市毛良枝さんは静岡県出身の女優。
市毛良枝さんは結婚していたようですが、離婚したようです。
元夫はどんな方で、離婚の原因はなんだったんでしょう?
市毛良枝さんに子供はいるのでしょうか?
市毛良枝さんは登山が趣味?
気になったので、市毛良枝さんについて調べてみました。
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市毛良枝 経歴
名前 市毛良枝
生年月日 1950年9月6日
身長 156cm
出身 静岡県伊豆市
所属 アミューズ
市毛良枝さんは静岡県伊豆市生まれ。
父親は医師。
兄弟は年の離れた兄が2人。
市毛良枝さんの中学は東京杉並区にある立教女学院中校。
立教女学院中校の現在の偏差値は68.
高校は立教女学院高校で演劇部に所属。
演劇部の公演の時は市毛良枝さんは裏方がおおかったそうです。
市毛良枝さんは高校卒業後、文学座演劇研究所に9期生として入所。
1971年、市毛良枝さんが21歳の時、TBS系のドラマ「冬の華」でドラマ初出演。
1973年、市毛良枝さんが23歳の時、映画「さえてるやつら」で映画初出演。
市毛良枝は元理想の花嫁ナンバー1
市毛良枝さんは1977年の27歳の時から、フジテレビ系の昼ドラのライオン奥様劇場「小さくとも命の花は」に出演。
市毛良枝さんが出演した「小さくとも命の花は」は嫁姑シリーズと呼ばれ、市毛良枝さんの役は姑にいびられる嫁・三津子役でした。
市毛良枝さんは嫁姑シリーズに1984年の「喜劇 女の戦争」まで9作に出演。
このシリーズの若妻のイメージから「理想の花嫁ナンバー1」や「お嫁さんにしたい女優ナンバー1」などと呼ばれていたそうです。
市毛良枝の結婚した夫は?離婚した?
市毛良枝さんは1988年に結婚。
夫は政治家で元法務大臣(第89代)で参議院議員の小川敏夫さん。
元夫の小川敏夫さんは1948年3月18日生まれ。
市毛良枝さんの2歳年上。
結婚した時、
市毛良枝さんは37歳。
小川敏夫さんは39歳。
小川敏夫さんは立教大学法学部出身で1970年に司法試験に合格し、1973年に判事補任官、1976年に検事へ転官し、1981年に退官し、弁護士に転身しました。
市毛良枝さんと結婚した時は弁護士でした。
市毛良枝さんと小川敏夫さんはお見合い結婚だったそうです。
市毛良枝さんと小川敏夫さんは1997年に離婚。
結婚生活は9年でした。
元夫の小川敏夫さんは離婚の翌年の1998年の第18回参議院議員通常選挙に民主党公認で東京都選挙区から出馬し、初当選しています。
離婚の原因については明かされてはいないようですが、2012年に週刊新潮に1990年に市毛良枝さんと義母に暴力を振るい、パトカーを呼ばれたとの記事が掲載され、新聞広告にも記事のタイトルが掲載されました。
元夫の小川敏夫さんはプライバシーの侵害として新潮社を提訴し、東京地裁は記事のプライバシー侵害と新聞広告の名誉毀損を認め、220万円の支払いを命じました。
市毛良枝に子供はいる?
市毛良枝さんに子供はいません。
離婚後も再婚することなくずっと独身でした。
ちなに、元夫の小川敏夫さんは後に再婚し、46歳の時に子供が生まれたそうです。
市毛良枝は登山が趣味?
市毛良枝さんは登山が趣味と言うより、登山家とも言われているようです。
市毛良枝さんが登山を始めたのは1990年9月の40歳の時。
市毛良枝さんの父親の担当医が登山が趣味だったそうで、市毛良枝さんの父親が他界した後、挨拶に行った時、半分社交辞令で、
「今度登山に行かれる時は、私も誘ってください」
と市毛良枝さんが言うと、いきなり、
「今度の9月の連休はお暇かな?」
と聞かれたそうです。
市毛良枝さんは迷ったそうですが、登山の話しをしている先生は楽しそうだし、2度とないチャンとも思い、登山に行き、その最初の登山が非常に楽しいものであったことが、登山にはまったきっかけだそうです。
市毛良枝さんはそれまで、スポーツの経験はなく、運動も嫌いだったんだとか。
市毛良枝さんは日本の山だけでなく、タンザニアのキリマンジャロ(標高5,895m)やヒマラヤ・ヤラピーク(標高5520m)も登頂しています。
市毛良枝さんは登山をきっかけに、やってみようと思うことはやろうという人になったと話しています。
1999年には「山なんて嫌いだった」を出版。
市毛良枝さんは現在でも登山をし、講演やトークイベントでは登山の魅力語っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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