ロザンナさんはイタリア出身の歌手でタレント
ロザンナさんは「ヒデとロザンナ」にひとりとして知られますね。
ヒデさんと結婚後、ヒデさんは亡くなったようですが、ロザンナさんは現在は何をしているのでしょう?
子供は息子と娘がいるようですが、息子が逮捕されたとの話も。
娘は結婚しているようです。
ロザンナさんは現在はイタリア国籍ですが、帰化するとの噂も。
気になったので、ロザンナさんについて調べてみました。
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ロザンナ 経歴
名前 ロザンナ
生年月日 1950年7月3日(66歳)
身長 163cm
出身 イタリア ヴェネト州
所属 クリームカンパニー
ロザンナさんイタリア出身。
ロザンナさんが育った町「スキオ」はアルプスの山々に囲まれた美しい町だそうです。
ロザンナさんはイタリアで音楽学院に通っていましたが、日本でミュージシャンしていた叔父の勧めで、1967年、音楽学院卒業と同時にグループ歌手として来日。
ロザンナさんは来日した時、17歳でした。
1968年、出門英さんと「ヒデとロザンナ」を結成。
ロザンナ 「ヒデとロザンナ」
1968年、「ヒデとロザンナ」うを結成。
結成時
ロザンナさんは18歳
ヒデさんは26歳
デビュー曲の「愛の奇跡」がヒット。
「愛の奇跡」は元々はB面でしたが、ヒットの兆しが見えた時に、ジャケットを差し替えA面扱いになったそうです。
デビュー曲のヒットで、一躍人気歌手に。
1970年、5枚目のシングル「愛は傷つきやすく」が初のオリコンシングルチャート1位を獲得。
1970年度の年間ランキングでも7位を獲得。
デビューシングル「愛の奇跡」を超えるヒットとなり、同年の第21回NHK紅白歌合戦に初出場。
ロザンナとヒデが結婚
1975年2月、ロザンナさんとヒデさんが結婚。
結婚した時
ロザンナさんは、24歳
ヒデさんは、32歳
結婚式は極秘でハワイのカウアイ島で行ったそうです。
出会いはもちろん歌手としての仕事。
ロザンナさんは出会ってすぐヒデさんに一目ぼれしたそうです。
ロザンナの子供は?息子は逮捕?娘は?
ロザンナさんとヒデさんの間には2男1女が生まれました。
1975年、長男の士門(シモン)
1978年、二男の来門(ライモン)
1981年、長女の万梨音(マリオン)
が誕生しています。
ロザンナの長男の士門(シモン)
長男の士門さんは、音楽家で画家。
音楽活動は5歳の頃からドラムを始め、アメリカ留学中三味線をし始め、1998年、23歳で帰国後、東京でアーチスト集団「風の人」結成。
絵画個展も数年に1度ペースで行っています。
ロザンナの二男の来門(ライモン)
二男の来門さんはミュージシャンで、ロックバンド「smorgas(スモーガス)」のメンバー。
ソロでも活動しています。
結婚していたようですが、2007年頃に離婚しているようです。
2008年2月3日、来門さんが29歳の時、乗用車の中に乾燥大麻約1グラムを所持していた疑いで逮捕されています。
次男の逮捕を受けロザンナさんは会見を行い、
「本人がいたらここでひっぱたいてやりたい
中略
(今回の件は)絶対に許せないし親として勘当したい気持ちです」
と語りました。
ロザンナの長女の万梨音(マリオン)
長女の万梨音さんは、モデル活動をしていました。
2004年に結婚し、2005年に長男を出産、2007年に長女を出産し、2人の子供を授かりましたが、その後、離婚したそうです。
2014年~2015年に、NHKのEテレの「テレビでイタリア語」に出演していますが、教える担当としてではなく、ナビゲーターとしての出演でした。
万梨音さんの母親のロザンナさんはイタリア人ですが、万梨音さんは日本育ちのため、イタリア語はあまり得意じゃないと本人が話していたそうです。
2017年、現在は母親のロザンナさんとNHKのEテレの「旅するイタリア語」の料理のコーナーに出演しています。
ロザンナ ヒデの死去
ロザンナさんとヒデさんは1975年2月に結婚しますが、その15年後の、1990年6月17日にヒデさんは結腸がんで亡くなりした。
47歳の若さでした。
ヒデさんは1989年7月に激しい下痢に襲われ、治まったものの、10月にも同じ症状になり、仕事が忙しく年末に病院に行った時に、は結腸がんと判明。
翌1990年1月に入院し手術しますが、手術時には既にリンパ節・腹膜にも転移が判明、末期がんで手遅れの状態だったそうです。
同年3月に一時退院し、3月15日に妻と共に次男の小学校の卒業式に出席したそうです。
ヒデさんが亡くなった時、ロザンナさんは、39歳。
子供たちは、長男15歳、次男12歳、長女9歳で子供は全員育ち盛りでした。
ロザンナが帰化する?
ロザンナさんは日本に来て50年ですが、現在もイタリア国移籍だそうです。
ヒデさんの死後、生前は生活をヒデさんに生活を頼りきりだった不安もあり、一度はイタリアへの帰国もしたそうですが、イタリアの父親に
「(帰国は)よく考えなさい」
と言われたことと、子供たちにも
「日本で暮らしたい」
と言われたことで日本に残ることを決めたそうです。
イタリア国籍でも日本での生活は50年できたわけですし問題もなさそうですが、これからは少し違うようです。
「いまも私はイタリア国籍なので、いまだにイタリアの大統領選挙の投票用紙が東京の私のところに来るんです。このまま亡くなると、埋葬なども面倒ですし、ヒデと同じお墓に入りたいですから、早く日本国籍に変えなくてはいけませんね(笑)」
とロザンナさんは話しています。
埋葬などお墓の問題があるんですね。
ロザンナの現在は?
ロザンナさんはヒデさんの死後は、ソロ歌手、タレント、イタリア料理研究家として活動し働き、3人の子供を育てました。
ロザンナさんは17歳で来日しているので、イタリア料理を含め、料理自体を覚えたのは、日本にに来てからだそうです。
ロザンナさんが17歳で、ヒデさんに出会った頃
「イタリア人なら美味いスパゲティ作って」
とヒデさんに言われ、まだ料理をした事が無かったロザンナさんは、母親に電話して作り方を教えてもらい、何度も失敗しながらようやくスパゲティを食べさせることができ、当時の日本はスパゲティといえば、ナポリタンぐらいしか無かった時代で、ヒデさんは
「これが本場のスパゲティか」
と喜んでくれたそうです。
この時に、ロザンナさんは母親に
「イタリア女は美味しい食事で男の胃袋をつかむのよ」
と教わったそうです。
このことで、ロザンナさんは料理に目覚め、料理本も何冊も出版しました。
現在はラジオ出演、講演会やディナーショーなその歌手活動も行いますが、イタリア料理研究家やイタリアの食材の輸入などの事業の仕事もしているようです。
ロザンナ 最後に
ロザンナさんは、旦那のヒデさんが亡くなり、立ち直るのも時間がかかっそうです。
「泣き暮らしていたから、まぶたは腫れてて悲惨な顔になっていました。でも近所のブティックのママは赤いミニスカートをすすめるんですよ。おそるおそる鏡を覗くと、“40才のミニの女”はけっこうイケていた。ネイルもしてみたら、ああ、私、まだ女じゃんって幸せな気持ちになりました。復帰の準備をしながら、少しずつヒデなしで生きていく覚悟ができたんですね」
とロザンナさんは話しています。
最後まで読ん、でいただき、ありがとうございました。