尾藤イサオさんは東京出身の歌手・俳優。
経歴や学歴は?
結婚しているようですが、妻はどんな人?
子供は娘と息子で歌手?
現在の活動は?
気になったので、歌手で俳優の尾藤イサオさんについて調べてみました。
尾藤イサオの学歴・経歴
名前 尾藤イサオ
生年月日 1943年11月22日
出身 東京都台東区
身長 168cm
小学校・台東区立小島小学校、台東区立坂本小学校
中学校・台東区立駒形中学校
高校・都内の高校
大学・進学していません。
父親は百面相や形態模写を得意とした落語家で寄席芸人の3代目松柳亭鶴枝さん。
母親は三味線奏者。
5人兄弟の末っ子。
3歳の時に父親が他界。
兄は父親の後を継ぎ芸人になり、10歳の時には兄と共に生活を支えていた母親も亡くなりました。
兄弟だけでは生活をしていくのは困難になり、尾藤イサオさんは曲芸師・鏡味小鉄さんの内弟子となり、家に預けられることになりました。
鏡味小鉄さんは舞踊を取り入れた曲芸をしており、コンガやマラカスの音にあわせた曲芸、獅子舞芸なども得意としていた曲芸師でした。
尾藤イサオさんは、曲芸師の修行に6年間励み『鏡味鉄太郎』を名乗っ曲芸獅として活躍。
最後の1年はアメリカに行っていたそうです。
中学時代にエルヴィス・プレスリーの曲を聴きロカビリーに夢中になり、プレスリーに憧れてアメリカから帰国後、師匠に独立して良いと言われたことから、17歳で曲芸獅をやめ歌手を目指しました。
歌手になることを師匠に打ち明けた際には、「不良になるのか」と言われ、兄弟子にも「イサオは何考えてるんだ」と怒られたといいます。
尾藤イサオ 歌手デビュー~あしたのジョー
曲芸獅をやめた1960年に、プロダクションの門をたたき所属。
バンドの「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」をバックに練習に励み、翌年の1961年から1962年5月までアメリカのハリウッドに渡り約1年間エンターテイメントを勉強をしました。
帰国後の1962年9月、ドイツ出身の歌手フランツ・フリーデル率いるバンド「ファイア・ボール」の一員になり、東京都内のジャズ喫茶などに出演し、プロの歌手としてデビューし活動を開始。
尾藤イサオさんの歌唱力がテレビプロデューサーの目に留まり、フジテレビやTBSの歌番組にレギュラー出演し、1963年からは音楽フェスティバルの「日劇ウエスタンカーニバル」にも出演しました。
1964年2月、東芝レコードから「匕首マッキー」を発売し、ソロレコードデビュー。
同曲はヒットし、同年年3月「ミュージック・ライフ・人気投票」では18位に入りました。
同年7月にリリースしたイギリスのバンド「アニマルズ」のカバー曲「悲しき願い」が大ヒットとなり、一気に人気歌手の仲間入りを果たしました。
尾藤イサオさんは20歳でした。
1970年にアニメ「あしたのジョー」の主題歌「あしたのジョー」を発売。
アニメは大ヒットし、主題歌の「あしたのジョー」も尾藤イサオさんの代表曲になりました。
1970年代以降は俳優としても活躍しています。
尾藤イサオの妻や子供は?
尾藤イサオさんが結婚したのは1974年との情報がありました。
38歳の頃で妻は一般人のようです。
尾藤イサオさんの子供は2人。
2人とも娘です。
検索に「息子」と関連ワードが出てきますが、息子がいる情報はありませんでした。
長女の桃子さんはは1975年に生まれ、歌手や女優活動をしてました。
1994年、父の全国ツアーに参加したのをきっかけに音楽活動を始め、1998年9月、シングル「Ru Tu True」でデビュー。
その後は、舞台などで女優としても活動していたようです。
桃子さんは剣道三段に腕前で、1992年の16歳の時、自宅に侵入した泥棒を父親と共に、ほうきを武器に立ち向かいました。
犯人は当時、20歳の男性で、尾藤イサオさんに取り押さえられ、その後逮捕されました。
尾藤イサオの現在の活動
尾藤イサオさんは現在も歌手、俳優として活動しています。
歌手としてはベテラン歌手中心に参加し、毎年数十箇所で開催されるコンサート「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」に参加し、全国各地を回っています。
俳優としては、2020年11月公開の映画「感謝離 ずっと一緒に」に中尾ミエさんとW主演しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。