荻原次晴さんは、元スキーノルディック複合選手
荻原次晴さんは現在、スポーツキャスターとして活躍していますね。
荻原次晴さんはリオデジャネイロオリンピックの時は、ラジオ番組でキャスターをしていたようです。
荻原次晴さんに嫁や子供はいるのでしょうか?
荻原次晴さんには双子の兄の荻原健司さんがいますが、関係はどうなんでしょう?
荻原次晴さんはソチオリンピックキャスターを務めていた時、号泣したようですが理由は?
見栄晴の意味は?
気になったので、荻原次春さんについて調べてみました。
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荻原次晴 経歴
名前 荻原次晴
生年月日 1969年12月20日
身長 170 cm
出身 群馬県吾妻郡草津町
荻原次晴は群馬県で双子の弟として生まれました。
荻原次晴さんは双子の兄の他に、姉が3人。
実家のの職業は金物屋。
荻原次晴さんは幼少期には、双子の兄・健司さんと一緒に、器械体操を習っていたそうです。
荻原次晴さんは小学校5年生から兄・健司さんより先に、スキージャンプを始め、翌年に兄・健司さんもスキージャンプを始めました。
中学校時代は全日本中学選手権に出場。
高校時代は全国高校総体(インターハイ)に出場。
大学時代は全日本強化指定選手となりました。
荻原次晴さんは、大学時代、練習熱心だった兄・健司さんに比べ、熱心じゃなかったそうで、大学時代成績があまり伸びなかったそうです。
大学卒業後はスキー部のある北野建設に入社。
荻原次晴の高校・大学は?
荻原次晴さんの高校は
群馬県立長野原高等学校
大学は
早稲田大学人間科学部
大学では単位が足りず留年しているそうです。
荻原次晴 スキーノルディック複合
荻原次晴さんが選手だった、スキーノルディック複合は平地を進んだり急な坂を登ったりするクロスカントリースキーとスキージャンプという2つのノルディックスキー競技を組み合わせて競う競技です。
日本では、荻原次晴さん兄弟の時代には兄・健司さんが金メダルを取るなど、話題の競技の1つだったようですが、その後は低迷し、2014年のソチオリンピックで渡部暁斗さんが銀メダルを獲得し20年ぶりに日本人がメダルを獲得しました。
荻原次晴 現役時代 オリンピック
荻原次晴さんは1994年、25歳の時、全日本選手権で3位入賞。
同シーズンのノルディック複合・ワールドカップに初出場。
翌1994-1995年シーズンのワールドカップチェコ・リベレツ大会とノルウェー・オスロ大会では準優勝。
2つの大会の優勝者は兄・健司さんで兄弟でワンツーフィニッシュとなりました。
1998年、荻原次晴さんが27歳の時、長野オリンピックに出場。
荻原次晴さんは、個人6位、団体(荻原次晴、森敏、富井彦、荻原健司)5位入賞。
荻原次晴さんは、同シーズンで現役を引退。
現役引退後は、スポーツコメンテーターの活動に転身。
2014年には、テレビ東京のソチオリンピックメインキャスターを務めました。
荻原次晴の嫁は?結婚してる?
荻原次晴さんは2008年11月に、会社員の女性と結婚。
当時、出演していた日本テレビ系の朝の情報番組「ズームイン!!SUPER」で結婚したことを発表しました。
荻原次晴さんの嫁は14歳年下
結婚した時、
荻原次晴さんは38歳
嫁は24歳
荻原次晴さんと嫁の出会いは、荻原次晴さんが仕事で、インタビューしたことだそうです。
荻原次晴の子供は
荻原次晴さんの子供は3人いるようです。
長女、次女、長男。
娘が2人、息子が1人のようです。
子供が生まれた時期は正確には分かりませんが、荻原次晴さんの2011年10月のブログで、
「まだ話せない娘」
と書いてあるので、長女が生まれたのは2010年~2011年ぐらいと思われます。
荻原次晴と?兄健司との仲は?
荻原次晴さんの兄は、現役時代にキング・オブ・スキーと呼ばれ、オリンピックの4度出場し、団体で2つの金メダルを獲得した、荻原健司さん。
兄・健司さんが現役で活躍していた当事は、双子で顔が似ているため、よく兄・健司さんに間違われたそうです。
兄の健司さんが金メダルを獲得して帰国した際には、間違えて荻原次晴さんがサインを求められたり、写真撮影を頼まれたり、インタビューされたこともあったんだとか。
とはいえ、兄弟の仲は大変いいそうです。
兄が現役時代は、荻原次晴さんが兄・健司さんに間違われていましたが、荻原次晴さんも長野オリンピックに出場し、引退後はスポーツキャスターに転身し、荻原次晴さんの露出が増えたことで、今度は兄・健司さんが荻原次晴さんに間違われることが増えたそうです。
荻原次晴の号泣の理由は?
荻原次晴さんは2014年にテレビ東京のソチオリンピックのメインキャスターを務め、その際号泣して、荻原次晴さんが号泣した姿がテレビで流れました。
荻原次晴さんが号泣した理由は、自身もオリンピックに出場したスキー種目、ノルディック複合の個人種目で渡部暁斗さんが、1994年のリレハンメル五輪以来、日本代表選手がは20年ぶりとなる銀メダルを獲得したことに感極まったことでした。
荻原次晴さんは渡部暁斗さんのメダルが決まって、番組で
「本当にこの20年間、ノルディック複合はですね、皆さんにあの、期待して頂きながら…メダル獲れなかったんです。ほんとに苦しかったんです…ノルディック複合は!」
と感極まって号泣しました。
この、荻原次晴さんの号泣したシーンは、話題となり、その後、荻原次晴さんが銀メダルを獲得した、渡部暁斗さんと会った際、
「僕のメダルより話題になってるじゃないすか」
と突っ込まれたそうです。
ちなみに、荻原次晴さんが号泣したシーンの視聴率は9.7%だったそうです。
荻原次晴 見栄晴?
荻原次晴と検索すると「見栄晴」もしくは「号泣 見栄晴」のキーワードがヒットします。
「荻原次晴 号泣 見栄晴」とは何のことかと調べてみると、
荻原次晴さんが、は2014年にテレビ東京のソチオリンピックのメインキャスターを務めて、号泣する直前に、同じくキャスターを務めていた、須黒清華アナが緊迫したレース展開に
「何度もため息が出るくらいにね。次晴さんも」
と話しかけますが、この時の
「次晴さんも」
の「次晴」が「見栄晴」に聞こえたと言うのが理由のようです。
しかし、よく聞いてみると、ちゃんと「次晴さん」と言っています。
荻原次晴 ラジオ?
荻原次晴と検索すると「ラジオ」のキーワードがヒット。
もしかして、荻原次晴さんがラジオでまた号泣しちゃったのかと思い調べてみると、
荻原次晴さんがラジオで号泣したわけではありませんでした。
「荻原次晴 ラジオ」と検索されているのは、荻原次晴さんが2016年のリオデジャネイロオリンピックで民放ラジオ統一キャスターに就任したことが理由のようです。
荻原次晴 最後に
荻原次晴さんが、キャスターを目指したのは、荻原次晴さんが、現役引退後、何をするか迷っていた時、
「スキーヤー出身でメディアに出ている人間はいない。長野オリンピックでウィンタースポーツが日本人に親しみやすくなった。長野オリンピックを語り継ぐ人になってほしい」
と言われたことがきっかけだそうです。
荻原次晴さんは、キャスターを目指すと決めた後は、アナウンススクールに通い、発声などを勉強したそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。