村田諒太さんは奈良県出身のプロボクサー
階級はミドル級
村田諒太さんはオリンピックの金メダリスト。
村田諒太さんの嫁は京大出身との話が。
村田諒太さんの子供は2人との噂が。
村田諒太さんのプロでの戦績は?
年収はどれくらいなんでしょう?
気になったので、村田諒太さんについて調べてみました。
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村田諒太 経歴
名前 村田諒太
生年月日 1986年1月12日(31歳)
身長 182.8cm
出身 奈良県奈良市
所属 帝拳ボクシングジム
村田諒太さんは5歳から水泳、中学時代は陸上部に所属するも、長続きはせず、喧嘩するなど、素行は良くなかった。
ある日、村田諒太さんが金髪で学校に登校したところ、担任教師に視聴覚室に連れ込まれ、
「おまえ、なんかやりたいことはないんか」
と聞かれ、村田諒太さんは
「ボクシングやったら、やるわ」
と答えました。
このことが、ボクシングを始めるきっかけになったそうです。
村田諒太 ボクシングを始める
担任教師の手配で、その週末には、地元の高校のボクシング部がが主催する、週末ボクシング教室に通い始めたそうです。
しかし、練習が辛く、2週間ほどで練習に来なったんだそう。
中学3年からは、大阪の進光ボクシングジムでトレーニングを始めました。
高校入学後もボクシングを続け、初戦は敗北したものの、徐々に力を付け、高校2年の時には
選抜・総体・国体の高校3冠を達成。
3年の時にも抜と総体を制して高校5冠を達成。
大学に進学後もボクシング部に所属。
2004年、村田諒太さんが18歳の時、全日本選手権初優勝。
2005年、キングスカップに出場し銅メダル。
同年、アジア選手権で銅メダル。
同年、世界ボクシング選手権大会に出場するも、1回戦敗退。
村田諒太 ボクシング現役引退
村田諒太さんは、2006年、ドーハアジア大会代表に選ばれるも1回戦敗退。
2007年、世界選手権に出場するも2回戦で敗退。
同年、全日本選手権では2度目の優勝。
2008年、オリンピック・アジア予選で敗退し、北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことで現役を引退。
村田諒太の高校は?
村田諒太さんの高校は
南京都高等学校
偏差値は36 – 43
京都府相楽郡精華町にある私立高等学校
偏差値は高くはないものの、進学率が高く、平成26年度卒業生では3分の2の生徒が大学に進学しています。
村田諒太さんは、中学時代はほとんど授業にでていたなったこともあり、勉強は苦手で、中学3年の時の通知表は1と2だけだったんだとか。
村田諒太の大学は?
村田諒太さんの大学は
東洋大学経営学部経営学科
偏差値は54
村田諒太さんはスポーツ推薦のようです。
村田諒太 ボクシング現役復帰
村田諒太さんは、2008年ボクシング現役を引退。
2008年3月、東洋大学を卒業。
卒業後は、学校法人東洋大学に就職し大学職員 兼 ボクシング部コーチとして勤務します。
2009年2月、洋大学ボクシング部の元部員が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、東洋大学ボクシング部は活動自粛。
さらに、関東大学リーグ1部から3部へ降格処分が下されました。
村田諒太さんは、自分がコーチでありながら、事件を止められなかったことへの後悔と、全日本選手権で優勝することが出来れば東洋大学ボクシング部の名誉回復につながるのではと判断し現役に復帰を決断。
2009年~2011年、全日本選手権で3連覇。
2011年7月、インドネシア大統領杯に出場し初の国際大会優勝。
同年10月、世界選手権に出場。
4回戦に勝利しロンドンオリンピック出場権を獲得。
その後、決勝まで進むも、敗退し銀メダル。
村田諒太 ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト
村田諒太さんは、ロンドンオリンピックで、第2シードとなり、2回戦から出場。
アルジェリア代表のラフー選手を判定で下し、準々決勝に進出。
準々決勝は序盤リードされたものの、最終的に17-13の逆転ポイント勝ちを収め、メダル確定。
準決勝でも序盤リードを許すも、最終的に13-12で判定勝ちを収めて決勝に進出。
決勝戦では、接戦の末14-13で勝利し金メダルを獲得。
日本人選手がボクシング金メダル獲得は1964年東京オリンピックのバンタム級、桜井孝雄以来48年ぶりでした。
村田諒太の嫁は京大出身?
村田諒太さんは2010年5月、東洋大学に勤務する女性と結婚。
名前は佳子さん
佳子さんは村田諒太さんの4歳年上
結婚した時
村田諒太さんは、24歳
佳子さんは、28歳
村田諒太と検索すると「嫁」「京大」のキーワードどが出てきます。
村田諒太さん嫁、佳子さんが京大なのか調べてみると、京大出身という根拠はありませんでした。
佳子さんは京都出身だそうで、そのことがひとり歩きして、京大出身となっているのかも知れませんね。
村田諒太の嫁は痛い?ウザイ?
村田諒太さんの嫁、佳子さんは一時、痛い、ウザイとネットで叩かれていたようです。
痛い、ウザイと言われた理由はテレビに出すぎていたことのようです。
村田諒太さんが金メダルを取ってからは、テレビでも報道され、嫁の佳子さんが大喜びして
いる姿もテレビで流れました。
自分の旦那が金メダルを取ったのだから、喜んで当然なんですが、嫁の佳子さんのテレビ出演が多かったことと、テンションがかなり高かったことから、痛い、ウザイと言われ始めたようです。
この件に関して、村田諒太さんから注意され、テレビ主演が減ったとの噂もあります。
村田諒太に子供は2人いる?
村田諒太さんには2人の子供がいます
2011年5月、長男
2014年5月、長女
が誕生しています。
ロンドンオリンピックの試合前には、携帯電話で日本にいる長男の映像を見て気持ちを落ち着かせたそうです。
村田諒太のプロでの戦績は?年収はどれくらい?
プロボクサーの1試合のファイトマネーは
4回戦 5万円~
6回戦 10万円~
8回戦 15万円~
日本タイトル 50万~数100万円
世界タイトル 3000万~数億円
これくらいが目安のようです。
日本タイトルや世界タイトルはボクサーの人気などによって大きく変わるようです。
2015年に行われた、パッキャオ vs メイフェザー戦のファイトマネーは300億とも言われましたね。
村田諒太さんのファイトマネーがどれくらいか気になりますね。
村田諒太さんのプロデビュー戦のファイトマネーは1000万円と言われています。
ミドル級で、オリンピックの金メダリストというのが大きな理由のようです。
確かに金メダリストというネームバリューで、観客多く呼べるようで、ファイトマネーも高くなるようですね。
村田諒太さんがプロに転向してからの戦績は、デビュー戦以来、世界タイトル戦前まで、2013年から12戦無敗の9KOです。
無敗ですし、おそらくはファイトマネーも上がっているとは思いますが、1試合、1000万円なら単純計算で1億2000万円ですね。
その他にも、村田諒太さんには、マイナビ、ANA、すき家など5件と、多くのスポンサーが付いていますし、NTTドコモなどのCMにも出演していましたから、もしかしたら、年収1億は超えているかもしれません。
村田諒太 最後に
村田諒太さんはミドル級のプロボクサー
日本人で中量級、重量級のボクサーは少なく、スパーリングパートナーも同じジムに常にいるわけではないそうです。
そのため、月に2~3回は母校の東洋大学に行って練習するそうです。
大学には大きな選手が結構いるそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。