『児島だよ』でおなじみのアンジャッシュの児島一哉さん。
学歴や経歴は?
『児島だよ』のきっかけは?
結婚してるようですが、嫁との馴れ初めは?
麻雀が強い?
気になったので、アンジャッシュの児島一哉さんについて調べてみました。
児嶋一哉の学歴・経歴
名前 児嶋一哉
生年月日 1972年7月16日
出身 東京都八王子市
身長 178.5 cm
所属 プロダクション人力舎
小学校・八王子市立弐分方(にぶかた)小学校
中学校・八王子市立元八王子中学校
高校・東京都立日野高校
大学・進学していません
父親、母親、兄の4人家族。
父親は内装業。
小学生のときは地元の八王子で一番強いサッカークラブに所属し、キャプテンを務めていました。
中学時代は陸上部に所属。
種目は1500mをやっていました。
本当は100mをやりたかったそうですが、テストで落とされたそうです。
小学校、中学校時代は毎年バレンタインデーにチョコレートを何個かもらったといいます。
中学2年生のとき、近藤真彦さんの憧れジャニーズ事務所に応募。
その結果の通知が来なかったことから、『何かなの手違いかな』と思い、もう一度送ったそうです。
2度もジャニーズに応募しましたが、結局連絡は来ませんでした。
他にも映画のオーディションや事務所のオーディションにもいくつか応募したといい、雑誌で「原宿でスカウトされた」というのを見て、八王子からわざわざ原宿に出かけうろちょろしたこともあったと話しています。
高校は日野高校に進学。
日野高校は東京都日野市にある男女共学の都立高校。
現在の偏差値は55。
相方の渡部健さんとは高校の同級生です。
高校2年と3年のとき同じクラスでしたが、当時はあまりつきあいはなかったそうです。
高校卒業後はお笑い養成所「スクールJCA」に入学しました。
児嶋一哉 お笑い芸人を目指したきっかけ
児嶋一哉さんが芸能界に入ろうと思ったの中学生のとき、
華やかなジャニーズに憧れていた孤児一哉さんですが、中学生のとき、「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)に出演したとんねるずを見て、お笑い芸人志望になりました。
お笑い芸人になろうと思いましたが、当時はまだ東京にお笑いの養成所がなく、どうすれば芸人になれるのかがわかりませんでした。
そのため、同級生にB21スペシャルのヒロミさんの妹がいたこともあり、弟子入りを志願しました。
まずはヒロミさんの母親に相談し、母親を通じて弟子入り希望しましたが断られました。
その後、番組収録現場に出向き、直接弟子入りを願いましたが断られました。
その時、ヒロミさんが所属していた「プロダクション人力舎」が「スクールJCA」を開校することを聞き受験。
受験しますが、当時は声も小さい、挨拶もできなかったことから不合格になりかけまますが、
「(授業料の)60万払えるか?」
と聞かれ、「払えます」と答えると、
「じゃあ補欠合格」
と言われ唯一の補欠合格者で1期性と入学しました。
児嶋一哉 アンジャッシュ結成
「スクールJCA」に入学しますが、相方が見つからず1992年にピン芸人でデビュー。
児嶋一哉さんはウッチャンナンチャンやとんねるずなどの「同級生コンビ「の憧れていたことから、高校時代の友人に電話を掛けましたが、断られ続け、5人目に声をかけた渡部健さん「アンジャッシュ」を1993年に結成しました。
コンビ結成当初は渡部健さんが5人目だったことは伝えず、10年後に伝えたそうです。
また、コンビ結成当初はやっと見つけた相方の渡部健さんに辞められてないように、児嶋一哉さんがネタを書き、渡部健さんを車で送り迎えし、稽古場に区民センターなどを予約したりていましたが、頼りなかったため半年後には渡部健さんが仕切っていたそうです。
1999年から開催された「爆笑オンエアバトル」(NHK)では常連出演者。
第1回から出場し2003年に第5回チャンピオンになっています。
同年4月に「エンタの神様」(日本テレビ系)に出演し、「すれ違いコント」などで知名度が上がり仕事が安定。
児嶋一哉さんは、
「この番組のおかげでご飯が食べられるようになって本当にありがたい」
と話しています。
2000年代後半ぐらいからは個々の活動も増えています。
コントではボケを担当ことが多かったですが、2011年頃からいじられ芸やキレ芸が注目され、生を間違われて「児嶋だよ!」のツッコみは定番になっています。
児嶋だよのきっかけ
名前を間違われ「児嶋だよ!」とツッコむ定番の芸で知られる児嶋一哉さん。
「児嶋だよ」が生まれたきっかけは明石家さんまさんだと話しています。
始りは2010年頃で特番にアンジャッシュで出演したときにさんまさんに、
「渡部、今日オマエ、友達連れてきたんか」
「いや、友達じゃないわ、俺もアンジャッシュ!」
「あ、マネージャーか!」
「マネージャーじゃねーわ、俺もア・ン・ジ・ャ・ッ・シュ」
「大島だっけ?」
「いやいや、児嶋だよ!」
と答えたことから始まったと自身のエッセイでつづっています。
明石家さんまさんから始りましたが、世の中に認知されたのは中居正広さんだといいます。
まだそこまでイジられキャラっていうのが浸透してなかった頃に出演していた「中居正広のブラックバラエティ」で
「何なんだよ、あの『児嶋だよ!』ってギャグさ」
とバカにしつつ毎回ガンガンいじって来たそうです。
児嶋一哉さんは
「『大嶋』って一番言ってくれてるのは中居さんじゃないですかね。」
と話しています。
児嶋一哉と嫁はどんな人?
児嶋一哉さんが結婚したのは2011年9月。
39歳の時でした。
嫁は元タレントの坪井志津香さん。
年齢は4歳年下。
坪井志津香さんは岡山県出身。
1995年に「エルセーヌ」が主催する「第7回大会 ミス・テラクィーン」に出場し合格したことで芸能界入り。
他に合格者と「Lemon Sugar vs TOo’s」というアイドルグループを結成し活動。
当時、19歳でした。
1995年7月1日にシングル「MAGIC IN TIME」しますが、以降はシングルの発売はなく解散。
バラエティ番組にも出演し、 2000年5月「内村プロデュース」200では「溺死体女優」という企画で優勝しています。
2003年には古坂大魔王さんが結成したお笑いと音楽を融合させた音楽ユニット「ノーボトム」で「SHIZUKA」の名前で初代ボーカルを務めました。
その後、時期は不明ですが脱退。
脱退後は活動していた情報はありませんでした。
児嶋一哉と嫁の馴れ初めは?
児嶋一哉さんと嫁の坪井志津香さんの交際期間は15年。
馴れ初め・出会いは知人の紹介。
出会った時、児嶋一哉さんは22歳、坪井志津香さんは19歳でした。
児嶋一哉さんにとって初めての彼女だったそうです。
結婚式は坪井志津香さんの実家の岡山県で行い出席者は約100人、
しかし、相方の渡部健さんは招待しなかったことを2016年8月の「行列のできる法律相談所」で明かしています。
結婚式をすること伝えていましたが児嶋一哉さんは、
「申し訳ないけど、結婚式は身内だけでやろうと思う」
と告げ、渡部健さんは招待されなかったそうです。
ところが後日、番組のスタッフから
「児島さんの結婚式に行ってきましたよ」
と聞き、渡部健さんは
「俺は児島にとって、大切な人ベスト100位にも入らないのかよ」
とショックを受けました。
招待しなかった理由について、
「嫁さんの実家の岡山で結婚式を挙げたんで、岡山まで来てもらうの悪いかな? とちょっと思っちゃったんです」
と説明しましたが、共演者の不評を買い、
「これ聞いたら…はぁ…失敗したな、と思います」
と反省していました。
児嶋一哉の子供は?
児嶋一哉さんに子供はないようです。
子供について話している情報もありませんでした。
結婚後の2011年には
「将来、子供は欲しい。」
とコメントしていたといいます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。