林真理子さんは山梨県出身のエッセイスト。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚しているようですが、夫の職業は?
子供は娘?
気になったので、エッセイストの林真理子さんについて調べてみました。
林真理子の高校、大学など学歴・経歴
名前 林真理子
生年月日 1954年4月1日
出身 山梨県山梨市
小学校・山梨市立加納岩小学校
中学校・山梨市立加納岩中学校
高校・日川高校
大学・日本大学芸術学部
父親は元銀行勤務でしたが、戦争で召集されて満州に出征し、戦後は行方右不明で帰ってきたのは8年後だったそうでうす。
母親は当時の女性では珍しく大学を卒業し教師をしていました。
母親は戦後、山梨から上京しましたが、長兄が亡くなったことで山梨に呼び戻され、書店・林書房を経営。
林真理子さんは子供の頃は学校から帰ってきたら、本を読みながら店番をしていたそうです。
読んでいた本は小説などだけでなく、漫画もよく読んだといいます。
本を読む習慣ができた点ではとても良い環境だったと話しています。
小学校は加納岩小学校、中学は加納岩中学校。
小学校時代の作文では『作家になりたい』と書いていたそうです。
中学時代には壮絶ないじめにあっています。
「林真理子を百回泣かせる会」というのが生まれたといい、画びょうを持った手を無理やり握らされたり、プールに突き落とされたりしたといいます。
高校は日川高校に進学。
日川高校は山梨県山梨市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は54。
高校時代は文学部と放送部に所属し、放送部ではお昼の放送をしたりしていました。
大学は日本大学芸術学部に進学。
大学時代にはある作文コンクールで入賞し、パリに行っています。
就職試験にはコレクションが出来るほど落ちたと話しています。
大学卒業後は、就職せずアルバイトをしていました。
林真理子 エッセイストデビュー
林真理子さんは大学時代に作文で入賞した経験もありましたが、大学時代には物書きになろうとは特に思わなかったそうです。
大学4年生の時には先生に記者をやってみないかって誘われやってみましたが、神田にある汚い雑居ビルで、タブロイド版を折って200通くらい封筒に入れて切手貼るという仕事で、なんだか悲しくなったといいます。
物を書く仕事をしようとは特に思っていませんでしたが、「何かやってやろう」とは常に思っていたと話しています。
有名人になりたい、とにかく世に出たいという思いがあり、コピーライターという存在が注目を浴びていたことからコピーライターなろうと、大学卒業後はアルバイトをしながら、コピーライター養成講座を受講。
その養成講座で、コピーライターの糸井重里さんと出会い、糸井重里さんの事務所でコピーライターとして活動していました。
1982年、エッセイ集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を出版。
同エッセイ集は処女作ながらベストセラーになになりました。
当時、林真理子さんは28歳でした。
1985年に出版した「最終便に間に合えば」「京都まで」で第94回 直木賞を受賞し小説家としての地位も確立しました。
林真理子の夫の仕事は?
林真理子さんが結婚したのは1990年5月。
結婚時は36歳でした。
夫の職業は建設会社勤務の会社員。
年齢は4歳年上。
出会いは見合い。
夫は理数系の人間で、見合いで出会った時、人気作家だった林真理子さんの存在すら知らなかったそうです。
見合いから4ヶ月でのスピード婚だったといいます。
林真理子の子供は娘?
林真理子さんの子供は1人。
子供は娘です。
1999年2月に生まれました。
結婚9年目で林真理子さんが44歳の時の出産でした。
不妊治療を経ての出産だったそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。