小林幸子さんは新潟県出身の演歌歌手。
経歴や学歴は?
ラスボスとは?
結婚歴や再婚した旦那の職業や子供は?
事故や病気で検索されている理由は?
気になったので、演歌歌手の小林幸子さんについて調べてみました。
小林幸子の学歴・経歴
名前 小林幸子
生年月日 1953年12月5日
出身 新潟県新潟市
身長 165cm
血液型 A型
所属 幸子プロモーション
父親、母親、姉2人の5人家族。
3人姉妹の末っ子で、実家は精肉店を経営し、コロッケは行列ができるほどの人気だったいいます。
小学校は新潟市立栄小学校に入学。
同小学校は2015年に閉校になっています。
父親は若い頃歌手になる夢を持っていて、出征前に戦死したら形見にしてほしいと、自分の歌声のレコードを作ったほどの音楽好きでした
9歳の時に、父親が小林幸子さんに内緒でTBSの歌番組「歌まね読本」に応募し、「東京見物にう行こう」と連れられ予選に出場。
毎週勝ち進み、作曲家の古賀政男さんにスカウトされました。
父親の「歌手になりたいか?」との問いに小林幸子さんは「なりたい」と答え、父親は大喜びでしたが、母親は大反対だったそうです。
家族と共に上京し1964年6月20日、10歳の時に「ウソツキ鴎」で歌手デビュー。
デビュー曲は20万枚のヒットとなりました。
中学校は麹町学園女子中学校、高校は麹町学園女子高校に進学。
麹町学園女子中学校・高校は、東京都千代田区麹町にある私立の女子校。
麹町学園女子中学校の偏差値は48で、完全中高一貫制のため高校の生徒募集はありません。
1966年7月、中学1年生の時には日本テレビ系のバラエティ番組「九ちゃん!」に「チビッコトリオ」としてレギュラー出演。
15歳の時に実家の精肉店が倒産し、家族が上京し、僅か15歳で五人家族の家計を支える一家の大黒柱となりました。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
小林幸子 低迷期からラスボス
デビュー曲はヒットし、第2のの美空ひばりと騒がれましたがヒット曲は続かず、さらに美空ひばりさんの母親がから、
「あまりにもひばりを模倣している」
と言われ仕事が激減し、その後は約15年もの間低迷期が続きました。
低迷期には1人で全国各地を行脚し、夜には飲み屋やキャバレーなどで酔っ払い客に絡まれなが歌っていました。
1979年1月に発売した28枚目のシングル「おもいで酒」が有線放送から徐々に知名度が上がり、オリコンチャート1位となり、売り上げ枚数200万枚の大ヒットを記録。
同年の第30回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。
続く29枚目のシングル「とまり木」も大ヒット。
紅白歌合戦には2015年までに34回出場。
紅白歌合戦では1981年の「迷い鳥」から衣装が派手になり、審査員が笑顔になったことから衣装がさらに派手になり大きくもなって、あまりに豪華絢爛な衣装からラスボスとも言われました。
小林幸子の結婚した旦那の職業は?
小林幸子さんが2011年11月、57歳の時に結婚。
夫は8歳年下の林明男さん。
職業は実業家で、医療関連会社社長を務めています。
林明男さんは結婚歴があり再婚でした。
馴れ初めは食事会で、親友のデザイナーの女性と食事をした時、デザイナーの人が友達を呼び、それが夫だったそうです。
その後、2人で食事に行くようになり、食事代を払おうとしたら、、
「払うもんじゃないでしょ。男が払うんですよ、だめですよ」
と言われたといいます。
それまでは、当たり前に自分が払うものだと思っていたため、「ときめいてしまった」と話しています。
約6年の交際期間を経て結婚しました。
小林幸子の子供は?
小林幸子さんに子供はいないようです。
小林幸子が事故や病気で検索されている理由は?
小林幸子と検索すると「事故」「病気」の関連ワードが出てきます。
事故で検索されているのは、過去に同姓同名の方が交通事故で亡くなっていいることが理由のようです。
病気は2019年に網膜剥離を患い、同年9月に手術をしています。
自分で車は運転して買い物に出かけた時、信号待ちでなんとなく左目をつぶって、右目だけで信号機を見たところ、信号が、全部真っ黒で色がなかったそうで、普段両目で見ている時には、左目が補ってくれるため、右目の見え方に気づかなかったそうです。
手術では眼球にシリコーンオイルを注入するなどして剥がれた網膜を修復したそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。