和田正人さんは高知県出身の俳優。
経歴や大学などの学歴は?
大学時代は箱根駅伝に出場?
俳優になったきっかけは?
妻はタレントの吉木りささんですが、馴れ初めは?
子供はいる?
気になったので、俳優の和田正人さんについて調べてみました。
和田正人の経歴や大学などの学歴
名前 和田正人
生年月日 1979年8月25日
出身 高知県土佐郡土佐町
身長 172cm
所属 ワタナベエンターテインメント
小学校・土佐町立土佐小学校
中学校・土佐町立土佐中学校
高校・高知工業高校
大学・日本大学
両親は和田正人さんが2歳の頃に離婚。
離婚後は父方に引き取られて育ちました。
母親の記憶はなく、そのため母を恋しいという思いもなかったといいます。
兄弟は2歳年上の兄が1人。
父親が単身赴任をしていて、父親に代わって祖父母に育てられたそうです。
2歳年上の兄には母親の記憶があり、母親がいなくなった寂しさからか、祖父母にに反抗している兄を見て、和田正人さんは「じいちゃん、ばあちゃんを悲しませることはやめよう」と思い、気がつくと反抗期はなかったといいます。
和田正人さんは小さい頃から足が速く、校内のマラソン大会でも常に上位していました。
中学時代はソフトボール部に所属していましたが、足の速さを買われでは駅伝部にも所属。
中学2年生の時、第1回全国中学駅伝駅伝大会が開催。
和田正人さんの学校は県予選で敗れましたが、当時の顧問が熱心だったこともあり、熊本県まで全国大会を見に行ったそうです。
高校は熱心に誘われて高知工業高校に進学。
高校2年生の時に、全国高校駅伝に出場。
しかし、結果残せず、「全国ってこんなにレベル高いんだ」と実感したといいます。
高校3年生の時にも全国高校駅伝に出場しますが、ケガでろくに練習が出来ず、思うように走れなかったといいます。
和田正人 大学で箱根駅伝に出場
和田正人さんの高校駅伝での走りを見て、当時の日大の監督が可能性を感じてくれたといい、大学は日本大に進学。
大学入学時には同期入学の中で一番記録は悪かったですが、夏を越える頃には高校時代に実績のあった選手と肩を並べるようになっていました。
大学2年の時に、全日本大学選抜駅伝、全日本大学駅伝、そして箱根駅伝に出場。
初めて出場した箱根駅伝では、5番目にタスキを受けて順位をキープ。
順位を落とさないことだけで必死だったと話しています。
大学3年の時には、出場メンバー入りしたましたが、11月中旬にケガをして箱根駅伝には出場できませんでした。
大学4年生の時にも8月にケガをして3カ月間全く走れませんでしたが、出場を箱根駅伝1本に絞ってメンバー入りし出場。
しかし、夏にケガで走り込みをやっていなかったため、後半にバテて失速していまい、結果は残せませんでした。
和田正人 NECに入社
大学4年生の時の春にNECの合宿に参加し、その後の関東インカレでは1万メートルで5位、5000メートルで7位に入賞。
その成績もあって、NECに入社が決まったといいます。
社会人になって1年目は、ケガも多かったそうですが、2003年2月の丸亀ハーフマラソンでは1時間2分24秒で日本ランキング17位の成績を出しています。
社会人として大きな大会であるニューイヤー駅伝に出場することが目標でしたが、丸亀ハーフマラソン以外は結果が残せず、来年は絶対にここで走りたいと思いながらサポート役に回りました。
ニューイヤー駅伝の結果は4位の好成績でした。
しかし、社会人2年目にNECの廃部が決まり、2003年6月に廃部。
廃部を知らされのは公式発表の日の朝だったといいます。
和田正人が俳優になったきっかけ
和田正人さんが俳優を目指したのは社会人1年目のケガによる不調がきっかけだった話しています。
ケガから「走れなくなったら、どうしよう」と不安にさいなまれ、そんな中ふと、「プレーヤーとして続けられるのはせいぜい30代半ばくらいまでだよな」と思い、最終的にはやめる日が来ると気づいて、将来に軽く絶望。
陸上と全く関係ない生き方もあるかもしれないとぼんやりと想像した時に、選択肢として頭に浮かんだのが俳優だったといいます。
それまでは芝居の経験はおろか、テレビドラマも数えるほどしか見たことがなかったそうでが、
「俳優なら引退がなく、死ぬまでできる」
と考えたそうです。
その後、ちょうどNECの廃部が決まり背中を押された気がしたと話しています。
和田正人 年齢詐称して俳優デビュー
和田正人さんはNECの廃部後、俳優の道を目指し、2004年7月、「第1回D-BOYSオーディション」に出場し、特別賞の受賞。
同年からD-BOYSに加入しました。
2005年1月、「ミュージカル テニスの王子様」の千石清純 役で本格的に俳優デビュー。
当時、和田正人さんは25歳でした。
年齢的に芸能プロダクションに入ることが難しかったため、書類審査に22歳と年齢を詐称して応募し合格しました。
その後、「マラソンをしていた」の発言や、箱根駅伝の出場者記録に同姓同名の人物がいるなどの情報から、年齢詐称疑惑が発覚。
2005年7月、和田正人さん本人がファンクラブでのイベントにおいて、詐称の事実を認め涙ながらに謝罪し、式プロフィールも本来の生年に訂正しました。
2005年8月、関西テレビのドラマ「moon」でドラマデビュー。
2007年10月、テレビ東京系ドラマ「死化粧師 エンバーマー 間宮心十郎」でテレビドラマ初主演。
2008年8月公開の映画「《a》symmetry アシンメトリー」で映画初主演を務めました。
同年2月には東京マラソン2008に出場し、2時間57分59秒の記録で完走。
当時に参加した著名人・有名人の中で最速の記録でした。
和田正人と嫁の吉木りさの馴れ初めは?
和田正人さんが吉木りささんと結婚したのは2017年11月。
38歳の時でした。
吉木りささんの年齢は8歳年下で、結婚時は30歳でした。
2人をつなげたのはTKOの木本武宏さん。
吉木りささんは2013年にNHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」に出演していた和田正人さんが演じていた役柄に心をつかまれたそうです。
それを聞いた、「ごちそうさん」の出演者で共通の知人だった木本武宏さんが「(吉木りささんが)正人がやっている役が『素敵』って言ってたから紹介するわ」と紹介し、2人で食事をすることになったといいます。
最初の食事で和田正人さん交際を申し込んだそうです。
2016年7月には一部で交際が報じられ、交際を認めていました。
プロポーズは元旦だったそうで、元日に2人で初詣に出かけ、神社でお参りした後、吉木りささんが和田正人さんに「何願ったの?」と聞くと、
「あ、じゃあ言うね。吉木りささん、結婚してくださいって。神様の前で」
とプロポーズされたそうです。
和田正人の子供は?
和田正人さんの子供は2022年現在は1人。
子供は娘です。
2019年10月に生まれました。
結婚2年目で、子供が生まれた時、和田正人さんは40歳、吉木りささんは32歳でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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