福永祐一さんは日本中央競馬会の騎手
福永祐一さんは結婚していますね。
嫁は元フジテレビアナウンサーの松尾翠さん。
子供はいるのでしょうか?
福永祐一さんの年収は?
福永祐一さんは落馬して大怪我をした経験があるようです。
福永祐一さんの父親も騎手だったようですが、現在はどうしているのでしょうか?
気になったので、福永祐一さんについて調べてみました。
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福永祐一 経歴
名前 福永祐一
生年月日 1976年12月9日(40歳)
身長 160cm
出身 滋賀県栗東市
所属 フリー
福永祐一さんは滋賀県出身。
中学時代はサッカー部に所属。
福永祐一さんは中学2年の時に、競馬の騎手のなることを決め、中学卒業後、競馬学校の試験を受けますが、実技テスト前に骨折。
高校に進学しますが、翌年に競馬学校を再受験し合格。
高校を退学し競馬学校に入学。
競馬学校に入学することを、母親には反対されたましたが、福永祐一さんは強く説得したそうです。
福永祐一 高校
福永祐一さんは競馬学校を受験するも、実技テストの前に骨折し受験できなかったため、高校に進学しました。
福永祐一さんが進学した高校は
近江兄弟社高校
滋賀県近江八幡市にある男女共学の併設型中高一貫校。
偏差対は42~55
福永祐一さんは中学も近江兄弟社中学校で、高校は内部進学したようです。
福永祐一 騎手に
1996年3月2日、福永祐一さんが19歳の時、初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でも勝利し、デビュー2連勝を飾る。
1999年4月、桜花賞でJRAGI初勝利。
翌週、中京競馬場で施行された小倉大賞典 の本馬場入場の際に落馬事故。
7月に復帰し朝日杯3歳ステークスで勝利。
2005年、 アメリカ合衆国のハリウッドパーク競馬場で行われたアメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げました。
2011年、熾烈なリーディングジョッキー争いを制し、16年目で全国リーディングジョッキーとなると同時に、JRA史上初の親子での達成となりました。
同時に、福永祐一さんはJRA賞最高勝率騎手を受賞。
2015年は、121勝を挙げリーディング1位を走っていましたが、10月31日のスワンステークスにて、最後の直線でテイエムタイホーが斜行、接触し落馬事故。
2016年は2月13日の京都競馬で復帰し、翌日の14日に復帰後初勝利。
福永祐一の結婚した嫁は松尾翠!
福永祐一さんは2013年3月、当時フジテレビアナウンサーだった松尾翠さんと結婚することを発表し、8月20日に婚姻届を提出しました。
松尾翠さんは1983年8月11日生まれ
福永祐一さんの7歳年下。
結婚した時
福永祐一さんは、36歳
松尾翠さんは、30歳
福永祐一さんと松尾翠さんの出会いは2011年の友人の結婚式。
その後、2012年頃に交際に発展し、約1年の交際期間を経て結婚。
福永祐一さんと松尾翠さんの交際は、2012年9月に週刊誌でデートを報道されていました。
福永祐一さんはプロポーズを2回に分けて行い、自宅で結婚の意志を伝え、レストランで指輪を渡したそうです。
プロポーズの言葉は
「レースで死ぬかもしれない。それでも結婚してくれるか」
だったそうです。
福永祐一の子供は?
福永祐一さんと松尾翠さんの子供は、結婚の翌年の2014年3月に第一子が生まれています。
子供は娘だそうです。
子供のは前は非公表。
2017年6月1日、福永祐一さんは第11回 ベスト・プラウド・ファーザー賞を受賞。
福永祐一さんは授賞式のコメントで
「負けることが多い仕事ですので、時にはひどく落ち込むこともありますが、家に帰って妻と子供の顔を見ると、その笑顔でずいぶん救われることがあります」
と話しています。
福永祐一の年収は?
福永祐一さんは毎年勝利数で5位以内に入るト騎手で、2011年と2014年には最多勝利騎手にもなっています。
福永祐一さんの年収は、2009年頃から見てみると、1億3000万円~1億7000万円ぐらいを推移しています。
競馬騎手の平均年収が3200万円~4000万円。
毎年がトップになる騎手の年収は、平均1臆7000万~2億円なので、福永祐一さんは騎手としてトップレベルの年収を稼いでいます。
福永祐一 落馬
福永祐一さんは2度の大きな落馬事故の経験があります。
1999年4月17日、小倉大賞典 の本馬場入場の際に4コーナーの奥の退避所へ向かう途中、馬が物見をして暴れたため落馬。
福永祐一さんは腰、背中などを強打して、愛知・豊明市の藤田保険衛生大学病院に運ばれ、精密検査の結果、左腎臓損傷、左肋骨を2本骨折、腹部打撲等の重傷で、左腎臓摘出するという大怪我を負ました。
約3ヶ月後の7月に復帰。
2015年10月31日、京都競馬のスワンステークスで、中団追走から、直線で馬群を縫って抜けだそうとしたところを前の馬に触れてつまずき落馬。
救急車で病院に搬送され、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折の診断が下りましたが、その後の精密検査で右肩のじん帯断裂、右胸骨骨折も明らかになりました。
約3ヶ月半後の2016年10月16日に復帰。
福永祐一の父親の現在は?
福永祐一さんの父親、福永洋一さんも競馬騎手でした。
デビューから活躍し、一部では「天才騎手」とまで呼ばれていました。
1970年、3年目に86勝を挙げ、リーディングジョッキーの座を獲得。
1977年、桜花賞、皐月賞を制覇。
年間最多勝記録を19年ぶりに塗り替える126勝を記録。
1978年、桜花賞を連覇。
年間最多勝記録も131勝に更新。
1979年、レース中に落馬。
地面にたたきつけられ、頭を強打するとともに舌の3分の2以上を噛み切る重傷を負い、その場で意識不明となり、命を取り留めたのは奇跡的な重症を負いました。
福永洋一さんは、重い脳障害を負い、約1年間のリハビリ後、数歩ですが事故以来初めての自力歩行をし、約5年半後、馬に跨ることができましたが、競馬界に復帰は出来ませんでした。
当時、福永洋一さんは31歳。
結婚は3年目。
長男の福永祐一さんは2歳でした。
現在は車椅子も必要ですが、立ち上がれるようにはなっているそうです。
意思疎通については、トイレなどの意思表示はするものの、会話はどこまで理解しているかはわからないそうです。
福永祐一 最後に
福永祐一さんは、父親の落馬事故後の姿を見ながら、競馬騎手になることを決めたんですね。
だからプロポーズの言葉も
「レースで死ぬかもしれない。それでも…」
と言ったのでしょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。