岡本知高さんは高知県出身の男性でありながら女性ソプラノの音域を持つ男性ソプラノ歌手「ソプラニスタ」。
難病だった?
歌手になったきっかけは?
代表曲はもののけ姫?
結婚して息子がいる?
身長や学歴、経歴は?
気になったので、歌手の岡本知高さんについて調べてみました。
岡本知高は難病だった?
岡本知高さんは小学1年生から5年生まで難病のペルテス病を患っています。
ペルテス病は、股関節の大腿骨の頭部分への血行が何らかの原因で途絶され、股関節が壊死する難病です。
治療法は装具の着用による足の固定、手術の大きく分けて2つでで、岡本知高さんは完全に治すために、1年生から4年生まで養護施設で、装具を足にはめて過ごし、寝る時は両脚をベッドから 牽引した状態で寝たそうです。
小学1年生から親元を離れたため、最初の1週間ぐらいは夜になると布団の中でないていたといいます。
施設には障害のある子供たちが集まっていたため、1週間が過ぎた頃からはみんなで集まって歌うなど、楽しくなったそうです。
土曜日には父親に迎えに来てもらい自宅に戻り、日曜日に母親の運転で施設に帰るという生活で、片道は3時間かかったといいます。
小学5年生で完治し、自宅に戻りました。
岡本知高が歌手になったきっかけは?
岡本知高さんの歌の原点は、日曜日に自宅から施設に戻る時に、車の中で母親と一緒に歌ったことだったといいます。
車からの景色と歌が自分の中で結びつき、プロの歌手がやるようなイメージトレーニングになったそうです。
病気が治り、自宅に帰った時、最初にやりたかったことはピアノを習うことで、5年生からピアノを習い始め、中学時代には吹奏楽部に所属しサックスを担当し、将来は音楽の先生になろうと思っていました。
高校でもサックスをやっていましたが、このまま音楽大学にいくと、サックスの専門家になってしまう気がして、音楽教育の学科を受験したくなったといいます。
そうすると試験ではサックスがなくなる変わりに声楽が必要になり、声楽を始めました。
岡本知高さんは変声期に声が変わらなかったそうですが、本人はその自覚がなく、声楽の神﨑克彦先生に「岡本くんが歌っている声の1オクターブ下なんだよ」と言われましたが、何を言っているのか分からなかったといいます。
その先生が国立音大の瀬川武先生に相談し、レッスンを受けると、
「音楽教育では、岡本君みたいな特別な声の人はちょっと邪魔になる。でも、声楽科ではすごくその声が欲しい。その個性を伸ばすために、声楽科を受験してはどうか」
と言われ、その一言で声楽の道に進むことを決めたそうです。
岡本知高の代表曲はもののけ姫?
岡本知高さんは「もののけ姫」で検索されていますが、もののけ姫のテーマを歌ったのは、米良美一さんで、岡本知高さんではありません。
岡本知高さんは国立音楽大学声楽科を、1999年に準首席卒業。
2003年11月にCDデビューし、「スタジオパークからこんにちは」に出演したことで、その高音の歌声と巨漢のキャラクターで名前を知られるようになり、テレビ番組の「たけしの誰でもピカソ」などのバラエティ番組に出演。
2004年には、同年年1月から放送されたフジテレビ系の昼ドラ「牡丹と薔薇」の主題歌「涙のアリア」を歌いました。
岡本知高は結婚して息子がいる?
岡本知高さんは「結婚 息子」で検索されていますが、結婚しているとの情報はなく、息子がいるという情報もありませんでした。
「結婚」は岡本知高さんが結婚しているのかを調べる検索で、「息子」は2011年に岡本知高さんがツイッターで、
「昨夜の息子の結婚披露宴、サプライズのピアノの弾き語りがグダグダになりました。」
とツイートしたことが理由のようです。
岡本知高の身長・学歴・経歴
名前 岡本知高
生年月日 1976年12月3日
出身 高知県宿毛市
身長 175cm
血液型 AB型
所属 ホリプロ
父親はガソリンスタンドに勤務し、母親は農協に勤務。
兄弟は10歳年上の兄と7歳年上の姉。
小学1年生の時に、股関節の難病・ペルテス病を患い、家族と離れ特別支援学校で過ごし、小学5年生の時に全快し、地元小学校に戻りました。
クラスには近所の幼なじみもいて、すんなりなじめたそうです。
5年生からピアノを習い、中学時代は吹奏楽部でサックスを担当。
高校は宿毛高校を卒業。
高知県宿毛市与市明にある男女休学の県立高校で、偏差値は42。
高校時代も吹奏楽部でサックスを担当。
大学進学前に、世界的にも珍しいソプラニスタの素質を見出され、国立音楽大学声楽科に進学。
1999年に卒業後、パリ市立プーランク音楽院に入学し、2002年首席で修了し帰国し、2003年にデビューしました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント