勝俣州和の一世風靡やアイドル時代の人気は?嫁との馴れ初めや子供は?

タレント

一世風靡やアイドルグループ「CHA-CHA」に所属していたタレントの勝俣州和さんの学歴や経歴は?

一世風靡に入ったきっかけや「CHA-CHA」時代の人気は?

嫁との馴れ初めや子供は?

気になったので、タレントの勝俣州和さんについてい調べてみました。

勝俣州和の学歴・経歴

名前   勝俣州和
生年月日 1965年3月12日
出身   静岡県御殿場市
身長   171cm
血液型  O型
所属   融合事務所

実家は衣料品店を経営、7人兄弟の長男で、妹が4人、弟が2人います。

祖父母も同居していて11人の大家族で、部屋の窓からは富士山が目の前に見えたそうです。

小学校は御殿場市立御殿場小学校、中学校御殿場市立御殿場中学校出身、

小学校、中学校共に学級委員長を務め、中学時代はバスケットボール部に所属していました。

高校は静岡県三島市にある日本大学三島高校を卒業。

偏差値は48~61。

高校時代はフォークソンソング部に所属していました。

高校卒業後は、内部進学で日本大学文理学部国文学科に入学。

文理学部のキャンパスは東京都世田谷区桜上水にあり、大学進学で上京。

国語の先生を目指していましたが、大学4年生の時に先生に成績が悪くて国語教師にはなれないといわれ、大学4年で自主退学しました。

勝俣州和が一世風靡に入ったきっかけは?

大学時代に「自分には根性たりない」と考え、妹がファンクラブに入っていて、会報を見て興味を持った上下関係の厳しい、劇男一世風靡に入ることを決意。

最初の面接では「生意気だから」と断られましたが、1年後に再度面接を受けると合格し、1986年、21歳の時に入団しました。

当時の劇男一世風靡のメンバーはみんな仕事をしていて週末に集まり、日曜日にストリートパフォーマンスだけしていて、最初は芸能界は目指してはいなかったそうです。

勝俣州和さんも芸能界を目指していたわけではなく、ここで根性をつけて田舎に帰ろうと思っていました。

1988年に劇男一世風靡を退団しています。

勝俣州和のアイドル「CHA-CHA」時代の人気は?

劇男一世風靡退団後、芸能事務所に所属、事務所にオーデションがあると言われ行ったのが萩本欽一さんが司会を務めるバラエティ番組「欽きらリン530!!」でした。

オーディションに合格、レギュラー出演すると番組内で男性アイドルユニット「茶々隊」が作られ、そのメンバーをさらに絞込み「CHA-CHA」が結成、勝俣州和さんはリーダーを務めました。

1988年9月7日にリリースしたデビューシングル「Beginning」はオリコンチャート5位にランクイン、同年12月のセカンドシングル「いわゆるひとつの誤解デス」は2位になりました。

欽ちゃんファミリーのグループであったことから、初期には冠番組を持つなど「歌って踊れてお笑いも出来るアイドルグループ」として人気を集めましたが、メンバーの脱退などもあり、徐々に曲の売り上げも落ち、1990年11月の8枚目シングルは17位でしたが、1991年7月の9枚目のシングルは83位、12月の最後のシングルは92位でした。

1992年1月の渋谷公会堂のコンサートで解散しました。

勝俣州和と嫁の馴れ初めは子供は?

勝俣州和さんの元国際線客室乗務員で8歳年下の澄子さんと2002年に結婚。

37歳の時でした。

澄子さんとは馴れ初めは知人の紹介。

お互い忙しく時間も不規則だったため、デートは早朝の5時や6時で、そのデートにいやな顔をせずに付き合ってくれたことが結婚の決め手だったそうです。

子供は娘と息子で、長女が2004年10月、長男が2009年4月に誕生しています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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