大黒摩季さんは北海道出身の歌手。
経歴や学歴は?
結婚しているのでしょうか?
旦那や子供は?
若い頃の画像は?
気になったので、歌手の大黒摩季さんについて調べてみました。
大黒摩季の学歴・経歴
名前 大黒摩季
生年月日 1969年12月31日
出身 北海道札幌市南区
所属 Being
小学校・札幌市立石山小学校
中学校・藤女子中学校
高校・藤女子高校
大学・大学には進学していません。
父親、母親、弟の4人家族。
実家は1927年創業の製パン業「札幌キムラヤ」を経営。
母親も働いてたそうで、子供の頃から弟の面倒は姉の大黒摩季さんが見ていたそうです。
「姉はわたしにとって母親代わりでした。共働きの両親にかわって食事を作ってくれましたし、大学卒業後に上京した時も世話してくれました。」
引用 https://www.stv.jp/
実家の「札幌キムラヤ」は弟が継いでいます。
2002年に9億円の負債を抱え、札幌地方裁判所に民事再生法を申請。
2016年に量販店への卸売を中止し、現在は規模を縮小して経営しているようです。
大黒摩季さんは3歳からクラシックピアノを始め、小学生の頃から作曲をしていました。
中学校は中学受験し藤女子中学校に進学。
藤女子中学校は北海道札幌市にある私立の女子中学。
1925年設立のカトリック系のミッションスクールで完全中高一貫教育。
お嬢様学校ともいわれているようで、元TBSアナウンサーの小林悠さんや地元の北海道のテレビ局のアナウンサーも何人も輩出しています。
高校も内部進学で藤女子高校に進学。
藤女子高校は完全中高一貫制なので、会部からの受験はありませんが、偏差値は50代といわれているようです。
大黒摩季さんは大学には進学せず、高校卒業後は歌手を目指しました。
大黒摩季の歌手デビューのきっかけ
大黒摩季さんと音楽原点はは3歳でピアノを習い始めて、誕生日おピアノを買ってもらったこと。
大黒摩季さんにピアノ習わせたの母親の夢だったとういいます。
母親はOL時代東京のホールで観た、アメリカのクラシックピアノ奏者ヴァン・クライバーンにとても感動し、いつか結婚して女の子が生まれたらクラシックピアノをやらせたいという思いがあったそうです。
自分の意思でピアノを習い始めたわけではありませんでしたが、内向的だった大黒摩季さんには、外で友達と遊ぶよりも、ピアノがおもちゃとなったそうです。
小学生になると、TVやラジオで流れるアニメソングやポップス、ニューミュージックといった音楽に影響を受け、ピアノでヒット曲のコピーを始め、作曲も始めました。
北海道ではお嬢さん学校といわれるな中高一貫教育の私立藤女子中学校・高等学校へ入学に入学後は、ロックに熱中し、校則の厳しい学校には内緒で友人とバンドを結成。
札幌のライブハウスなどで演奏し、学校にバレて停学処分になったこともあったそうです。
高校を中退しプロを目指したい気持ちのあったそうですが、高校は卒業。
高校卒業後はプロの歌手を目指して上京。
上京後はスーパーやカフェ、Barなどでバイトをしながらデモテープを制作し、レコード会社に送っていました。
1989年にビーイング主催の第3回BADオーディションに合格しますが面接で、
「今の君には興味ないが、面白いものは持っていると思う。バックコーラスや制作を学びながら一緒にやってみないか。」
と言われビーイングと契約。
その後、B’z、ZARD、TUBE、T-BOLAN、DEEN、織田哲郎などのビーイング系アーティストのスタジオ・コーラスとしてレコーディングに参加。
ビーイングに所属して3年後の、1992年5月にファーストシングル「STOP MOTION」をリリースし歌手デビュー。
大黒摩季さんは22歳でした。
テレビ朝日系のドラマ「女事件記者立花圭子」の主題歌でしたが、オリコン週間最高67位でした。
大黒摩季 ミリオンセラー
デビュー曲「STOP MOTION」はドラマ主題歌というタイアップがつきましたがセールスはいまひつでしたが、2枚目のシングル「DA・KA・RA」がオリコン週間最高2位の大ヒット。
大黒摩季さんはデビュー曲リリース後、セールスが振るわなったため大黒摩季さんのレコーディングチームは解散し、スタジオコーラスに戻るようにいわれていたそうです。
そこに、個人的にお世話になっていた人物により「明日の昼までにCM曲を頼みたい」と依頼され、「DA・KA・RA」を一晩で完成させました。
「DA・KA・RA」はCM曲として採用され、ロングセラーとなり、自身初のミリオンヒットになり、同年に
第34回日本レコード大賞新人賞
を受賞しました。
1994年4月、8枚目のシングル「夏が来る」も97万枚の大ヒットし、同年10月発売のアルバム「永遠の夢に向かって」の大ヒット。
1995年2月、8枚目のシングル「ら・ら・ら」は中居正広さん初主演のテレビ朝日系ドラマ「味いちもんめ」の主題歌に起用され、自身最大となる133万枚の大ヒットを記録しました。
大黒摩季は結婚してる旦那は?
大黒摩季さんが結婚したの2003年11月。
34歳の時でした。
旦那は1歳年下の一般男性。
職業はIT関連の会社員。
坂口憲二に似ているスポーツマンタイプと報じられました。
馴れ初めは友人紹介で、2002年頃に出合ったそうです。
出合った当初、男性は大黒摩季さんのことは知らず、アーティストだというと、
「アーティスト?あぁ、画家ですか」
といわれたと話しています。
しかし、2019年4月に離婚。
結婚生活は約16年でした。
離婚理由について大黒摩季さんは、
「消えない罪意識を背負いながら2人で生きてゆくよりも、1人になって彼の幸せを純粋に応援して行くほうが潔い、その方が私らしいと気づきました」
と語りました。
大黒摩季さんは子供に恵まれず長い間不妊治療をしていましたがうまくいかなかったようです
「罪悪感の様ないつも胸のどこかにトゲが刺さったような状態が続き、次第に頻繁に胸の真ん中あたりでうずくようになりました。」
そのことで大黒摩季さんは離婚を考え、旦那はで共に生きようとしてくれていたそうですが、話し合いを続け、2018年初頭離婚に合意したと話しています。
大黒摩季 子供に恵まれず不妊治療
大黒摩季さんは結婚1ヶ月の新婚のとき、
「もし子供が一人だったら歌手にはしたくないですね。老後の面倒をちゃんとみてほしいですから。できれば男の子も女の子もほしい」
引用 http://www.sponichi.co.jp/
と笑顔で話していました。
しかし、子供になかなか恵まれず不妊治療を始めます。
以前から婦人科系疾患を患っていたそうで、平行して病気の治療もしていたそうです。
2010年10月末から子宮疾患の「子宮腺筋症」治療のため無期限で活動を休止。
病気は1996年末に発覚し、だましだまし付き合っていたそうですが進行し、集中して治療しなければいけない状態になっていたそうです。
アーティスト活動は6年間休み、ホルモン治療などの薬物治療と手術を行いましたが、2015年に子宮を全摘出し、2度目の手術後病気は完治したそうです。
不妊治療は、結婚数年後からホルモン治療や体外受精を開始。
「ハードな歌手活動の中で、大黒はいく度か流産を繰り返し」
引用 https://www.news-postseven.com/
アメリカでも最高峰のオペレーションとメディカルトリートメントを各種受けて来ましたが、強いホルモン剤に体が負け、限界を知らされたといいます。
子宮の手術後は凍結受精卵を使った代理母出産を試みてましたが、2017年に最後の卵子が着床しなかったそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント