹴った感触は大人になっても覚えているんだとか。
澤穂希さんは小学校1年生の時に「府ロクサッカークラブ」に入団。
「府ロクサッカークラブ」は当時100人ほどメンバーがいましたが女子はおらず、そのため入団を渋られたそうですが、母親の努力もあり何とか仮入部することが出来たそうです。
その後、初めて試合に出場した際にいきなりゴールを決めたことで、正式に入団。
澤穂希さんが小学校4年生の時、釜本邦茂さんののサッカー教室に参加。
その時も女子は澤穂希さんだけだったそうです。
1991年、澤穂希さんは中学入学と同時に「読売SCベレーザ」の下部組織「メニーナ」入団し、それから1ヵ月で「ベレーザ」に昇格。
3試合目に初ゴール。
1993年、澤穂希さんが15歳(中学3年生)の時、日本女子代表に初選出。
代表デビュー試合のアジア女子選手権のフィリピン戦で4ゴール。
澤穂希さんは東京都立南野高校(現:東京都立若葉総合高校)を卒業後、帝京大学に進学。
1994年、女子サッカーリーグ「L・リーグ」が発表され、翌年には各チームのイメージソングも続々と作られ、ほとんどのチームが専用グランドを持ち、クラブハウスを持つチームも誕生し、プロ契約選手のも登場し、世界からも多くの外国人選手の集まる「世界最高の女子リーグ」と呼ばれました。
しかし、1996年のアトランタオリンピックで日本女子サッカー代表が3戦全敗したことも影響し観客が激減。
さらにバブル崩壊から、相次ぐチームの解散が決定。
澤穂希さんはこのことから日本国内でサッカーが出来なくなることを危ぶみ、1999年、21歳の時大学を中退し、米国のロラド・デンバー・ダイアモンズに所属。
2000年から2003年までは アトランタ・ビートに所属。
渡米当初は、スピードや体格差にと惑ったものの、持ち前の負けず嫌いと猛練習でテクニックを身につけ、ファンから「クイック・サワ」と称される大活躍を見せました。
2003年、澤穂希さんが25歳の時、米国女子プロサッカーリーグが突然休止を発表。
2004年からはプロ契約選手として「 日テレ・ベレーザ」に所属し日本復帰。
2008年のオフに2009年に開幕予定の米国女子サッカーリーグ「WPS」のドラフト指名を受け2009年1月に「ワシントン・フリーダム」に移籍。
同年8月、「日テレ・ベレーザ」に復帰。
2011年、澤穂希さんが33歳の時、経営難から「日テレ・ベレーザ」にプロ契約の打ち切りを宣告。
同年、「INAC神戸レオネッサ」へ移籍。
同年の2011 FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会ではキャプテンとして出場し優勝。
澤穂希さん自身はも日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成。
2015年引退。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。